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「今日も音楽に救われて僕は生きてる」AZKi『エンドロールは終わらない』への解釈。
お世話になっております。かまたけと申します。私のnoteでは主にホロライブに関する楽曲・MVへの個人的な解釈や感想を中心に投稿しています。今回の解釈投稿はあずきちことAZKiさんの『エンドロールは終わらない』になります。AZKiさん(以下あずきちと表記)と言えば2024年9月17日・18日に豊洲PITにて開催される追加公演「声色エントロピー」が決定しています。
余談ですが、私も8月3日のライブに申し込んで落選で、今回18日の方で当選していたので追加公演はありがたかったです。それに追加公演でしかも2日間開催ってめちゃくちゃ凄いことですよね。
しかも豊洲PITということでホロライブゆかりの地でもあります!今回はそんなあずきちの『エンドロールは終わらない』に対する個人的な解釈を書き込んでいきます。それではよろしくお願いいたします。
はじめに
楽曲紹介『エンドロールは終わらない』
『エンドロールは終わらない』は2023年7月2日にリリースされた楽曲で、YouTubeにはMVも投稿されています。この楽曲をひと言でまとめると「あずきちの軌跡を音楽で描いた楽曲」なのではないかと思いました。
というのも「個人的に注目してほしい歌詞やメロディはありますか?」という質問に対して「最高な日も 最悪な日も 音楽と共に刻んできた」という『エンドロールは終わらない』の歌詞を取り上げていました。
そして続けて「過去の自分に、辛かった自分に投げかけるような言葉や、今までやってきたことって間違いじゃなかったよねということを確認する曲」と答えていました。頑張ってきた経験を、そこに対する想いを描いた楽曲。そうした意味で「あずきちの軌跡を音楽で描いた楽曲」だと解釈しました。
なによりその苦労はルートαから終わりの先を目指すルートβ、そしてイノナカミュージックが終了し、ホロライブに所属後、【ルートγ】が開拓され、2023年10月4日にメジャーデビューが決定し、今も活動を続けているという紆余曲折の道を歩かれているんですよね。
さらに『The Last Frontier』という楽曲まで触れると…とそろそろ私のオタクが出てしまうのでここまで。こちらの楽曲についても配信リンク【振り返り】#hololivefesEXPO24 &5th fes. ありがとう!2日間を振り返る!【ホロライブ / AZKi】を貼っておきますので、ぜひご覧ください。では、歌詞の解釈に移ります。
「エンドロールは終わらない」
Lyrics/Compose : 瀬名航
Illustration : さわ
Movie : ONdaYuki
音楽と共に歩んできた
このまま終わってしまえば…なんて
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扉の向こう繋いで 生まれたはずの世界は
思うよりずっと難しくて 夢が零れた
伝えたいことなんて いくつもありはしないから
儚く脆い僕の声は 掠れて揺れた
「扉の向こう側」とは「Vsinger」として歩んでいく道が続いている世界のことで、その世界は思うよりも難しいものだった。「伝えたいことなんて いくつもありはしないから」という歌詞。これ初めて聴いた時、みきとPさんの『僕は初音ミクとキスをした』の「伝えたい事なんて 実は少ない事を 後ろめたく思いながら」という歌詞を思い出しました。
たくさんあるわけではないけれど、「これだけは伝えたい。」というひと言があるのかもしれない。あるいは「伝えたいことは少ないけれど、音楽はやっていたい」という想いなのか。色んな解釈ができる言葉です。
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三度目の何とかだって 続ける意味を探して
未開拓だった旅の先
これでいいと、よかったと、そう言えるまで。
「三度目の何とかだって」とあえて言いきらないのが良い。「三度目の..なんだっけ…?」と何度も思い続けたからこそ疲れて忘れてしまったいる状態というか、もう何度も挑戦し続けてきたんだよというメッセージを個人的には感じます。
「未開拓だった旅の先 これでいいと、よかったと、そう言えるまで。」は未来に想いを馳せるあずきちの様子が思い浮かびます。最終的に報われるか分からないけれど、「歌い続けて良かった。」と言えるその日まで走り続ける。そんな覚悟が感じられる歌詞です。
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このまま終われば誰かの美談として消費されていくでしょうか? ずっと後悔ばかり思い出す日々を 背負って笑う“今”だ
