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「最後の決断〜Escape from the Philippines」 第17回

1. 2023年、バー・マンス(-ber months) つづき

 彼が日本へ向かう際、いつもなら空港まで見送りになど行かない藤村が、この時ばかりは彼に相談した実業家とその家族を見送りに、ニノイ・アキノ国際空港(通称NAIA)に向かった。彼は日本人でもないのに、日系の航空会社に好んで乗る。サービスレベルが段違いにいいと話したのを、藤村は空港へ向かう車内で思い出した。よく、反日と言われる国の話が報道されるが、とりわけ藤村の周囲ではあまり聞かない話だった。

 「ミスターフジムラ。反日なんて、ただのカモフラージュさ。外に敵を作っておけば『不満のはけ口』になるだろ?そうやって政治家は自分に怒りの矛先が向かうのを回避してるのさ。日本の政治家だってそうじゃないのか?」

 なんとなくわかっていたこととはいえ、改めてそう言われれば、納得せざるを得なかった。

 日系の航空会社、日本航空は4つあるターミナルのうち、ターミナル1に離発着する。先行していた彼らの車の隣に、藤村の車が停まった。ドライバーと長い別れを惜しみながら、彼らは持てる限りのスーツケースをカートに載せ、ターミナルに入って行った。

 ターミナル内には見送りだけの客は入れない。藤村は出発ロビーに入る扉の手前で彼らに挨拶をした。

 「君が後押ししてくれたおかげで、私たちは日本に行けることになった。本当にありがとう」

 実業家は藤村と握手を交わした。

 「次は東京で会おう」

 藤村はいつもの、屈託のない笑顔でこたえた。

 BGCにある自宅へ戻る間、藤村はこれからのことを案じていた。「カーニバル」で集う仲間たちのことだけではなかった。もっと規模の大きなことを、彼は案じていたのだ。

 ほんの少し前まで絶好調だったはずの、彼の国が経済的な危機を迎えていると報じられ始めたのも、彼の実業家仲間が家族を連れ、日本へと向かったことも。しかもそれが経済的危機で収まるそぶりを見せなていないことも。実際、経済危機を有耶無耶にするかのように、海上では小競り合いが繰り返されている。報道では「互いに領有権を主張する」と報じられているが、国際司法裁判所では明確な判決こそ出さなかったものの、おおむねフィリピン側の主張を認めている。しかし、互いのコーストガードは一触即発の状況を繰り返している。

 しかし意外なことに、日本では報道で取り上げられる機会が少ないばかりか、人々の関心の目はフィリピンに向けられていない。藤村はこのことも懸念していた。かつて、米国のテレビシリーズに「24」というものがあった。「事件はリアルタイムで進行中」というフレーズが印象的だったが、まさに現在のフィリピン、あるいはアジアでの地政学的な事象は、リアルタイムで進行中だった。この時の藤村の懸念が現実のものとなるのには、それほど時間を要しなかった。

 そんな藤村の気持ちなど知る由もない、コールセンター勤務の川崎と本間は、いつものように勤務を終え、マカティの日本人街で一杯ひっかけていた。

 「そういえば、ボスからメール来てたなぁ。お前、見たか?」

 川崎は本間にそう尋ねると、本間はスマートフォンを取り出し、川崎に画面を見せた。

 「これでしょ?見てますよ。前にも話してたじゃないですか、ボスが。土曜日に『カーニバル』で騒ごうってやつ」

 「あっという間だったな」

 川崎は表情を曇らせながら、サンミゲルライトを流し込んだ。

 「いつものオヤッサンらしくないじゃないですか。そりゃ、寂しくなりますけど、ボスのことですから、ちゃんとこっちに戻ってくるでしょ?」

 「そうだといいけどな…」

 いつになく川崎はネガティブな発言を繰り返した。本間はなんとなくわかっている。川崎が寂しさを覚える理由(わけ)を。

 「オヤッサン、ボスと付き合い長いですもんね」

 「まあな。俺が困ってる時はボスに助けてもらい、ボスが落ち込んでいる時は、俺が店に行ってバカやって、気を紛らせたりしてな」

 川崎と花澤の付き合いは、花澤がまだ「カーニバル」を開く前からの長さだった。それは本間でも、あるいは田川や藤村も知らない世界で、KTVの開店に至ったもの、瓢箪(ひょうたん)から駒のような展開の末の出来事だった。

 「まさか川崎さん、もうボスがマニラに戻ってこないとか思ったりしてます?」

 本間の何気ない尋ねに、いつもなら冗談半分にバカヤロー!の一言でも出そうな川崎だったが、この日ばかりは違っていた。

 「お前はどうなんだよ、本間」

 「えっ?俺っすか?そりゃボスのことですから、俺は戻ってくると思ってますよ」

 「そうか…。お前がそう思うなら、俺もボスのことを信じてみるよ」

 「オヤッサン…」

 いつも通りの夕食兼酒飲みの席が、急にしんみりとしてしまった。

 「俺たちはただ信じるだけっすよ。ほら、藤さんもいることだし、アニキだって。俺たち、ただの飲んでドンチャン騒ぎする間柄じゃないでしょ?」

 本間は川崎の気持ちを案じつつ、それでも前向きに考えなければいけないと思っている。理由は2つ。ネガティブなことを考えると、運は本当にそっちの方向に向かってしまうという、本間の思い込み。2つ目は、川崎がネガティブになりすぎると「ヤケ酒」モードに入ってしまい、手がつけられなくなるからだった。

 「まあな」

 また川崎は「まあな」とこたえるが、表情は沈んだままだった。

 「オヤッサン。土曜日って、明後日じゃないですか!今夜はいいっすけど、明後日は笑顔で送り出しましょうね。ボスのこと」

 本間は少し川崎の沈んだ気持ちに喝を入れたかった。その気持ちは川崎に通じただろうか?」

 「そうだな。お前の言う通りだ。そんじゃ、もう1本だけ飲んだら帰るか。今夜は俺のおごりな」

 川崎はそう言うと、ウェイトレスにサンミゲルライトを2本注文した。自分の分と、本間の分も。

 「ありがとうございます!ご馳走になります」

 本間は川崎の気が変わらぬうちに礼を言った。別に川崎が心変わりのするケチな男だと言うわけではない。むしろこの後「もう1軒行こう」という”急展開”を気にしていただけだった。

 結局、川崎の懸念は空振りに終わり、本当に日本人街での1軒でその日ふたりは別れた。本間は交際中のファティマが自宅にいることもあり、まっすぐ帰った。そして川崎はと言うと、Grabで車を拾い、ある場所へ向かった。

 「あっ、藤さん?俺だけど、これから近くで一杯できる?」

 「うん、いいよ。それじゃ、Bank Barでいいかな?」

 「たしか、アレだよな?」

 「そう。アレ。大丈夫だよね?」

 「ああ。それじゃ、今マカティから移動中だから。15分かそこらで着くと思う」

 「了解」

 川崎は電話を切った。果たして、Bank Barとはどんな場所なのか?それより、アレが互いの会話で出てきたが、アレとは?

つづく

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