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「最後の決断〜Escape from the Philippines」 第41回

1. 2023年、バー・マンス(-ber months) つづき

 「実はね、みんな。角田君が話してくれたことなんだけど、ボスが住んでいるコンドミニアムに、ちょっとした異変があるらしいんだ」

 異変?3人は首を傾げた。てっきりボスの近況でも話すのかと思いきや、全く違う内容なのには拍子抜けしたが、その次に出てきた話がまさか、花澤が住むマンションの異変?完全に話についていけなくなっていた3人だった。

 「ボスのコンドで何があったんだよ?藤さん」

 「それがね、川崎さん。入居者が入れ替わっているらしんだ」

 「それ、どういうことですか?」

 藤村が口にした”入居者の入れ替わり”に、本間が反応した。

 「うん。なんでも、それまで地元の人が住んでいたんだけど、家賃が上がって住めなくなった代わりに、アジア系の住民が続々と越してきたんだ」

 藤村の話に、本間にも心当たりがあるらしく、真剣な表情で藤村の話に聞き入っている。

 「アジア系?そりゃあり得る話だろ?このマラテだって、かつては日本人向けの店が多かったのに、今じゃ見てみろ。すっかり様変わりだ。いつの間にか「マニラコリアタウン」なんてできたしな」

 川崎の言う「マニラコリアタウン」は、彼らがいる「美鈴」から500メートルは離れた場所にあり、コリアンKTVをはじめ、ナイトクラブや韓国料理店が立ち並ぶ。事実、フィリピンを訪れる韓国人は多く、フィリピンで事業を興す韓国人も目に見えて増えていた。

 「そうなんだけどさ。どうやら彼らではなさそうなんだ」

 「じゃあ藤さん。あの国からってことか?」

 川崎の尋ねに、藤村は頷いた。

 「だけど、それも自然の成り行きというか、十分可能性のある話じゃありませんか?観光客も増えているわけですし」

 「そうなんだけどね、田川君。私には一つ、気になることがあるんだ」

 3人は藤村を凝視した。

 「実は、『カーニバル』の清掃スタッフのおばちゃんから聞いた話なんだけど、マラテの街の様子が、少し変だっていうんだ」

 藤村の言葉を聞き逃すまいと、3人は聞き耳を立てている。側から見ると、酔っ払った4人の男たちが、顔を突き合わせるように何をやっているのかと、不思議に思うかもしれない。そんな不思議な光景が「美鈴」の窓際の席で展開されている。

 「みんなも、レメディオスサークルくらい知ってると思うけど、その近くにあるマラテ教会といえば、あの近くに夜は近づかないほうがいいって言われているよね?もちろん私も行ったことはないけど、おばちゃんがいうには最近、物取りが減ったっていうんだよ。しかも、その物取りの一人が、アジア系の男に殴り殺されたって、物騒な話も、おばちゃんは話していたんだ」

 そもそもマラテ教会は、1588年に建てられた、歴史ある教会だ。日中は礼拝に訪れる地元の人々も少なくないだろうが、夜ともなれば街灯のない、暗い通りと化してしまう。レメディオスサークルもまた、ストリートチルドレンによるしつこい物乞い、あるいは人懐っこく近づいたかと思えば、小さな手を使ってズボンのポケットに手を突っ込み、金品を奪うという行為も横行しているが、マラテ教会の周辺は、地元のギャング団のような強盗が、ナイフや銃で歩行者を脅し、金品を奪うと言われている。だがこの事件は、フィリピン人ギャングが返り討ちにあったということになる。それも、丸腰だったアジア系の男に、素手で殴り殺されたという。だが不思議なことに、テレビはもとより、新聞、ラジオ、果てはインターネット上でも、この件が報じられた形跡がなかった。

