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人よ怒れ、そして不機嫌に身を委ねろ
「自分の機嫌は自分で取る」とよく聞く。
そのフレーズを聞く度、ちょっとしたモヤモヤと小さな怒りを飲み込みつつ、いい歳の大人なので適当に流すけど、しんどい風潮だなぁ生きづらさ感じる人おるやろって内心では思ってる。
いきなりのカミングアウトになるが、私は精神障害者手帳1級である。
18歳から精神科のお世話になり、42歳の今に至るまで、まー色々なことがあり、人間を信用できなくなったり、何度も死のうとしたり死にかけたりした。
ここ数年は他の病気を複数抱えたり、家族の問題、仕事のストレスがあって、完全にポッキリと自分の中の「何か」が折れてしまった感覚がある。(病気の話は追って細かく)
そうすると「自分の機嫌は自分で取る」とかの「自己責任論」が聞くだけでしんどいし、それを当たり前と他人に言われることに違和感を持つ。
みんな、しんどない? 私はしんどい。
難治性うつ+内分泌疾患ありなので、しばしば感傷的になる。
悲しみや落ち込みに関しては割と「そういう周期だ」みたいな割り切りができるのだけど、無性にイライラする、訳も分からず怒りが止まらない時は自分でも困惑する。
自分が自分じゃない感覚は自覚してるんだけど、どうにも止められないし止まらない感情の荒ぶり。切り立った崖の上で棒きれ振り回してわめいてるイメージ。
泣きながら「こんなの自分じゃない!」と自分にも激怒する始末。
そんな時に精神科を受診し、診察室で泣きながら醜態を晒している私。
そんな、きったねえちい○わ状態の私に、先生はいつもの通りの穏やかな対応でこう言った。
「それはね、今までたくさん理不尽な思いを経験してきたから当たり前の反応ですよ」
その言葉を聞いた時、私は「そりゃそっか」と妙に納得してしまい、あんなにごうごう燃え立てていた怒りの炎もしゅんと小さくなっていった。
結局、その後頓服を出してもらいつつ、アドバイスに従って過ごして事なきを得たし、以後も同様の状態になった時も慌てず対処できるようになった。
先生のアドバイスはこうだった。
「怒りも大事な感情のひとつだしネガティブなものじゃない。ただ、出し方とか発散方法は一緒に考えていこうね」
今でもこの出来事を何度も思い出しては一人で頷いている。私の中では人生における結構なビッグバンだった。
で、本題の「自分の機嫌は自分で取る」という言葉である。
これは言葉としては納得できるしそうだねって思うのだけど、それを他人に言ったり、社会の常識として根付いているのには個人的には危ないなぁと思う。
正論パンチとは違った危険性。ポジティブの強要? 同調? みたいな妙な連れションみたいな感覚。
人間だもの、そりゃ怒る時もあるし、不機嫌になる時もある。
しかもそれが理不尽な理由とか他人が理由だった時に「自分でどうにかしろ!」とか言われたら、そりゃ棒きれも振り回したくなるものだ。
喜怒哀楽。それってどれも大事な感情だと思うし、一概にポジティブが素晴らしいとは私個人は思えない。
ネガティブだからこそ生まれる「何か」もあると思うし、感情の善し悪しって他人が決めるものでもない。
それに、無理矢理フタをしたモノって、結局最後は封じ込めた時より大きくなって爆発したり、その結果必要以上に自他共に傷つけてしまうこともある。
と、思うので、私は「自分の機嫌は自分で取る」という言葉はある意味での「呪い」だと思っている。
たまには怒りも我慢出来ない時だってある。だって人間だもの。
理想として清濁併せて飲み込みたいけど、ハチワレが毛玉吐くみたいに「何か」を吐き出すこともある。
以後、私はイライラが止まらない時は、手段として単純作業をするようにしている。
編み物とか、整理整頓・断捨離、PCのデータ整理とか、考えないで行える反復作業だ。
一番いいのは散歩だけど、もう外に出るのも億劫、街ゆく人の何かが自分の「怒り」になる、みたいなこともあるので、上記の手段プラス踏み台昇降運動かその場で足踏み5分とかしている。
そうすると段々興奮していた脳みそが収まっていく感覚がある。
多分、脳みそを動かさず身体を動かす手段がいい。
それでも「怒怒怒ー怒・怒ー怒怒!!!!!」みたいに止まらない時はパン生地を捏ねます。怒りから生まれる産物は温かい飲み物と一緒に摂ると落ち着きます。
あと、なるべく「怒り」を「他者」に持った時(何かの関係性がある人。友人知人家族仕事相手など)、その場で伝えるように心がけている。
その時は一度深呼吸(イメージだけでも)してから、どういう言動が原因で自分が今許せないなと思ったのかを話す。イメージはプレゼンで、なるべく簡潔に、だけどゆっくりと伝わるように落ち着いた口調で、を心がけている。これは先述の先生のアドバイスからだ。
相手はそれで納得して解決する時もあるけれど、それでも伝わらなかったり、逆にキレ返されたりしたら「あ、この人は違う星で生きている人なんだ」と思って、以後はいい意味での間合いを取る。
これは互いのためにもなるし、ネガティブなものではないと思う。合う人もいれば合わない人もいる。それだけの話なので。
現代社会、生きていくの正直しんどいよね。
何がしんどいって、しんどい! って言いづらい、謎の「空気」よ。
ポジティブでかわいく美しく、明るくあるのが理想、みたいな。
ネットも仮想空間から拡張社会になって、映えとかフォロワー数とかでカースト決めたり。正直そんなん個人的にはどうでもいいんですわ。
楽しいと思うことをやってるのに勝手にラベリングすな。
多くの人が自分の機嫌が自分で取れなくて、苦しんだり悩んだりしてる気がする。
だからこそ、私は言いたい。
「人よ、怒れ。そして、不機嫌に身を委ねろ」
怒りや不機嫌を吐き出し、乗りこなした先で、またたくさん笑ったり楽しんだりすればいいんだから。あまり無理しないようにね。お互いに。