![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/153457264/rectangle_large_type_2_3ffec24f7c4f39de6651b337ad803df3.jpeg?width=1200)
「ココロの弱さを見せること 存外悪いコトじゃない」湊あくあ『キズナトキセキwith hololive JP』への解釈。
お世話になっております。かまたけと申します。私のnoteでは主にホロライブに関する楽曲・MVへの個人的な解釈や感想を中心に投稿しています。今回の解釈投稿はあくたんこと湊あくあさんの『キズナトキセキ with hololive JP』になります。
湊あくあさん(以下:あくたんと表記)と言えば2024年8月28日に卒業ライブを実施し、伝説のアイドルとなって卒業したことが記憶に新しいと思います。たくさんの歌ってみた・オリジナルソングが公開された中で、私が特に印象に残ったのが『キズナトキセキ with hololive JP』でした。
あくたんの6年間が詰まったような最高の楽曲。本日はこちらの歌詞に対する個人的な解釈を書き込んでいきます。それではよろしくお願いいたします。
はじめに
楽曲紹介『キズナトキセキ』
『キズナトキセキ』は2024年8月27日に公開されたあくたんとホロライブJP全員で歌った卒業ソングとなっています。この楽曲はひと言でまとめると「あくたんの6年間の集大成」だと考えています。あくたんの成長を歌い、6年間で紡いできた仲間との絆を表すようにホロライブJP全員が歌い、MVにも全員が出演しています。
このMV何が良いってホロメン全員が笑顔なんですよね。誰ひとり涙の表情を浮かべていない。そんな表情にあくたんを送り出す様々な気持ちが込められていると思います。おかげでホロライブを視聴するホロリスの皆さんも笑顔で送り出せたのではないでしょうか。では、楽曲情報の後、解釈に移ります。
湊あくあ「キズナトキセキ with hololive JP」
■Vocal 湊あくあ
■Guest Vocal hololive JPのみんな
■Music/Lyrics おぐらあすか(Hifumi,inc.)
■Mixing Engineer NNZN
■Director 山下 諒
■Producer 橋本 雄大
■Project Manager 鉾立颯春
■Illust(Minato Aqua)
藍飴
ひがしの
やじまり
なつはかせ
■Supervisor(hololive Member)
焼豚乃泪
■Illust(hololive Member)
翠
石井
渡部
末田久
朝陽
白夜
大崎
鯨蛸
焼豚乃泪
■Movie
ねびる(RE:LY)
よしだなすび
オオナミ ナギ
葵依れな
山下 諒
■Manager 廣井結実(Hifumi,inc.)
■Animation Director ユイ タケシ
■Animation
dou(RE:LY)
かやの(RE:LY)
ゐしだ
■Logo Design 後藤 遥香
■Jacket Design 猪狩 葵
■Special Thanks Ryusei
黒田ほたる
おげん
紡いだキズナ、出会えたキセキ
永遠はない、だから伝えたい
![](https://assets.st-note.com/img/1725717554-oWAlIsPvNK1fD3mUCuwXxSZR.jpg?width=1200)
明日も明後日もきっと
ひとりじゃ辿り着けない
ナミダの数の想いだけ
伝えたい
明日も明後日も一人では辿り着けない場所がある。あくたんが6年間の活動を通して色んな出会いがあったからこそ光る歌詞。そして「ナミダの数の想いだけ 伝えたい。」という歌詞。これって涙を肯定的に捉えていて、決して悲しみからくる涙ではないということを表現しているのだと考えました。
ここまで頑張ってきたから、努力してきたから、たくさんの思い出をもらったからこそ流せる涙がある。流せる涙の数だけ伝えたいことがある。そんなメッセージが込められているんだと思います。
