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編集者的生きづらさへのアプローチ

更新滞ってしまいました。m(_ _)m
その間に、結局また所属変わりまして、SNS相談員から電話相談員になりました。
仕事については絶賛奮闘中で、まだ言葉にできる状況ではありません(笑)

このnoteで書いてきたこと、書きたいことは、仕事についてというより、
生きづらさに向き合うことを、自分はどのようにやっていきたいか、考えることでもあると思っていて、

最近、少しずつ、気づいてきたことがあったので、それを書きたいと思います。

福祉的文脈、心理的文脈、そのような現場で違和感を感じていて、
でも仕事で関わる分に、そのような世界に順応するしかないのだろうなと思っていたのですが、

最近、読んだり見たりした、ジャーナリスト(ノンフィクション作家や、ルポライター、記者など)の方が書かれた、取材としてより一歩踏み込んだ内容のもの、インタビュー動画などで、
それぞれの対象やジャンル的なことは全く違ったりもしますが、
共通に腑に落ちるものを感じたのでした。

それをある動画で、編集者の方が語っておられた言葉に集約されていたので、紹介したいと思います。

少し突飛に思われるかもしれませんが、それはこの7月東京都知事選挙に出られた、候補者安野貴博さんの妻、文藝春秋社の編集者、安野里奈さんの言葉です。

以下動画も載せますが、一部文字起こししました。

RehacQ高橋さん「生きづらさの表現方法というか、自分に対しての救済方法のひとつが、作品を書くという(こと?)」
里奈さん「まさにまさに。まあそれは今の作家さんでもそうだと思うんですよね。別にそれは性的なものだけでなく、自分にとって切実だなという生きづらさがあったときに、それを小説化するというのは、非常に…まあだいたいの作家さんがそういうふうになっているのではないかと思うんですけど」
(中略)
里奈さん「その方が書きたかったものと、社会というのをどう折り合いをつけるか、それはどこまで読者に伝えられているかっていう三軸のポイントがあると思うんですよ。」
「個人的な思いと社会的なもの(社会との接点)、それが実際に文章としてどこまで伝わるか」
「言葉と人間と社会、それがどういうふうにうまく折り合いをつけられるか」

そして、続けてお二人が言われることを、私の言葉で言えば、
そのバランスを取って評価し、折り合いをつけることを一緒にやるのが編集者やプロデューサーで、それはRihacQの高橋さんがやっておられることも、また里奈さんが編集者としての仕事だけでなく、安野貴博さんの選挙の裏方で選挙参謀として活躍されたことも同じと。

「本人(安野貴博さん)が一番やりたいことがどうしたら伝わるかということを一緒に考えていくという意味では、普段の仕事(編集者)とそんなに変わらないなと思うところではあった」

学生の頃編集の仕事をしたいと思っていたこともある私でした。文章書くのが遅いことで、諦めていましたが、そのことを思い出して、また音楽的志向もそうなんですが、若い頃の志向性って純粋な分、自分にとっては的確なのかもしれないと思ったことでした。

また最近、ある事業に助成金を申請するために、とある市の職員や見識者相手にプレゼンをする機会があったのですが、
それもまた、そのような編集者的な役割だったと感じています。

このことまた続けて考えていきます。

安野里奈さん、安野貴博さんへのRehacQ高橋さんのインタビュー動画は以下



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