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「最後の決断〜Escape from the Philippines」 第25回

1. 2023年、バー・マンス(-ber months) つづき

 「じゃ、最後は俺か。花澤哲也(てつや)。年齢は55歳。今思ったけど、俺、藤さんとは一つ違いなんだね。出身は東京。でも、親父が転勤族で、しかも単身赴任しなかったから、あっちこっち引っ越したっけな。大学出て、商社に入って、30前で結婚したんだけどさ。子供できたのが、俺が41の時で、ちょっと遅かったんだよな。みんなも知ってるだろうけど、娘は今、中学2年生。ただ、私立の学校に通わせてて、高校は持ち上がりなんだ。カミさんは雑誌のライター。ほら、テレビのコマーシャルでやってたじゃん。結婚情報誌ってやつ。あれの記事だかなんだか書いてんだ。家族の話はそんなところかな」

 花澤が自己紹介を終えたところで、3時を過ぎていた。散々飲み、おまけに夜中どころか明け方近いというのに、5人は清々しい顔をしていた。いつも一緒に飲んでいるくせに、下の名前すら知らなかった間柄だったのが、これでようやく、モヤモヤした気持ちがスッキリした。そういう清々しさだった。

 「でも、ボスは日本に戻って、俺たちはフィリピンはマニラに残る。半年とは言っても、少しだけ寂しくなるなぁ」

 川崎はしみじみそういうと、花澤は込み上げてくるものを誤魔化すように、深く息を吸った。

 「みんな。今夜もそうだけど、本当にありがとうな。なんとか半年で全て決着をつけてこっちに戻ってくるからさ。その間、『カーニバル』と大ちゃんのこと、よろしく頼むよ」

 ありきたりな挨拶になってしまった花澤だったが、それがかえって4人の心に沁みた。

 「半年と言わず、奥さんと美咲ちゃんのために、頑張ってこい!」

 川崎はそういうと、右手をスッと出した。そして花澤と、力強い握手を交わした。

 「俺たち、ちゃんと待ってますからね」

 田川も同じように右手を出し、花澤と握手をした。改めて田川の力の強さを花澤は握手を通じて感じた。

 「俺は大ちゃんと年が近いっすから、今まで以上に話しとかしますから」

 本間も右手を出し、花澤と握手をした。

 「ボス。全て大丈夫だから。遠慮なく頑張ってね」

 最後は藤村と握手した花澤だったが、涙こそ溢れないものの、目は真っ赤。寂しさと眠気が混じった目なのだろうが、その目だけで、4人には花澤の気持ちが読み取れるような気がした。

 その日は3時過ぎにGrabで車を呼び、7人乗りのSUVに5人で乗り込むと、店から近い順に彼らがそれぞれ住むコンドミニアムを経由して行った。

 最初に降りたのは花澤。その後、本間、田川がマカティで降りた。

 「藤さんもいろいろあったんだな」

 「もちろんだよ。世の中、順調に行くヤツなんてそうそういないって」

 暗い車内では、相手の表情を読み取ることは困難だが、川崎にとって、藤村の表情は容易にイメージすることができる。きっと、多くの困難を乗り越えた藤村なのだろうが、それを笑顔の奥に隠すとは、なかなかできないものだ。川崎はBGCへ着くまでの間、そう感じていた。

 「ところで、藤さんはボスの様子を見に日本に戻る予定はあるのかい?」

 「あまり様子を伺うようなことはしたくないんだけどね。多分、こっちのコーヒー豆の販路拡大に関連して、一度帰国しないといけなくなるかもしれないね」

 「そっか。大変だな」

 「ううん、別にいつものことだと思えば大したことじゃないさ。それより、『とらや』の羊羹でも買ってこようか?」

 なんてスッとボケたことを言うのは、いかにも藤村らしい。しかも、彼が住むコンドミニアムの近くに来たところでそんなこと言うなんて。

 「藤さん。それならBGCにできた三越で買えるんじゃないの?」

 川崎のいう通りで、その年、藤村が住むBGCに三越が出店した。フィリピンの商業施設が独特なのかは定かではないが、なぜかグランドオープンの前に、ソフトオープンと称し、施設の一部だけ先行して開店させる。この三越も例外ではなかった。もっとも、川崎のいう通り、とらやが当時、すでに出店していたかは定かではないが…。

 結局、羊羹の話ははっきりしないまま、藤村も車をおりた。残るは川崎のみ。BGCと同じ、タギッグ市に住んではいるのだが、彼が住むエリアは、ローカルの人々が住む、素朴なフィリピンの街角の印象が強いところだった。治安が悪いということもなく、和気藹々(わきあいあい)と暮らしている様は、少し昔の日本のようだとも言われる。

 川崎が最後に車を降り、部屋に戻る頃には、もう明け方の4時を回っていた。とはいえ、まだ日の出はおろか、空も真っ暗のままだ。川崎は部屋に戻るなり、ベッドに潜り込んだ。長いようで、短い一夜の宴だった。

 遠くで、微かに銃声が聞こえた。その瞬間、川崎は自分がマラテとエルミタが接する、ペドロ・ヒル・ストリートにいるのに気づいた。なぜ自分がここに?そう思った次の瞬間、今度は大きな銃声が聞こえてきた。おまけに煙臭い。火事でもあるのだろうか?それらは次第に大きく、強く感じられた。単発だった銃声は、次第に連発となり、音も大きくなっていった。煙も熱さを伴うほどだった。ただならぬ状況に、川崎はマニラ湾へ走り始めた。

 やがて、右手にロビンソン・プレイス・マニラというショッピングモールが見えてきた。入口を見る限り、散々荒らされた後のようだ。ここで非常事態であることに気づいた川崎は、走る足を止めるどころか、走るスピードを上げてマニラ湾へと向かった。しかし、銃声と火の手は、一気に川崎の真後ろまで迫ってきた。炎とともに、自動小銃を持った男たちが背後から走ってくるのだ。

 しかし、川崎が必死で走っているはずなのに、なかなか前に進まない。もはや武装した男たちからは逃げられない。万事休すか!

 「クソッ!どういうことだ!」

 ハッとした瞬間、目が覚めた。外はすっかり明るくなり、太陽も顔を出していた。一方の川崎はたっぷりと寝汗をかき、不快な目覚めとなってしまった。

 まだ川崎は気づいていないが、実は花澤が見た夢と、場面がそっくりだった。マラテで発生する、火の手。川崎の場合はそれに武装した男たちが加わり、結局マニラ湾へ逃げようと走る。あまりにもリアルな夢だった。川崎はベッドから起き上がると、冷蔵庫からミネラルウォーターの入ったボトルを取り出し、たっぷりと胃に流し込むように飲んだ。どうやら帰宅してから4時間ほど眠ったらしい。とはいえ、実に嫌な夢を見たものだと、大きなため息をつきながらダイニングチェアに腰掛けた。

つづく

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