長く燃焼する、鈍く輝く
先週末、コモンビート(※)のミュージカルの公演が名古屋であったとのこと。満席、大成功、ドッカンドッカン感動の波動をつくったと聞いている。鑑賞に行った妻からは、「お客さんが涙を流してたよ」と。すばらしい。そして、ちょっとうらやましい。
(※)コモンビート : 社会人を対象に「100人100日ミュージカルプログラム」を提供しているNPO。組織と同じ名前の演目を20年近く全国各地で上演している。https://commonbeat.org/
そういえばちょうど2年前、同ミュージカルの「再開記念公演」(※コロナ禍により2年の間活動の停止を余儀なくされた)に出演したのだった。今朝はそのblu-rayを久しぶりに流し、「ああ、こんなだったよな」と思い出していた。同時に、長年共演したお友達と「20年前の公演ではさ・・」とメッセージのやりとりなんかもしつつ。
僕は20代の何年間か、このミュージカルに打ち込んでいた。で、十何年かを隔てて、再開記念公演。ものすごいエネルギーの発散と感動の渦は変わらず、愛に溢れていて尊い場所だなあ、と再確認したものだ。
自分で言うのも何だけど、映像で観て、パフォーマンスの良し悪しはさておき、舞台の上の自分は忖度なしに輝いている。
僕はどこかでコモンビートの公演があるたびに、いつもぼんやりと、いのちの燃焼のさせかたについて考え直す。ここで生き生きできるのなら(できたのなら)、いつもの地味な繰り返しの日常の中でもできるだろ、と。もちろん自分について思うことだ。
このような熱気に満ちた場所に乗っかることで輝くのもいいけど、こういうのを10回近くやったのなら(それはそれでアホだ)、自分で熱を生み出せてこそホンモノだろう、と。どこかでだけ限定的にカッコいいのって、同時にダサいと思うのだ。
だから、歌も踊りも照明も発汗も激しい嗚咽も伴わないが、とにかく今は、自室のマイクの前でおもしろいものを作り出すことにエネルギーを注ぐ。喋ることに「これだ!」というものを見つけたここ2、3年。僕という人間は太陽とはちょっと違うが、赤黒く燃え続ける炭のようでいたい。