![](https://assets.st-note.com/img/1725717735-ZweKafuL7HDpQGJ3ijgBSokO.jpg?width=1200)
あの日始まったキズナ結ぶ戸惑いの日々
気が付けば近付くココロの距離
上手く紡げないコトバ だけど不器用なりに
歩いてきた軌跡 巡る 奇跡
「近付くココロの距離」や「上手く繋げないコトバ だけど不器用なりに」という歌詞がとても「あくたんらしい」と感じました。本人も人と話すことが苦手だと配信で語っていました。けれど、近づきたい、仲良くなりたい。不器用なりに関係を深めようとする彼女の姿が浮かびます。そして度々登場する「奇跡(キセキ)」という言葉。
なぜこの言葉がよく使われているのかと考えたときにある配信を思い出しました。それが【#湊あくあわかり手選手権 】湊あくあについて一番知ってるのは誰だ!?【湊あくあ/ホロライブ】という配信。
この配信の33分37秒あたりで「湊あくあの長所は?」という問いへの回答にあくたんは「運がいい」と答えています。もしかするとあくたんはホロメンと出会えたことも「運がいい=奇跡」だと考えているのかもしれません。この話は割と私も読者の皆様にも当てはまることなのではないでしょうか。一期一会の縁も長く続く縁も大切にしていきたいですね。
![](https://assets.st-note.com/img/1725717890-106OPkEtilIbm2hfjTFAyUsK.jpg?width=1200)
いつか枯れる運命でも(Don't lose yourself)
咲き誇る花でいたい
いつか褪せる想いでも(Going your own way)
まだ夢見たいから
「いつか枯れる運命でも」や「いつか褪せる想いでも」という少し儚い歌詞が出てきました。それでも咲き誇る花でいたい、夢を見ていたいという想い。これって「これからもみんなの心の中で生きていたい」っていう意味でもあるのかなと思いました。
咲き誇る花や夢を見ている(夢を追いかけている)状態は生きている証なのかなと。消えてはなくならない、誰かの心の中で湊あくあという存在があるのなら、それは生きている証とも言えるのかもしれません。
![](https://assets.st-note.com/img/1725717985-kprNA9tWFmM8ZchbTHxzK54R.jpg?width=1200)
そうでしょ?
明日も明後日も
きっとひとりじゃ辿り着けない
ナミダの数の想いだけ
ココロに(きっと)溢れてる
「ナミダの数の想いだけ ココロに(きっと)溢れてる」という歌詞。ここでも涙を肯定的に捉えている歌詞が出てきましたね。この卒業ソング、あくたんの笑顔で送り出すための最高の応援ソングでもあると思っています。
悲しい涙じゃなくて、6年間活動してきたからこそ流せる「うれしい涙」。その数だけココロに様々な気持ちがあふれてくる。リスナーの我々からは想像もできないほどにたくさんの愛が溢れているんだと感じます。余談ですが、2期生のこの1枚絵、泣きました。
![](https://assets.st-note.com/img/1725718144-DeHvFNbaQ52y0qGkZYTcKC4u.jpg?width=1200)
それでも
最後は泡のように
いつか消えてしまうのなら
伝え足りないキモチ
キミに届くように
そっといまに願う
永遠はない、だから伝えたい。「湊あくあ」がここに生きていたということを。たとえ最後は泡のように消えてしまっても、それでも誰かが覚えてくれているのならこれからも湊あくあはずっと生き続けていく。そのために言い尽くせないほどの言葉を伝えたい。そんなメッセージ性を感じます。
「バーチャルに死はない」と捉えることもできますが、そこは哲学ですよね。なにをもって「死」とするか。湊あくあにとっての死は卒業ではなく、その先で忘れられることかもしれません。
出逢いの意味は僕らが決めるもの
![](https://assets.st-note.com/img/1725718252-AhZ5Tl97wHtR1qSgOna2WQij.jpg?width=1200)
振り返れば痕跡(痕跡)
あの日見た可能性(可能性)
過去は未来の証明(証明)
ふいに重なる手と手
