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生きづらさへのアプローチは色々あるはずなのに

最近自分に取って様々なことがありすぎて、思考を思い巡らせたり、深めたりすることが続いています。

匿名相談の現場にいて、相談者とは心が通い合えているように感じることが多く、
それは相談者からの評価が良いことにも表れており、途中で離脱される方もほぼいない、最後に良かった、と言われて終結することは多いのですが

SV(スーパーバイザー)や、心理職の方々から、評価が低い(笑)

それは、逆にこちらがその方々の対応を見て、違和感を感じることも多いので、当然です。

生きづらい人の、御本人はカウンセリングを希望して来ているわけでない場合、
ソーシャルワーク的な見方や対応が必要な場合もあるはずです。

特に今の世の中、最近続けて書いているようなパワハラやいじめ、
コロナ禍や、会社や最近は自治体などでも雇う側に都合の良い雇用による貧困など、
本人より環境や社会に問題があると思われることも多いのに、
全て一辺倒に傾聴だけ、また本人に自分と向き合わせることしか認めない、柔軟性の欠けた対応。

また芸術の方面から見た場合、バランスは悪いのかもしれませんが、社会では生きづらい特性の反面、
突出した、または豊かな個性の能力があることは多く、相談者を敏感に感じていれば、それを発見し引き出すような対応もできるはずだと思うのです。

それから、芸術的ともリンクしますが、サブカルチャー的というか、生きづらさはあるけれども、他の誰とも違う生き方、
その中を生きていること自体を称え、特殊な体験と感じて強みにしていく捉え方。
最近では、芥川賞を取られた市川沙央さんの「ハンチバック」という小説を読んで、そのようなことを思いました。

街録チャンネルというYouTubeがあって、とてもバラエティに富んだ方々をひたすらインタビューするという番組で私は大好きなのですが、
どの人もとても波乱万丈、相当な生きづらさを乗り越えて、たくましく生きてきた人たちの様々な半生を知って、
誰にもきっと備わっている潜在的な力を信じています。

アプローチは心理学的以外にも、社会学的、芸術的など、色々な見地からできるはずなのに、
ある意味幅の狭い、実は柔軟性の少ない、気づいていないがマニュアルのような一辺倒の対応を良しとされているような、
生きづらさ支援の現場には、そういうことが多いように感じています。

自分では、自分の不足や未熟はしっかり受け止めつつ、でも狭量な指導や方針には抗いたいなと思います。
そのためにはもっと勉強しなければと思うこの頃です。



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