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分かり合うって「」。

 お世話になっております。かまたけと申します。私のnoteでは主にホロライブに関する楽曲・MVへの個人的な解釈や感想を中心に投稿しています。今回は解釈投稿ではなく、かまたけブログシリーズになります。最近対人関係で悩むことがあったり、嬉しいと思うことがあったり、学ぶことが多くて。そんな最近あった人間関係から学ぶエピソードをいくつか書いていこうと思います。みなさんの中でも当てはまるエピソードがあって、このnoteから何か持ち帰っていただければ嬉しいです。それではよろしくお願いします。


愛なんだ

見せたい、見せ合いたい

 私は大学で8人ぐらいのグループにいて、そこでよくご飯を食べたり、遊びにいったり、空き時間を共に過ごしています。その中でも特に趣味嗜好の合う友人が1人いて。VTuberはもちろん、彼はイラストを描くのが大好きで、アニソン・ボカロと私が聴く音楽の系統も似ていますし、本当に話していて楽しい友人です。しかし、彼は普段あまり8人グループの誘いにのらない人でもありました。どちらかと言うと1人や少人数で遊びたいタイプの人なようで、「分かるな~。」としみじみ。

 そんな中ある日「一緒にイラストレーターの個展に行こう。」と私を遊びに誘ってくれました。前から趣味嗜好は合う人だったし、絶対行きたい!と私もその誘いを受けて一緒に個展へ。一通り見終わって昼食中のこと。普段はおとなしい彼がこんな提案を持ちかけてくれたのです。「かまたけ君この後時間ある?もし良かったらカラオケに行かない?」と。正直ですよ、めちゃくちゃびっくりしました(笑)。え、この人カラオケとか行くのか??普段はあんまり行ってる感じしないけど…?しかも、2人だぞ?ハードル高くないのか??と頭をぐるぐるさせていましたが、歌うのは大好きなので「行こうよ!」とその誘いを受けました。結局ですが、その友人は90点台を連発させ、最高に歌の上手い人だということが分かりました(笑)。めちゃくちゃ楽しかったですね。なかなか普段は気軽にVTuberの楽曲も歌えないので。

 今回のオチで言いたいことは「普段なかなか見せない一面を見せてくれたこと」でしょうか。それがとにかく嬉しかったという話です。人間関係の良いところかなって。2人の時にしか出せない独特の空気と言いますか、話せる内容だったり、できることだったり。それをその友人と分かち合えたことは嬉しいことでした。今回は相手が新しい一面を見せてくれましたが、今度は私から見せてみようかなと。本当は作詞・作曲とかしていつか楽曲提供とかしてみたいって話。まだ誰にも言っていないのでいつか言えたらなと(笑)。異性・同性関係なく、2人にしか出せない空気感というのはきっとある。その時間を大切にしたいです。

言葉は選びたい

 少し前、自分にとって悲しい出来事がありました。簡単に言うと誹謗中傷を受けたという感じでしょうか。あれはかなり辛かったです。元々苦手な相手からのひと言だったので、ますます苦手になる一方で人間関係に悩みました。これから先も恐らく付き合っていくのに、どうやって分かり合えばいいんだって。

 結論から言うと「苦手な人なんだけど、できれば分かり合いたい。」という考えが私の中ではあります。嫌いな人、苦手な人って絶対いると思います。でも、そういう人を見る時に自分の目が相手の嫌なところばかりを見てしまっているのかなって。だから分かり合う手段を考えたい。できれば良いところも見つめてその上で苦手化どうか判断したい。でも、それが難しい(笑)。判断する前に健康を害するようなことがあれば離れてしまっても良いのかなって。

 お互いに譲れないものがあって、主張があるからぶつかってしまう。どちらかが折れる手段を取るしかないのか…。自分は「それでも分かり合いたい」と思っていても相手は決してそうとは限らない。分かり合いたいのも結局は自分の主張にすぎないんですよね。相手からすると「そんなの知るか。」って感じだと思うので。

 だからこそ、苦手な人もそうですが、人と話す時に使う言葉は選んでいきたいなって最近は思います。そのひと言で相手が傷ついてしまうかもしれないから。少なくとも自分はそうだったから。だから自分と同じ人を増やさないためにも相手の気持ちをよく考えて言葉を使いたいと思います。

 ほとんど「苦手な人と分かり合う」ことについて書いてしまいましたが、その経験から思ったことが「言葉の使い方」って感じですかね。できるなら相手を思いやって言葉を使いたいです。

届けたいのは優しい言葉

 先ほどの続きにもなるのですが、今回の傷ついた1件を家族と友人に相談した時のことです。苦手な人の話をする時ってどうしても愚痴っぽくなってしまうというか。その愚痴を誰かに届けてしまうのが嫌だなって話です。

 愚痴を聞く時って相手に寄り添うことが前提ですが、それも頻繁にあると疲れてしまうじゃないですか。だから私もできる限り言わないようにはしていました。愚痴を話す、届けてしまうことは相手の心を汚すことにもなるし、空気も悪くなる。だから届けたいのは優しい言葉なんだって最近は思うようになりました。できる限りプラスな言葉を届けて相手と楽しく話していたい。

 でも自分が愚痴を聴く側になったときは「できるなら話して楽になって欲しい」と相手には思うんですよね。だから結局はお互い様なのかなって。相手に迷惑かけて、かけられて。その積み重ねが人間関係を作っていくのだとしたらそれも悪くないなと思えます。

 難しいですよね。難しいですけど、それで生まれるドラマもあるから、関係が深まるから頼ることもやめられない。昔高校の担任に言われました。「人は独りでは生きていけないからね」って。当時はよく分かりませんでしたが、今ではそれが少し分かります。

