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感情との付き合い方

人間にあってAIにないものとは何か。
それは感情だと思っていた時期があった。
人間的で非生産的な営みほど価値がある、と真剣に考えていたのだ。
だから私は、腹を割って話すことを是とし、誰にも包み隠さず色々話し、その人と価値観を共有しようとした。
今から思えば当たり前で、なんでバカなことをしたのだろう、と思うが、犬養毅氏の、話せばわかる!を本気で信じていたのだ。
彼は銃弾に倒れたというのに。
その頃の自分は、生涯にわたる人間関係を築けたが、同時に周囲から煙たがられた。
価値観が合わない人に対して露骨に嫌悪感を態度で表現し、何度も衝突した。
中には言葉の銃をこちらに向けてきた人もいる。
大好き!と言ってくれる人もいたが、かなりの人から嫌われた。
更にタチが悪いことに、嫌われる勇気と称し、それを肯定してしまっていたのだ。
いまだにそのシコリは消えない。
向こうが悪いケースもたくさんあるが、それは自分を写す鏡であり、自分が過ちを犯しているという証明。
人間関係が安定した今、サラッと表面的に他者と付き合うことが、いかに精神の安寧を保つために重要か、わかったのだ。
考えてみれば、人間関係は、基盤がしっかりあれば、無理して付き合いを増やさなくていい。
そう、AIはそこを単純に割り切るから、仕事をエゲツなくこなせるのだ。
唯一、会話が終わった後、ある他者が自分にとってどういう人だったのかを考え、気付きをくれた他者に感謝の心を持つことこそが、人間がAIと違っても疲れない「感情」なのではないか。

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