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「最後の決断〜Escape from the Philippines」 第3回
1. 2023年、バー・マンス(-ber months) つづき
フライトは4時間と少しで、ニノイ・アキノ国際空港に着陸した。機内ではいつものように、豪華な機内食とワインを楽しんだものの、どうも離陸時の夢のことが気になっていた。別に思い当たる節はないが、なぜマニラが火の海と化したのだろうかと、そればかりが心に残っていたのだ。
花澤は機外に出て、事前登録が必要なe-travelと呼ばれる、フィリピン独自のアプリを見せ、すんなりと入国を済ませた。大荷物をターンテーブルから取り上げ、到着ターミナルへ出た。出入り口に近いからか、一気に南国特有の、まとわりつくような空気を感じた。その瞬間、マニラに着いたと実感した。
この空港は、ターミナルを出てしまうと、再び戻ることができない。花澤は、日本円を取り出し、すっかり為替レートの悪くなったフィリピンペソへ両替をした。現地通貨なら、銀行から下ろせばいい。だが、逆にフィリピンペソから日本円へのレートがいいせいで、帰国時にほとんどのペソを両替した結果、今度は悪いレートでの両替となってしまった。スマートフォンを見ると、どうやら迎えはまだきていないらしい。近くのファストフード店でハンバーガーを食べることにした。
フィリピン人はファストフード店でも米を食べる。それは地元発祥のジョリビーもさることながら、マクドナルドでさえ米が出るほどだ。むしろ、ハンバーガー店だというのにハンバーガーはあまり食べないそうで、かといって、ラーメン屋に行ってラーメンを食べないのとは違うらしい。こうした些細なところに、フィリピンの独自性が感じられる。もちろん花澤はハンバーガーを注文し、荷物が盗られぬよう、監視をしながら頬張った。機内食を食べたにも関わらず、なぜか空港でハンバーガーにありついている。悪い夢のせいというよりは、習慣のようなものだった。
やがて花澤のスマートフォンにメッセージが入った。空港の駐車場に着いたという。彼はファストフード店から出て、落ち合う予定の場所へ向かった。
「お疲れ様でした、ボス」
出迎えたのは、花澤をボスと呼ぶ、日本人スタッフの角田(かどた)大輔だった。彼の右腕のような存在で、まだ30代と若いのだが、とにかく気が利く男だった。おまけに花澤より英語が堪能で、ついでに言えばタガログ語も流暢に話す。花澤が経営するKTVが、大きなトラブルもなく営業を続けられているのは、角田の語学力と気が利く性格に他ならなかった。
「おう、迎えありがとうな、大ちゃん」
花澤は角田を呼び捨てにせず、愛称で呼んでいる。角田も、大ちゃんと呼んでくれる花澤が嫌ではなく、むしろ信頼できる上司と考えている。
渋滞が多いマニラ首都圏の道路事情を考慮して、キチンと指定の時間に迎えにくるのも、いかにも角田らしいのだが、重い荷物をしっかりと転がし、駐車場へと向かう姿も頼もしかった。歳の割に小柄な男だったが、とにかく頼りになるスタッフだ。
花澤が居を構える、マラテにほど近いコンドミニアムについたのは、現地時間の午後3時を回ったところだった。角田は荷物を花澤の部屋まで届けたところで仕事に戻った。8時には花澤のKTVの開店時間を迎える。角田は午後9時、つまり開店準備と開店を終えると帰宅する。もちろん開店までの間、店内の準備などに勤しんでいる。
花澤は2週間ぶりのコンドミニアムに入るや、おもむろにベッドへ向かった。そして少しの間眠りについた。早朝からの移動に加え、離陸時の悪夢のせいで、機内でろくに眠ることができなかったからだった。
日本の自宅で使うベッドとは違い、コンドミニアムで使うベッドのマットレスは柔らかい。彼にとって、使い慣れているのはこの柔らかい方だ。寝不足も手伝い、あっという間に眠りに落ちた。
ほんの束の間の睡眠だったが、機内で見たような悪夢を再び見ることなく、花澤が目を覚ましてベッドサイドの時計に目をやると、5時を過ぎたところだった。土産をスタッフに配るため、彼はシャワーを浴び、Tシャツにショートパンツ、ビーチサンダルという、典型的なフィリピン人男性の服に着替えた。スーツケースから大量の土産物を取り出し、自宅から持ってきた、大きな買い物袋にそれらを詰めると、コンドミニアムを後にした。
マニラにある歓楽街といえば、フィリピンと旅したことのある日本人なら、マカティという地名を思い出す人は少なくないだろう。日本人駐在員も多く住む街であり、犯罪が多いとされるフィリピンの中でも、比較的治安が良いとされている場所でもある。KTVが数軒あるだけでなく、リトル東京もあり、日本食が恋しくなった旅行者や駐在員の憩いの場ともなっている。
しかし、花澤が経営するKTVはマカティではなく、マニラにあるもう一つの歓楽街、マラテにある。「世界三大夕陽」に数えられるマニラベイにほど近い場所にあり、マカティと比べると雑多な雰囲気が否めない。よく新宿の歌舞伎町になぞらえる人もいるが、規模は遥かに歌舞伎町より小さい。しかし、その小さなエリアにKTVがひしめき合い、一時の癒しを求め、日本人だけでなく、韓国人などのアジア系も店を訪れる。そんなマラテの一角に、花澤の店、KTV「カーニバル」はある。他の店同様、煌びやかなイルミネーションで飾られた大きな看板。店先では客引きが日本人と思しき男性に声をかけていく。店のオーナーである花澤にとって、2週間ぶりにみる光景だった。それより、2週間というブランクは、マラテの街の匂いすら忘れさせたのだろうか。お世辞にもかぐわしいとは言い難い街の匂いに、何度か吐き気を催しそうになった。後で聞いた話だが、数日前に長いスコールに見舞われ、御多分に洩れず雨水が膝下まで溢れかえっていたらしい。こうなると下水が整備されているとは言い難いマラテの街は、たちまち雨水と汚水が入り混じり、やっと洪水が引けたかと思えば、今度は悪臭が鼻をつく。それが常態化すれば、後は慣れるか、街を去るかの二択となってしまう。もちろん花澤は前者を選んでここまできた方だが…。
つづく