怒りの使い方

 先日久しぶりに怒った出来事がありました。もう10年以上付き合いのある友人が私にはいるのですが、その友人が「話がある」と連絡してきました。飲食店に行くなり、彼がその内容について話します。簡単に言うと所属していた組織から彼がクビになったという話でした。その理由が明らかに本人が悪いのにも関わらず、「俺は悪くないけどな」と言い訳を並べながら「むしろクビになって清々したわ。」と自信満々にその話を進めていきました。

 その態度にどうしようもなく怒れてきてしまったんですよね。私は普段怒ることが面倒くさくてほとんどのことは「いいよ(笑)」のひと言で通していました。そんなに怒る出来事も少ないですし。でも今回は違いました。10年以上付き合いのある友人が間違いを犯したことに反省の色がない。その態度に私は生まれて初めて人に説教をしました。

 その時に初めて「俺って人のために怒れるのか」と気づくことができました。むやみやたらに怒ったりもしませんが、誰かを想う時にこそ怒りの感情は使っていきたいなと。大事な人が道を踏み外した時、踏み外しそうになった時、しっかりと怒れるような。説教と言う行為を優越感ではなく、ちゃんと相手のことを心から思ってできるような。怒りなんだけど、その本質は優しさでありたいと思える人間になりたいと今回の1件から思いました。

後悔は愛情に

 今回最後のお話になります。私には1年ほど口を利かず、連絡も取っていない人がいました。その人とは喧嘩別れとなってしまい、ずっと心に後悔を残したまま生きていました。大学に行くまでの時間、アルバイトのふとした瞬間、信号待ちの時間、犬の散歩の時間。そんなちょっとした瞬間にその人との1件を思い出しては後悔していました。「あの時何でああいうこと言っちゃったんだろ」って。自分のことを応援してくれる人だったのに。

 そんな大事な人がいたのですが、先日その人の誕生日のことでした。私はその人に連絡をしてみようと思ったのです。「お誕生日おめでとう」って。悩みに悩みました。相手にメッセージを伝えたらどんな反応をするか分からないのは当然です。分からないからこそ「誕生日に俺から連絡が来たら嫌かな。相手にとって最悪の誕生日になるんじゃないだろうか。そもそも連絡も通じないのではないだろうか。」と良くない憶測が頭を駆け巡ります。それでも伝えたいと思ったんですね。大事な人だから。

 それで一生懸命文章を考えて、相手に送信しました。その時「あの時はごめん」という言葉は入れなかったです。私が謝罪するための連絡ではない。これは相手の誕生日を祝うための言葉なのだから。嫌な思いをするかもと「返事はいい」という言葉も添えました。この時点でもかなり私の面倒くさい一面が出ていますね(笑)。

 そしたら返信が返ってきて。「覚えててくれた上にメッセージまでありがとう!かまたけも大学生活頑張ってね!忙しいと思うから、返事は大丈夫。」という言葉が添えられていました。なんだ、普通に話せるじゃん。後悔が消えていくのを感じました。それから私から「○○は元気だった?嫌な思いとかしなかった?」と思わず聞いてしまうと「元気だよ!かまたけは?」とまた返事が返ってきました。聞いてくれるのか….と。

 みなさんには喧嘩別れになってしまったけど、また話したいと思う人はいますでしょうか。相手に連絡したいと思っても「嫌じゃないかな」とマイナスな気持ちが巡ってしまう経験はあるでしょうか。私にもありました。けど、気づきました。それも結局は憶測だなって。相手がどう思っているかなんて連絡しないと分からないなって。今回の1件から思いました。私たちに足りなかったのは「対話」だったのかもしれません。そんな簡単なことにプライドや憶測が邪魔をして辿り着こうとしていなかったことに今になって気づきました。素直な気持ちが関係を修復するために必要なモノでした。分かり合う手段を本当は知っているのにそれができなかった。でも、久しぶりに話してみたら、言葉を選んだらちゃんと対話することができました。

 もう1つ気づいたことがありました。相手の名前を呼べることってこんなに嬉しいことだったのかって。そういう気づきもありました。前まであたりまえのように呼んでいた名前があの日から呼べなくなった。けれど、1年の時間を経てお互いの名前をまた呼べるようになった。その瞬間を嚙み締めることができました。何よりも相手が心身ともに健康でよかったです。それが分かれば、この先も頑張れるような気がします。これから思い出すその人は「私を責め立てる人」ではなく「私を応援してくれる人」に変わり、そして後悔の気持ちは「これからもあの人の味方でいたい」と思う愛情に変わりました。また連絡を取るか分かりませんが、相手の健康を祈りながらも私も少しずつ前に進もうと思います。

おわりに

出会った縁が、人を育てる教師になる

『暗殺教室』第118話

 「この世で出会った全ての縁が、人を育てる教師になる」。みなさんはこの言葉を聴いたことはありますか。この言葉は『暗殺教室』第118話に登場する殺せんせーのひと言です。私が体験した近頃の出来事は全てこの言葉に当てはまっているのかなと思います。苦手な人も反面教師としては私にとって学びになっている。趣味嗜好が合う友人も、家族も、10年以上付き合いのある友人も、喧嘩別れになってしまったあの人も。どの人も私に大きな学びを与えてくれています。そう思うとどんな人間関係も大切にしたいなと思います。そのために私たちは人に寄り添っていかなければいけない。だけど、それが難しい。今回の記事タイトルは分かり合うって「」になっていますが、「」には読んでいただいた読者のみなさまの言葉を入れて欲しいと思っています。難しいでも楽しいでも疲れるでも嬉しいでも。それほどに複雑なものでもあると思うので。ということで今回は最近私が体験した人間関係から学んだこと・気づいたことを書いてみました。今回この記事を読んだ「あなた」にも私との縁から何か学びがありますように。それではまた次回!!


 


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