 藤村の話を聞いた3人は、テキーラで出来上がっていたはずなのに、一瞬で酔いが覚めた。それほどに衝撃的な話だった。だが、本間が何かに気づいたのか、藤村に話し始めた。

 「藤村さん。今の話、俺が住んでるコンドミニアムでも、似たような話があるんですよ」

 「ほう。まさか、入居者が入れ替わったとか?」

 「ええ」

 どうやら、入居者の件は、花澤が住むコンドミニアムに限った話ではないらしい。本間は話を続けた。

 「さっきオヤッサンが話したこともその通りなんですが、それにしては、朝からどこかに出かけて、夕方に戻ってくるって。ファティマ…、俺の彼女がそう話してたんですよ。彼女、平日が仕事の休みなもんで、それで買い物に出ようとしたら、その連中に出くわしたみたいなんですけど、アジア系なのに、その…、銃を持ってるって」

 本間が話したことは大きな問題だった。彼女は何を見たのだろう?

 「銃を持ってるって、地元のやつだったんじゃねぇのか?」

 本間の物騒な話に、川崎は思わずチャチャを入れるが、本間は話を続けた。

 「いや。川崎さんのいうこともわかるんですが、彼女がいうには、絶対に地元の人じゃないって。喋っている言葉が違うらしいんですよ。それなのに、堂々と銃を腰のあたりに下げてるっていうし…」

 フィリピンで銃を見かけることは、決して珍しいことではない。ショッピングモールやホテル、コンドミニアムの前に立つ民間のセキュリティガードであっても、ショットガンや拳銃を所持している。またフィリピン人は許可制ではあるが、銃の所持を認められている。だが、あくまでもフィリピン人に限る話であり、外国人の銃所持は認められていない。川崎の指摘はもっともだ。銃を所持しているならフィリピン人じゃないかと思うのは当然だし、そもそもアジア系の顔をしたフィリピン人なんて、決して珍しい存在ではない。それでも、フィリピン人のファティマが地元の人ではないと話すのなら、かなり信ぴょう性の高い話と言わざるを得ない。

 「何かおかしいと思わない?みんな」

 藤村の問いかけに、3人は黙って頷くしかなかった。

 「でも、どうして藤村さんは、俺たちにそんな話を?」

 田川が気になっているのは、藤村が自分たちにそのような話をした上で、どうしろというのか、ということだった。

 「うん。色々と警戒しなければいけないっていうことかな?今言えることは。でも、いずれ大きな問題が起こる可能性もある。その時は…」

 藤村が言葉を止めると3人は、

 「その時は?」

 と、藤村の最後の言葉を繰り返した。藤村は一呼吸おくと、彼らが気になっている言葉を、ゆっくりと吐き出すように言った。

 「最悪、この国から脱出しなければならない」

 3人は藤村の最後の一言に、すっかり黙り込んでしまった。川崎ですら、ことの深刻さを感じずにはいられなかった。それは本間も同じで、せっかくファティマとの甘い生活を満喫していたのに、今後、自分はどうすればいいのかと、咄嗟にそんなことを想像していた。

 だが、田川だけは黙っていた反面、やはりそうなのかと、むしろ藤村の話を自分なりに”検証”していた。実は彼にも身に覚えがあった。彼は整備だから詳しいことは知らないが、この3ヶ月の間、SUV(スポーツ用多目的車)の売り上げが著しく増加しているらしい。しかも顧客は「かの国」の人が多いという。営業が話しているのを、田川は聞きかじっていた。

 「ごめんね。こんな話をして。でもさ、今夜は本当に楽しかったよ。またみんなで角田君を応援に行こうね。さぁみんな、食べて食べて。もっとビール飲む?」

 急にいつもの藤村に戻ってみたものの、ほんの些細な出来事にしか思えなかった最初の言葉から、まさかフィリピンからの脱出?そんな話へ飛躍してしまえば、忘れようにも忘れられない。

 結局この日は、「美鈴」で4人は別れた。それぞれGrabという配車サービスで車を呼び、めいめい帰宅の途についた。

つづく

第40回


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