玉川からの電話

玉川からの電話

 「ああ、そうか、うん、わかったよ、ああ着替えたら向かうよ」電話を切ると辺りはいつも以上に静かな朝だった。寒くて寝床戻り煙草をつけた。これはもしかしたら世間が、奴の死を悼んで静かにしているのかもしれない。なんせ鳥さえ鳴かない。まだ大分眠気が残る頭で奴と初めて会った時の事を思い出す。

奴と初めて出会ったのはいつだったろう。もう何十年も前の気がする、しかしそんなに年月は経っていないはずだ。記憶ががさばるなんて俺も歳を取ったもんだ。苦笑いをし、近くの灰皿でたばこをもみ消し布団を出た。台所で顔を洗うとだいぶ頭がさえてきた。っさえてくると少しだけ記憶が蘇る。初めて会った時のことを。奴はまだ学生のなりをしていて、あの時は方言がひどくて何を言ってるのかさっぱりわからなかった。

繊細の様でもあったし、不敵な様な気もした。つまり最初から得体の知れない奴だった。そんな得体の知れない奴を弟子にしたのはいつだったろう。よくは思い出せないが出会ってから少ししたら気づくと奴は私の弟子だった。全く上手く潜り込んだもんだよ。物思いに耽っているとまた電話が鳴った。「先生、おはようございます。起こしてしまいましたか?」電話の主は三浦くんだった。この男は奴と同じ私の弟子だが奴と違ってすこぶる優等生だ。声が暗いのをみると三浦くんも奴の事を聞いたのかもしれない。「あぁおはよう、気にするな、起きていたよ」「やはりもう彼のことはもうお聞きに・・・」「うん、その電話で起こされた。全く最後まで面倒な弟子だったよ」少し笑いながら答えたが三浦くんは一層声を暗くして答えた。「こんなことになるんて全く思いもよりませんでした。」私が三浦くんと同じような歳だったら一緒に泣いていたのかもしれない。しかし老いと奴の思い出がが涙を枯れさせていた。「私も同じ思いだよ。ところで三浦くん、今日は予定はあるかね」「いえ、特にはありませんが」「そうか私は少ししたら警察署まで奴の遺体の確認をしに行かなければならん。悪いがそのために車を出してはくれんかね」こんな日に一人タクシーに乗って警察署まで行くことなどできるだけしたくなかった「わかりました。一時間後に先生のお宅にお迎えに上がります。」「ありがとう。よろしく頼むよ。」三浦君に礼を言い電話を切ると寝巻をほどいて着替えを始める。  

世間は私をどう見るだろうか。葬儀にはどんな顔をすればいいのだろうか。弟子の死を悼む師として涙の一つも流せばいいのか、そうすれば世間が望むような美談になるだろうか。師弟愛。そんな風に新聞が描くだろう。「ふざけるな。」勢い余って声に出してしまった。私は、私は奴を弟子と思ったことなどない、ましてや救おうなどと思ったことすらない。奴はいつも私を邪魔してばかりいた。ほしいままに名声を手に入れ、それだけでは飽き足らず、勝手気ままに恋愛をし、家族を悲しませ、自堕落な日々を送っていた。そんな奴のどこに愛を注げというのか。私は奴の助けてくれという言葉を無視し、奴の生き方をずっと蔑視してきた。「その気持ちがお前らなんぞにわかってたまるか。」再び口に出してもそこには誰もいなくただ外では雨の音が聞こえ始めていた。。着物に着替え終わると三浦が来るまでまだ時間があった。少し気を静めるために台所に向い、一升瓶を取り出し、中身をコップにつぐ。苦い酒だ。

「井伏鱒二さんですね」

「はい」

「こちらは太宰修、本名津島修治さんでよろしいでしょうか」

「・・・」

「よろしいでしょうか」

「あぁ。えぇ間違いありません」

「左様ですか。では以上が遺体確認となります。朝早くご足労頂きありがとうございました」

「いいえ、こちらこそご迷惑をおかけしました。」

「では」

「あのう、もう一度、見てもよろしいでしょうか」

「えぇかまいませんが」

「ありがとうございます」

「では」

「。。。」

「。。。」

「先生?」

「う、うぅ、ぅ」

「先生?大丈夫ですか」

「井伏さん?」

「こんな、こんな姿になっちまいやがって。」

「井伏さん、遺体には触ら」

「馬鹿弟子が、馬鹿弟子がぁ…」

後日、太宰のメモから「井伏さんは悪人です」というメモが見つかる。井伏はそれを聞くとただ「うむ」といい眼鏡を直しただけらしい。その後井伏は太宰について語ることを避け、聞かれてもはぐらかして終わるようになる。井伏は太宰との関係に蓋をし、そのまま95歳でその生涯を終えることになる。太宰が死んでから約57年後の事だった。井伏の棺には本人の遺志により、太宰の学生時代の写真が入れられたという。

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