過去を振り返ること、そして生きた痕跡(過去)があるから未来でも生き続けられる。そんなメッセージが込められているのではないでしょうか。
![](https://assets.st-note.com/img/1725718381-MHNuvlsjUZdBoAcYDS84mrkI.jpg?width=1200)
ずっとうまく伝わらない
でもいつだって感じてたよ
きっと出逢いの意味は
僕らが決めるもの
来ました。私が『キズナトキセキ』の中で好きな歌詞の1つです。順番にいきます。「ずっとうまく伝わらない でもいつだって感じてたよ」という歌詞。うまく伝わらないという歌詞でもあくたんの不器用さが出てて、めちゃくちゃ良いです。
そして「でもいつだって感じてたよ」はホロメン・あくたんの両方が言えるセリフなのではないでしょうか。あくたん側にとっては「上手く伝わらないけど、心の中ではみんなのこと大事に思ってるよ。」という捉え方。
ホロメン側にとっては「あくたんが伝えようとしてること、なんとなくだけど、ちゃんと伝わってるよ。」という優しく、そして暖かい気持ちが込められているという捉え方。
「きっと出逢いの意味は 僕らが決めるもの」。この歌詞が刺さりすぎる。「出会わなければ、こんな悲しい気持ちになんてならなかったのに」じゃないんですよね。出逢えてよかった、出逢えたからこそ色んな思い出を作ることができた。
だから出逢いの意味は僕たちが決める。悲しいけれど、それだけじゃ終わらない。ここでも笑顔で見送る、旅立つそれぞれの想いが感じられます。
![](https://assets.st-note.com/img/1725718468-3IqdArV6zcjaNWE2bGlQK4of.jpg?width=1200)
そうでしょ?
明日も明後日も
大げさな未来じゃなくても
ナミダの数のキズナで
これから(ずっと)幸せです
「大げさな未来じゃなくても、ずっと幸せです」。率直にめっちゃ良い歌詞だなと。幸せに感じられるのは6年間の思い出があるからなんですよね。あくたんにとっては卒業後の最高のお土産なんだと思います。
これ自分が大学を卒業するタイミングでも言いたいなって。卒業後の未来が毎日特別な日々じゃなくても、たまに思い出を振り返って「幸せだな」と言えたら最高です。
![](https://assets.st-note.com/img/1725718551-MiQx1bFUmh3LzWwBeVCcrl27.jpg?width=1200)
それでも
泣いたり笑ったり
傷付くこともあるでしょ?
これまであったキセキ
いつも思い出して
ただ毎日幸せに生きていけないのが人生なんですよね(笑)どうしても些細なことで傷付いてしまう。ふとしたタイミングで嫌なことを思い出してしまう。私にもあります。通学中とか、寝る前とか、バイト中とか。あくたんにもそんな時間が来てしまうのかもしれません。
それでも、「これまであったキセキ いつも思い出して」というホロメンからのメッセージのような歌詞に心温まります。もちろんあくたんが居なくなった後の「ホロライブ」にも言えるのかもしれません。あくたんがいなくなっても、「私との思い出を思い出して!」というメッセージとも取れます。泣けます。
サヨナラはキズナのいつか辿り着く終着点
![](https://assets.st-note.com/img/1725718643-mchQT09vjU4HGfJW8ZuwylDo.jpg?width=1200)
触れ合う度近付く奇跡
巡り合えたキミとの軌跡
すべてはここから始まる
不器用ながらも、勇気を振り絞って様々な活動の波に飛び込んできたあくたん。でも、その勇気があったからこそ出逢えた仲間がいる。踏み出したからこそ始められた時間がある。そんなメッセージ性を感じられます。
![](https://assets.st-note.com/img/1725718783-P6qRMmoCr5e4GabUj1Xl7wxu.jpg?width=1200)
ココロの弱さを見せること
存外悪いコトじゃない
6年分の笑顔を
ありがとう
「ココロの弱さを見せること 存外悪いコトじゃない」。この歌詞が個人的には一番好きです。この歌詞って言葉を選ばずに言うと「あくたんの6年間の成長を表した歌詞」だと思うんですよ。
