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大 文 字

まだ  京都の夏が本気を出していない
5月 吉日 快晴  午前11時
銀閣寺前 集合  "大文字"  を目指して出発

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五山送り火 大文字を 「大文字焼き」などというと
京都の人は「焼きと違う〜!」と
鬼の首を取ったように言わはります
けどね
一昔前の人に聞くと「昔は大文字焼き言うとったけどなぁ」と
史実的に見ても”大文字焼き”と呼ばれていたそうで
”送り火” と呼ぶようになったのは明治以降の話らしい

送り火については → https://souda-kyoto.jp/travel/life/gozan.html

京都市内の小学生はほぼ遠足でここに登る
うちの子供は保育園時代から登っており
大文字に登る時はだいたい”火床”と言われる場所を目指す
京都名所であろう 火床からの展望 ↓ ↓ ↓

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火床よりさらに上が山頂で もう一息の距離
山頂からは東山方面を見ることができる
山巓で深呼吸して お昼休憩を取る 別名 酒宴とも言う

下山は蹴上方面へ下るルートを取り 南禅寺を目指す
蹴上方面のルートは崖の急な道になっており登るのがきつい
しかし このルートを下るのはお勧めである 道として面白い

途中道がいくつも分岐しており 分岐のたびに (遭難注意)
「今のは人生の分岐点やったな」などと崖を下り進める

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山中に定期的にあるこの石碑が何なのか? ↑
ご存知の方がおられたらご教授願いたい

南禅寺方面へ下っていると墓地が現れた
墓石はキリスト教徒  のものと思われる形状をしていた
十字架の形をしたものや 十字架を刻んだものなどなど
不思議な光景で 隠れキリシタン かと思いきや
”同志社 共葬 墓地” であった しかも ”新島襄” の墓がある

同志社大学は新島襄により創立され 
新島襄 が キリスト教の教育者だったためか
同志社大学には神学部がある 

卒業はしていないが岡林信康が
神学部だったと伝説のようにいわれている
フォーク伝説あるある

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このキリスト教墓地でひとしきり盛り上がり
下山口を出ると 永観堂の横に出た
目に鮮やかな紅葉に見惚れることしばし

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南禅寺を目指していると 用水路のような小川にて
あれっ コレ "シジミ" やなぁ
殻ばっかりやから生きてないやろぉ
いやいや 掘ったら土の中におるって
えぇ〜?  ほんまや、おった!

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下山後に 居酒屋で一杯飲んで 夕方解散が信条なので
某所へ持ち込み 味噌汁へ投入してもらった シジミの成れの果て
砂も噛んでおらず 臭みもない 味噌汁が ただただ沁みる・・・

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帰路の途中  松原鴨川から山を見ると
帰ってきたな感 が増す
山の端の あれに見えるは  大文字
あそこに登っていたのか
2020/05/17 sun

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