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「最後の決断〜Escape from the Philippines」 第19回
1. 2023年、バー・マンス(-ber months) つづき
「実はボスが『カーニバル』を始める前というか、引き継ぐ前の経営者なんだけど、病に倒れちまったんだよ」
「前の経営者が、病?」
藤村は川崎の言葉を反復するように声に出した。
「一言でいうと、気づいた時には手遅れのガンだったんだよ」
川崎はそういうと、大きなため息を一つつき、カクテルグラスに手を伸ばした。そして残りのマティーニを飲み干すと、バーテンダーにもう1杯、とジェスチャーで注文した。
「なんて名前だったかなぁ…。あっ、思い出した。中村だ。中村純也。”ジュンヤさん”って、仲間内で呼ばれてたっけな。その中村ってのがさ、ボスの親友だったんだよ。確か、前にボスと同じ商社に勤めてたとかなんとかって聞いたんだよなぁ。でまぁ、ボスとの関係はともかく、調子が悪いって言って、BGCのセント・ルークス(病院)に行ってみたら病気だって分かって、結局日本で治療するってことにしたんだ。だが、日本には戻ってみたものの、どの病院に行っても手遅れだって言われちまってね。それでもなんとか入院できたそうなんだけど、日本で頼れるのはボスだけだって、病室に呼んだんだそうだ。そこでボスに、色々話を打ち明けたまではいいんだが、ボスに「カーニバル」を頼むって託して、それから2週間後くらいだったっけかなぁ。急に容態が悪くなって亡くなったんだそうだよ」
川崎は一気に「カーニバル」を花澤が引き受けるに至ったきっかけを話した。川崎しか知り得ない話だった。
「そうだったんだ…」
藤村はそれ以上、何も言えなかった。言いようがなかったと言った方が正しいだろう。
「でもさ。こっからの話は、俺もよくわからねぇんだ。だいたい、KTVのオーナーが変われば、噂の一つでも立つもんだろ?やれ、あの店は潰れただの、居抜きでオーナーチェンジしただのってさ。かと思えば、よせばいいのにあんな場所でKTV始めたよアイツ、なんて話も。なのに、『カーニバル』の話だけは聞かねぇんだよな。ボスにオーナーが代わったって話」
噂好きのフィリピン人、在住日本人が、KTVの噂話を避けるわけがない。なのに、オーナーが病死した中村から花澤に代わった際、これと言った噂の一つもでなかったのには、大きな理由があった。
「ただ、大ちゃんはさ。中村が日本から連れてきたんだよな。彼あっての『カーニバル』でさ。それもあって、妙な噂も立たなかったのかもしれないな」
「そうだったんだ。じゃあ、ボスは角田さんも一緒に『カーニバル』を受け継いだってことなんだ」
「その通り。でも、そのおかげでうまく行ってるじゃないか、あの店。マラテのKTVの中じゃ、トラブルが少ない方だぜ。それもそのはずだよな。藤さんもなんとなく気づいてるだろ?彼、ジャピーノ(日本人とフィリピン人のハーフ)なんだよ。親父さんが日本人で、お袋さんがフィリピン人。そりゃ、タガログ(語)喋れて当然なんだよ。でも、国籍は日本だし、生まれてからずっと日本で育って、お袋さんも里帰り、一度もしてないんだってさ。その割にはフィリピンに精通しているっていうか、ローカルの連中をうまく捌いてるよな。そうでなければ、フィリピンなんて一度も行ったことのないボスが、店を引き継げるわけねぇしな」
川崎の話が途切れたところで、2杯目のマティーニが彼の前に置かれた。川崎は喉を潤すように、冷えたカクテルを一口飲んだ。そして黙って聞く藤村に話を続けた。
「店の経緯(いきさつ)はこんなところだが、今日、藤さんに話しておきたいのは、藤さんの厚意は、俺もありがたいと思うが、万事うまく解決できるかどうかと言えば、ノーっていう残酷なことなんだ」
川崎の言葉に、藤村は彼の方を向き、黙って小さく頷いた。
「さっきも話した通り、親友の間柄とは言え、突然、行ったこともないフィリピンの、それも水商売の店を任せるって言われたって困る話さ。なにせ、頼まれた時はボス、まだ商社勤めだったんだからさ。でも、どういうわけか商社を退職して、ちゃんとビジネスを継いだんだ。中村って男に、どんな義理があるんだかは知らねぇよ。そしたらボスのカミさん、当然怒るわな。それでもなんとか説得して、こっちに来たってわけ」
「そうだったんだ。ボスは何も話してくれなかったけど、黙ってる訳もなんとなくわかるような気がするよ。要するに、中村さんとの約束。でも、奥さんとお嬢さんのことも大切。そのジレンマに陥っているって、そういうことでしょ?川崎さん」
ずっと黙って聞いていた藤村が、ようやく話し始めた。
「そう。つまり『カーニバル』を続ければ、カミさんと仲直りは難しいんじゃねぇかなぁ。でもさ、店を閉じれば、中村って男より、大ちゃんに申し訳ないと思ってるんじゃないかなぁ」
川崎はあることを思い出しながら藤村にそう話した。花澤のフィリピン到着後、潮時と発言したことを。それでもはっきりと店を閉めるとは言えなかった。そのことを思い出したのは、藤村も同じだった。
「結局、私が余計なことをしちゃったのかなぁ?ボス、店を畳む決意をしてたようだしね」
「いや、藤さんが余計なことをしたってことはねぇよ。実際、ボスは店を畳むと決めても、最後の決断はできなかっただろう。むしろ、藤さんがボスを助けてくれたのは間違いない。ただ、いくら出したんだかは知らねぇが、捨て金になるかもしれないことは覚悟してくれよって話さ」
「川崎さんのいうことはよくわかるよ。ボスには最後、ちゃんと話したよ。もし私が損することになっても気にするなってね。川崎さんには話してないけど、私も色々あってさ。今のボスの状況を、黙って見過ごすわけにはいかなかったんだ」
川崎の話を聞く間は少々険しい表情を見せていた藤村だったが、最後にはいつものように、優しい笑顔を川崎に見せた。
「ったく、藤さんらしいって言えばそうなんだけどさ。まあ、俺の取り越し苦労だったかもしれねぇな」
「そんなことないよ、川崎さん。貴重な話を聞かせてくれたんだし。確かに『カーニバル』は私たちにとって大切な店だけど、ボスの気持ちも理解しながら、これからのことはよく考える必要はありそうだね」
「その通り。藤さんも熟慮の上で今回の支援をしてくれたんだと思うけどさ、正直、ボスはここが正念場だと思うんだ。俺たちは黙って、ことの成り行きを見守るしかないんだけどな」
「そうだね。じゃ、花澤ボスに」
藤村がグラスを持つと、川崎も同じようにグラスの脚をつまむように持ち上げた。
「ボスに」
ふたりはグラスを掲げ、笑顔で飲み干した。
つづく