クイズにおける「ソウゾウ力」とは?
1.
クイズにおける「ソウゾウ力」とは何だろうか?
というのがこの文章のテーマです。
先日(2021年9月10日)放送された「高校生クイズ2021」にかこつけてカタカナにしてみました。
ふりかえると、ここ数年の「高校生クイズ」は、「地頭力」というキーワードを前面に出して、現場における考察力や発想力を試すようなクイズが出されていました。
そして今年は「ソウゾウ脳」をテーマとして、知識だけではない「想像力」と「創造力」が問われるクイズが出題されています。
ところで、これは2008年から2012年まで放送されていた「知力の甲子園」時代のクイズとは、ある意味で対照的です。
そこでのクイズは、一部は受験勉強にからんだ問題(漢文や計算問題など)だったものの、メインはいわゆる「競技クイズ」だったからです。
「競技クイズ」とは何なのかをひとことでいうのは難しいですが、ここでは「すでに知っているかどうか」を競うクイズだととらえておきましょう。
問題文を推測してコンマ数秒を争う「早押しクイズ」なども、すでに知っているからこそ成り立つわけですね。
クイズ愛好者の間では、「アマゾン川で」というフレーズから、「ポロロッカ」という答えを導きだした、往年のクイズ番組のワンシーンが有名です。
もし冒頭のフレーズを聞いて、アマゾン川にかんする知識(どこにあるのか、どれくらいの長さか、どんな生き物が住んでいるのか、など)を漠然と参照していたら、問題文を推測するまえに出題者が読み終えてしまいます。
クイズで訊かれることをすでに想定しているゆえに「ポロロッカ」が分かる。
ようするに、過去に知った事柄をいかに参照していくかという勝負になるのです。
(この動画のように、「すでに知っていること」から答えを探っていくプロセスが重要になる)
2-1.
「知力の甲子園」と「ソウゾウ脳」。
両者のちがいはいったい何でしょうか。
さきに結論をいうと、それは「問い」と「答え」の間にある「確定性/不確定性」の度合いではないかと思います。
どういう意味でしょうか。これから説明していきます。
まずはじっさいの問題を見てみましょう。
「知力の甲子園」時代には、例えばこんな問題が出されていました。
「どっどど どどうど どどうど どどう」という書き出しで始まる宮沢賢治の童話は?
放送を見ると、冒頭の書き出しを聞いて、いかに早くボタンを押すかというのが勝負どころになっています。
ここでは「問い」は確定的に「答え」につながっています。このフレーズならば、この答えといった具合に。
「どっどど どどうど どどうど どどう」「ど」って何回言った?
みたいなタイムショック風の問題も出そうとすれば出せるけれども、そういった不意打ちをしないところに「競技クイズ」らしさを感じます。
総じて「競技クイズ」では、問題はしっかりした規則にもとづいてつくられており、「すでに知っていること」がちゃんと活きるように設計されている印象があります。
たとえば、クイズ作成にあたっては、ミスリードを誘発しない問題文にするという規則があります。
「どっどど どどうど どどうど どどう」という書き出しで始まるのは『風の又三郎』ですが、これを書いた宮沢賢治はどこの都道府県の出身でしょう?
みたいに、ミスリードのせいで最後まで答えが確定しない問題は許容されにくいわけです。
「どっどど どどうど どどうど どどう」という書き出しにはどんな文学的効果があるでしょう?
といった、答えそのものが不確定な問題も通常出題されません。
いずれにせよ、「確定性」が重視されるクイズであるといえます。
2-2.
いっぽう今年の「高校生クイズ2021」ではこんな問題が出されています。
大小のボール200個を早く正しく仕分けろ
この問題は、「ボールを200個に仕分ける」というゴールは決まっていますが、そこにいたるプロセスは決まっていません。
制限時間もあるなかで、どんな方法がもっとも望ましいかというのは「不確定」です。
そして、この「不確定」な状況のなかで、高校生たちがどんなふうに問いに取り組んでいくかが、われわれ視聴者にとっての見どころになります。
ここで注意しておきたいのは、「知力の甲子園」と対照的ではありながらも、「ソウゾウ脳」はけっして「知力」と無縁ではないということです。
むしろ、ボールを分けるために有用な物理法則の知識や、器具をつくるための身体知といったものが必要とされます。
これらは知識の参照先が広いぶんだけボンヤリしているようですが、やはり「知力」を戦わせるという点では変わりありません。
ゆえに両者のちがいは「知力」か「地頭力」かではないのです。
いずれも「知識」や「知力」を競うものでありながら、「問い」と「答え」のつながりがどれだけ「確定的/不確定的」なのかがちがっているのです。
3.
いうまでもないですが、完全に「確定」なクイズも、完全に「不確定」なクイズもありません。
「高校生クイズ2021」ではこんな問題も出されています。
3つの場所(東京都、和歌山県、兵庫県のなかに星印)の共通点は?
東京都、和歌山県、兵庫県から共通点を見つけるという意味では「不確定性」があります。
しかし、もしも似たような問題(例:日本では東京都、和歌山県、兵庫県でのみ見ることができる動物は?)を見たことがあるとすれば、たちまち「確定性」の高いクイズになります。
逆に「競技クイズ」の世界でも、こういう問題が出されています。
女性が掲載されていてもこの様に呼ばれる、存命中の有名人や会社役員などの情報をまとめた冊子の事を何というでしょう?
同じ切り口の表現を見たことがあれば、たんに反射神経が問われる早押しクイズです。
しかし、もし見たことがなければ、「女性が掲載されていても」という表現のニュアンスから答えを推測しなければなりません。
ここには「不確定性」をともなうプロセスがあるといえます。
「競技クイズ」は「確定性」が強く、「ソウゾウ脳」のクイズは「不確定性」が強いと大雑把にいいましたが、あくまで程度の問題なのです。
4.
さて以上をふまえて、クイズにおける「ソウゾウ力」、すなわち「想像力」と「創造力」とは何か。
それは、未来の「不確定性」に対応していく力ではないかと思います。
高校生クイズの公式サイトにはこう書いてあります。
ソウゾウ(想像×創造)して未来を切り拓け!
過去に起こったことはゆるぎなく「確定」しています。しかし未来に起こることは「不確定」です。
ならば「ソウゾウ力」を駆使するのに過去の知識はいらないか。そうではない。
ある意味では「競技クイズ」どころでない膨大な過去のデータベースを参照することが求められるでしょう。
すでにある知識をベースに想像を働かせて、いまだない知識を不確定な未来へむけて創造していくプロセス。
そのなかに、われわれは「ソウゾウ」性を見出すのではないでしょうか。
そしてあえていえば、この「ソウゾウ」的プロセスこそ、クイズという娯楽がもっている極上のポテンシャルではないかと、私は思うのです。
(終)
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?