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「最後の決断〜Escape from the Philippines」 第5回

1. 2023年、バー・マンス(-ber months) つづき

 やがて、店内も準備が終わり、キャストと呼ばれるKTV嬢も出勤し始める。「カーニバル」では開店の30分前には入るよう指導しているが、中には営業開始時間ギリギリに出勤する嬢もいる。例外的に、客と一緒に出勤する「同伴」との場合は営業開始2時間まで遅れることが許されている。もちろん、同伴客は余計に料金を払わねばならないが、代わりに夕食を共にできるという「独占タイム」を行使できるのだから、ある種「ウィンーウィン」の関係とも言える。

 だが今日は同伴の嬢はおらず、出勤予定の嬢は全員が30分はおろか、6時過ぎには揃っていた。昨日、「明日ボスが戻る」というSNSが回ったこともあったが、世界一早いクリスマスシーズンのせいで、街がなんだか怪しいと感じる嬢もいるようだった。あまり地元の人は襲わないと言われているが、それでもサラリーのいいKTV嬢はターゲットになりやすい。皆無だとはいえ、危険性がゼロでもない。彼女たちの動物的な勘が、店に急がせたのかもしれない。

 彼女たちは花澤がもってきた土産をもらい、花澤に礼を言ってからロッカールームへと消えていく。彼の店は従業員用のスペースを確保できたため、彼女たちのためのスペースに余裕がある。ドア越しにキャッキャとはしゃぐ声が聞こえてくるのは、いずれも若い女性である証拠といえる。若い子なら19、一番年長でも29歳だ。店によってはもう少し幅広い年齢の女性が在籍していることもあるらしいが、ここは花澤の趣味、というわけではない。店も直接女性を募集をしているが、大抵はエージェントが売り込みに来る。もちろんオーナーに選択権はあるものの、エージェントとしても”飯のタネ”をうまく捌かねばならないから、多少の”交渉”を経て人材を提供する。

 だが、花澤にしてみれば、あまり女性たちの年齢にこだわりはない。あるとすれば、いわゆる年齢詐称で若すぎる子が入ってしまい、警察の手入れを受けることは避けたいということだけだった。むしろ、多少年齢の高い女性の方が日本語を話せることもあり、都合がいい。飲みに来る客は平均年齢が50代ないし60代で、彼らは必ずしも20歳そこそこの女性ばかりを求めていない。これは年齢にとどまらず、女性たちの外見も幅広く揃えることがコツらしい。そうした、バラエティに富んだ女性の”ラインナップ”がわかるのが、開店前に始まる「儀式」の時だ。

 開店時間の少し前になると、店の外にスタッフ・女性たちが勢揃いする。入り口に向かい、商売繁盛の”祈願”をする。女性の掛け声に合わせ、イラッシャイマセ〜、だの、アリガトゴザイマスなどという日本語が唱和される。最後に手拍子と共に手に持つ米を投げて「儀式」は終わる。その際、”同伴出勤”以外の嬢は基本的に店の外に出てくるので、見学目的での来店が面倒であれば、こうした機会に道路から眺めるのも面白い。

 「カーニバル」も他店同様、開店前のこの「儀式」の時間を迎えた。店内で待機していた女性やスタッフはゾロゾロと店の外に出て「儀式」を始めた。1人のKTV嬢が掛け声をかけ始める。それに合わせてイラッシャイマセ〜と唱和する。他の店と同じ光景だ。彼女たちの声を、花澤は店内で聞いている。

 「大ちゃん。ちょっといいかな?」

 花澤は、レジの近くで開店準備に余念がない角田を読んだ。

 「どうしました?ボス」

 「今日ってさ、団体さんとか予約って話、ないよね?」
 いつもなら花澤がそんな質問などしてこない。角田は不思議そうな表情を浮かべながら答えた。

 「残念ですが、予約はありません。団体さんのお話も…」

 角田の表情を読み取りつつ、自分でも迂闊な質問をしたと後悔した花澤だったが、本当に気になっていたのは、”他の団体”だった。

 「そういえば大ちゃん。あの連中、最近は来てるかい?」

 「あの方々でしたら、ボスが帰国中はいらっしゃらないとおっしゃってましたよ。多分…、今夜お見えになるかと」

 花澤の2つ目の質問に、角田は思わず苦笑いを浮かべた。

 「そうだったんだ。俺がいない間、来なかったのか」

 「いつもそうですよ。ボスがいない間はあの方々もご来店されません。いつものことですが、こちらにいらっしゃるのは、女の子をからかいに来るの半分、ボスに会いたいのが半分って感じですから」

 「そうかもしれないが、俺にも会いたいっていうんなら、もう少し売り上げに貢献して欲しいものだな」

 花澤も苦笑いを浮かべると、角田と顔を見合わせ、ふたりして声をあげて笑った。店の外では”パン、パン、パパパン、パパパパン!”という手拍子が聞こえてきた。「儀式」は終わったらしい。

 「さて、今夜も頑張るか〜」

 客が座るソファーに腰掛けていた花澤が腰を上げ、彼の前で立っていた角田も持ち場に戻った。「カーニバル」の開店時間だ。

 一方、花澤から「連中」と言われた当人たち。実は「カーニバル」に”出没”すべく、ある店に集結を始めようとしていた。

 マラテにはKTV同様、飲食店も軒を連ねる。もちろん日本料理店や居酒屋もあり、観光客だけでなく、駐在員も足繁く通う。「連中」は今夜、居酒屋「纏」(まとい)に集結し始めたようだ。

 真っ先に店を訪れたのは、川崎と本間の二人だった。互いに同じコールセンターに勤め、今夜は仕事先からの直行だ。

 日本人がフィリピンで仕事に就く際、コールセンター会社はよくある就職先だ。日本語が堪能で、多少の英語が理解できれば仕事にありつけることができる。川崎が還暦近くなのに対し、本間はまだ30代だが、同じ仕事に就いているというのも、実はフィリピンあるあるだ。ところが、あまり勤務年数は変わらないのに、川崎は年が上だというだけで、本間を呼び捨てにし、本間は”オヤッサン”と呼ぶ。川崎はただの先輩風(かぜ)。本間は心の底でオヤジ≒ジジイという認識でいる。とはいえ、同じ職場ということもあり、表向きには仲のいいフリをしている。
 
 ふたりは、黒を基調とした、シックな店内に入ると、テーブル席を確保した。彼らはいつもの通り、先に一通りのオーダーを済ませた。せっかちというより、オーダーした料理が出てくるのに時間がかかるからだ。だが、そこでイライラしてはいけない。ここはフィリピン。そういう”おおらかな”文化だと認識しなければならない。その点、彼らはそうした文化を逆手にとっている。流石に日本人オーナーなだけあり、一般的なフィリピンの飲食店に比べれば、遥かに早くオーダーしたものが運ばれてくる。ふたりはサンミゲルビールで乾杯した。

つづく

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