Sang comme paris Chapitre4

式が始まった。喪主のミッキーが入ってくると、ひそひそ声がたくさん聞こえる。ミッキーは少し控えめなカツラに、シンプルな喪服。店で見たどのミッキーよりも化粧が薄く、ほとんど素顔に近い感じがした。しかし目だけは泣いた後を隠そうとするのか少し派手なように見えた。ゆっくりと参列者に向かいお辞儀をするミッキーの厳かさに、ひそひそ声もいったんやんだように感じた。

するとケイちゃんは「ちょっとトイレ」といいバッグを持って席を立った。ユウさんもカナコも立った。僕は何が起こるか予想していたので、きっとトイレは大変なことになっているだろうなと思ってすこし笑えた。

しかし、焼香が始まっても誰も戻ってこない。僕はハラハラして、きょろきょろ周りを見回してしまった。僕の番が近づくとやっと3人が戻ってきた。会場はすこしどよめき、中にはあからさまに眉を顰める人もいた。しかし僕にとってはいつもの店で見かける格好。ほかの人が見たらどぎつい格好だけど僕はなんだかこっちの方が安心する。ケイちゃんが「おっちょうどよかったわね」などと店口調で話し、ユウさんはにっこり笑いぼくにウィンクした。カナコは走ったのか少し息切れしていた。焼香のために前に行くと、ミッキーは私たちの姿を見て、少し笑い、口だけで、ありがとう、と言い、お辞儀をした。

焼香が終わり席に着くと弔辞となった。個人にゆかりのある人、主に仕事関係の人たちがたちが何人か読み上げる中、最後になんとミカが弔辞を読んだ。彼女は少し伏し目がちに前に出てきて棺に体を向けた。

「弔辞」

声は少し震えていた。

「私が初めてお父さんに出会ったのはSang comme parisにきて初めての年末でした。ママが私に一緒に家に帰ろうと言ってくれて、最初私は家族の時間を邪魔してはいけないと思って断ったのですが、みなさんご存知のあの強引さで連れていかれました。お父さんは突然訪ねた私を本当に温かく迎えてくれました。そしていつの間にかその夜のうちにお父さんと呼ぶようになっていました。知ってる方もいるかと思いましが、私には家族がいなく、ママによってここまで生きてこれました。ママがお父さんについて語るときは本当に優しい目になっていました。そしてお父さんもママを見る目は優しく温かいものでした。ママが「この子うちで働いている子なのよ」とだけいうと、そうなんだねと言いその後は何も聞きませんでした。ただ子どもが連れてきた友だちと過ごす年末が楽しいようでその日はずっと微笑んでおられました。あのほほえみは今でも私の心の糧です。それからはお父さんが日本にいる年末は必ず3人で過ごしました。それは私の中で今まで味わったことのない幸せで楽しい日でした。お父さんがいらっしゃらない年末は寂しく、ママと二人でずっとお父さんの話をして年を越しました。私がお父さんと声をかけると振り向き微笑むあの笑顔がもう見られないかと思うと、本当に胸が張り裂けそうで、これからどうやって生きていけばいいのかわからなくなるほどでした。お父さんの訃報を聞いた私は、その場で泣き崩れてしまいました。「父」がいなくなるというのはこういうことなんだと初めて感じました。病院に駆け付けた私にママは、絶対に自分が一番つらいはずなのに、何も言わずに抱きしめてくれました。それはお父さんの温かさにとてもよく似ていました。そして大丈夫、大丈夫と何度も言ってくれました。そしてまたも泣きじゃくる私を落ち着かせタクシーに乗せ私を帰しました。それから数日たった日にママからこの弔辞の話をいただきました。Sang comme parisの中で唯一お父さんを知る人として、またママにつぐもう一人のおとうさんの子としてお願い、と言われました。お父さんの温かさ、素晴らしさを私がうまく伝えられたかどうかわかりませんし、おそらくは伝えきれないでしょう。一度お父さんにこう尋ねたことがあります。おそらくこれはママも知らないことです。「ママが『そう』と知ったときどうして驚かなかったの?」酔って調子に乗った私は、ママがトイレに立った時に思い切って聞いたのです。その時答えたお父さんのまなざしは今でも忘れません。お父さんは「驚いたよ。だけれど僕よりも美貴也の方が苦しそうな顔していたからね」一言そういったきりでした。お父さんは本当にママを愛していたと思います。今までありがとうございました。そしてこれからも私たちを空から見守っててください。以上を弔辞と変えさせていただきます。」

そういうとミカはハンカチを強く顔に押し当て元の席に戻った

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