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刹那的な私

さっきのエッセイのシメの続きになりますが、

私は刹那的だ。

この一時は一生続かないと思う。
日常の繰り返しとか思わない。

この先、何が起こるかわからない。
いつでも、それに対応できる状態でいようとか思う。

何故は、人はそんな半年先の予定から
どんどん埋めていくのかと思う。

イベントの仕事が毎週、毎日、違うチームで仕事をする。
単発の子もいる。
「それじゃまたご縁があればよろしくお願いします」と別れる。 
どんなに楽しくみんなで頑張っても。
いつ会うかわからない。

どうせ・・という思いより、
どれだけ記憶に残れる人間になっていくか。


刹那的な別れは死だろう。
大抵の人が最初に経験するのが、祖父母だろう。
小6の時、私も一緒に暮らしていたおばあちゃんだ。
強烈だった。

娘たちにとっても、おじいちゃん、私の父だろう。
娘達が年少と小1。
今、祖父母の葬式のために、子どもを預けてしまう親がいるが、参加させてあげる方がいいと思う。
下の娘を育てるのは大変だったけど、下の娘は厳粛にしていた。
ぐずれば、会場を出れば済む事なのだから、人には死が訪れる事を、
どうやって死んでいくかを知る機会だと思う。
動物を飼うのもいいが、
心を通わせた親族の葬式には参列させて欲しいと思う。

引っ越しも9回してが、母は20回していて、新築に3回目で落ち着いている。
私も、まだ引っ越しはあると思っている。
周囲は一生、ここに住むイメージでいるようだ。
そんな老後を迎える気はない。

自分に何が起こるかわからないだけでなく、
家族も動く。

人の心も動く。
私の心も動く。

死に方が勝負だ。

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なゆた
ごめんなさい。詩に夢も憧れもありません。できる事をしよう。書き出すしかない。書き出す努力してる。結構苦しい。でも、一生書き出す覚悟はできた。最期までお付き合いいただけますか?