「このまま終われば誰かの美談として消費されていくでしょうか?」は刺さりますね…。報われるか分からない活動を続け、ここで辞めてしまえば「頑張ったよな」と誰かのひと言で終わらせてしまうことだってできる。こういう人もいたよなと過去の人物として留まってしまう。それは嫌だよなって。
「ずっと後悔ばかり思い出す日々を 背負って笑う“今”だ」の「笑い」は自分への嘲笑だったりするのかなと。活動は続けているけれど、なかなか多くの人に聴いてもらえなかったり、上手くいかないことがあったり。そんな後悔を思い出しては自分をあざ笑ってしまう「今」だと。
この不安定さがリアルで私は大好きです。そして音楽は駆け上がり、サビに入ります。
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そんな悲しい顔をしないで きっと間違ってないから
間違いになんて絶対にしないよ
このサビには「過去のあずきち」へ「今のあずきち」が向けたメッセージなのかなと思いました。そして「間違いになんて絶対にしないよ」という言葉は今のあずきちの覚悟が感じられます。間違いだったと思わせないように、これからも頑張るからというまっすぐな想いが素敵です。
青く道を切り拓いていく
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すれ違いの一つ二つだって 気にしないように過ごしてた
青さの宿ったこの身体を愛してたから
何者にもなれなくて もがき続けた時間ごと
肯定できるかわからない わからないけど
挑戦の最中に誰かとのすれ違いや自分への迷いは必然のもの。けれど、それって青い=始めたばかりの特有のもので、それを感じられることがある意味あずきち的には嬉しかったのかなと思っています。
きっと始めなければ感じられなかった痛みだと思うから。それゆえの「青さの宿ったこの身体を愛してたから」という歌詞だと思います。
「何者にもなれなかった、けれどなりたくてもがいていた時間を肯定できるか分からないけれど」はとても共感できる歌詞です。誰かに音楽が届いて、認められて初めて「何者かになれる」。
自分のことをAZKiだと証明できる。そんなもがいていたあの時期を今の自分が肯定できるか分からないけれど…。ということで次の歌詞に移ります。
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辛ければ辛いほど 笑い話にもなるでしょう?
君の声だって聞こえるから
大丈夫だよ、大丈夫だよ…!
「辛ければ辛いほど 笑い話にもなるでしょう?」という「分からないけど」へのアンサー。実際そうかなって私の経験を振り返っても思います。高校であった辛いことを大学の友人に話すとき、大抵は笑い話にして話していますね(笑)それに「あの時期があったから今の私がいる」って思えたら最高ですね。
そして「君の声だって聞こえるから 大丈夫だよ、大丈夫だよ…!」の「君」は開拓者(AZKiさんのファン愛称)の皆様のことかなと思います。辛い事があっても、ファンの応援の声があるから、だから大丈夫だよ!というメッセージ。1人じゃないと思えたなら、ステージに立つ勇気も沸いてきます。
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最高な日も 最悪な日も 音楽と共に刻んできた
これが生き様だと呼べるなら 目的地なんて無い
僕は生きている
ここで「最高な日も 最悪な日も 音楽と共に刻んできた」というあずきちが取り上げた歌詞が来ました。どんな瞬間も音楽に寄り添ってきた・寄り添ってもらった・自分の気持ちを刻んできた。それが生き様なら、ゴールはないだろうと。これからもそうして生きていく、今も生きている。そうした「音楽と共に生きていく」というあずきちらしいメッセージを感じます。
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ごめんね
何度願い 何度滲み 何度怒り 何度嘘をついてしまったんだ こんなみすぼらしくて恥ずかしくて真面目過ぎる僕を
隠さずに晒すよ
「ごめんね」から「何度願い 何度滲み 何度怒り 何度嘘をついてしまったんだ」という歌詞。ここの謝罪は誰かではなく、自分自身へのものだと解釈しています。そして「こんなみすぼらしくて恥ずかしくて真面目過ぎる僕を 隠さずに晒すよ」と続きます。
ここの歌詞って要約すると不器用なありのままの自分で歌うよってことだと思いました。真面目過ぎて不器用でいると「誰かに責められるんじゃ」って思うことが私にはあります。
けれど、この歌詞はそんな自分すらも肯定しているようでここも自分の気持ちを音楽にのせるあずきちらしさが出ていると思います。
今日も音楽に救われて僕は生きてる
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ずっと誰にも言えないこの気持ちを吐き出してしまいたい
君を傷付けてしまうよ
初めて夢を描いた時からもう何年経った?