活動を始めた当初は人を頼ることを恐れたこともあったかもしれない、話かけることに臆病だったかもしれない、上手く人を信じられなかったかもしれない。そんな弱さを見せることを「悪いコトじゃない」って言えるこの歌詞。個人的には『キズナトキセキ』の中では1番好きですね。そして「6年分の笑顔を ありがとう」という歌詞でラスサビへ。
![](https://assets.st-note.com/img/1725718885-d3opZvs7tizYQk5xAgqCV918.jpg?width=1200)
これまで
積み重ねたキセキ
想い溢れ出して無限大
揺るぎないものひとつ
コトバじゃ(きっと)伝えられない
「コトバじゃ伝えられない」。本当にこのひと言に尽きるんだと思います。あくたんにとって、これだけは言えるってことが「これまで支えてくれた全ての人への感謝は言葉だけじゃ伝えることができない」ってことなのかなって。
![](https://assets.st-note.com/img/1725718971-Ur3VwbgzeD8KIW2GJkxS67ZH.jpg?width=1200)
それでも
サヨナラはキズナの
いつか辿り着く終着点
昇る日が沈む様に…
夜に染まるように…
だから永遠を願う
「サヨナラはキズナのいつか辿り着く終着点」。この歌詞も大好きです。「サヨナラ」は「またね」と違ってもう二度と会えないことを暗示しますからね。割と寂しいひと言ですが、この歌詞はそうじゃない。
「出逢えたことがキセキで、それが嬉しくて、思い出で紡いだキズナの最終地点」。そう捉えるとこの「サヨナラ」は決して寂しいものではないのかなと。思い出が心に詰まった人が言う「サヨナラ」にはそれだけの暖かさがある。それを教えてくれる素晴らしい歌詞だと思います。
そして終わりを告げるように「昇る日が沈む・夜に染まる」という歌詞が来る。しかし、先ほども書いた通りそれは決して寂しい終わりではない。「たくさんの思い出をありがとう!」という言葉を残して笑顔で旅立っていく彼女の姿が浮かびます。
旅立った後も彼女は「永遠を願う」のでしょう。卒業はしたけれど、みんなの心の中で「湊あくあ」という存在を覚えていて欲しい。それがきっと「永遠」になると思うから。
『キズナトキセキ』には笑顔であくたんを送り出すという「応援」の気持ちとずっと覚えていて欲しいという「永遠」を願う2つのメッセージ性が込められているのではないでしょうか。
おわりに
語り継ぎたい、伝説のアイドルがいたことを
![](https://assets.st-note.com/img/1725719051-TeGu3VCQaYd5fAvRlP9z47WJ.jpg?width=1200)
『キズナトキセキ with hololive JP』への解釈、いかがだったでしょうか。あくたんの卒業ライブを見た後で思いますが、本当に最高のライブでした。私がホロライブを本格的に見始めたのは昨年の12月からですが、歴に関係なく泣きました。
実はホロライブの楽曲で初めて知った曲が「未だ、青い」でした。卒業ライブで聴けた時はホロライブを知り始めた当初を思い出しました。通学中に「死にたいなー。」と思わなくなったのはある意味あくたんのおかげでもありました。(こちらの事情につきましては「ホロライブに人生を救われた大学生の話」からご覧ください笑)
だからこそ、私がホロライブを知った歴史を語るうえで「湊あくあ」って存在は欠かせないなって。これからも誰かに「なんでホロライブ好きになったの?」って聞かれたらおそらく湊あくあの名前は出すんだろうなって。
そうやって伝説のアイドルを語り継いでいきたいですね。押し付けるように布教するのではなく、ほんとふとしたタイミングで。何度でも言いたい、「最高の思い出をありがとう!」。
最後になりましたが、いつもホロライブコンテンツに関わる全ての皆様には頭が上がりません。いつも楽しませていただいています。読者の皆様も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。では、また次回!