気付いたらみんな居なくなっていた
僕らは出会いと別れを繰り返していく
ただ時間が過ぎて終わりが来る
夢を追いかける過程、その最中には当然辛いこともあるわけで。それを今までひた隠し、笑ってきたけれど、正直なことを言わせて欲しい。それが次の歌詞に繋がってきます。
「初めて夢を描いた時からもう何年経った? 気付いたらみんな居なくなっていた」。夢を追いかける人間の誰しもが経験する痛みなのかもしれません。自分が夢を追いかけている間に同期は職に就いていたり、安定した地位についていたりする。
しかし、自分は未だに「青さ」を持って夢を追いかけている。そうしている間に周りから誰もいなくなってしまう。時間だけが過ぎて活動の終わりが見えてきてしまう。そうした夢を追いかける人間の「焦り」が感じられます。
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「これでいい?」「後悔は?」
後は自分で決めるだけだ
綺麗で歪な思い出を歌にしよう
何回でも そう何回でも 届けよう
そんな「焦り」に対して「これでいい?」・「後悔は?」と自問自答をするあずきちの様子が浮かびます。活動がいつ報われるかは分からない。後悔するかもしれない、立ち上がれなくなってしまうかもしれない。
それでも「自分で決めたことだから」と綺麗でだけど少し迷いも感じられる歪な思い出を歌にする。何回でも。誰かに届くよう歌い続けようという覚悟が感じられます。
活動者のリアルを歌っているようで、だからこそあずきちに関わらず色んな方に記憶に残る音楽なのでしょう。
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残酷な夢の世界で 誰かの歌が聞こえる
今日も音楽に救われて僕は生きている
「残酷な夢の世界」は生きている今の世界、誰かの歌はそのままの意味で取ればあずきちが活動していく中で聴いている歌のことでしょう。あるいは聞こえている人間が開拓者や我々ファンだとしたら。
この誰かは「あずきち」と捉えることができます。そうして誰もかれもが「今日も音楽に救われて僕は生きている」とこの曲を締めくくります。壮大な物語を読んだような、そんな感覚になりました。
「最高な日も 最悪な日も 音楽と共に刻んできた」あずきちだからこそ歌える最高の楽曲『エンドロールは終わらない』でした。
おわりに
夢を追いかける者へのメッセージ
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『エンドロールは終わらない』への解釈、いかがでしたでしょうか。あずきちが「過去の自分に、辛かった自分に投げかけるような言葉や、今までやってきたことって間違いじゃなかったよねということを確認する曲」と触れていましたが、まさにその言葉に当てはまる楽曲でした。そして「夢を追いかける」あなたにも刺さる楽曲だったのではないでしょうか。
報われるかどうかも分からない活動を続けることへの怖さ、本当にこのままで良いのだろうかという焦り、それでも続けていきたい・目標を叶えたいとする青い気持ち。夢を追いかける誰もが経験する悩みだったと思います。
あずきちはそんな悩みを抱えながらも音楽に救われながら活動し続ける道を選びました。諦めなかった答えがきっと今のAZKiなんだと思います。
そんなあずきちのライブ「声色エントロピー」に参加できることを心から嬉しく思います。私たちも未開の地を開拓できるよう、何かに救われながら生きていきましょう。それではまた次回!!