見出し画像

「最後の決断〜Escape from the Philippines」 第1回

1. 2023年、バー・マンス(-ber months)

 フィリピンのクリスマスは世界で最も早いと言われている。どのくらい早いかといえば、9月1日からクリスマスシーズンが始まる。その証拠に、9月になればショッピングモールの吹き抜けには巨大なクリスマスツリーが飾られ、BGMにはマライア・キャリーの「All I Want for Christmas Is You(邦題:恋人たちのクリスマス)」が流れる。SNSではマライア・キャリーが、彼女の上客ともいえるフィリピン国民に対し、早々にクリスマスメッセージを投稿するほどだ。

 9月から12月にかけて、月の英語名の最後には、berが入る(例:September)ことから、フィリピンにおけるクリスマスシーズンは「バーマンス(-ber months)」とも呼ばれる。フィリピン人にとってクリスマスは、一年で最も大きなイベントである。というより、クリスマスのために彼らは日々を過ごしているのではないかと錯覚してしまう。

 ここで、とりわけ観光客が驚かされるのが、9月になるとタクシーのドライバーから店のアルバイト、果ては物乞いに至るまで、全員とは言わないまでも「Merry Christmas.」と声をかけてくることだ。言い換えればそれは「Give me some money.」であり、やたらとチップを強請(ねだ)ってくる。12月20日くらいならまだしも、9月からそんな勢いでは、呆れるか、あるいは慣れるしかない。それだけならまだマシな方で、年末にかけてひったくりやスリ、強盗に至るまで、窃盗犯罪が多発する時期でもあるのだ。働いて家族や恋人にプレゼントするだけでは足らないのか、それとも単なる便乗犯罪なのかは定かではないが、主に観光客に対し、警戒を呼びかけることがあるようだ。ただし、誤解してほしくはないのだが、こうした事実を羅列し、フィリピンという国があまりにも貧しく、犯罪の多い悪い国だと吹聴したいわけではない。残念ながらこれらは事実ではあるが、それでも愛すべき国であることを、むしろ主張したい。そう考える日本人は少なくない(と考えている)。

 実は、フィリピンはこの30年来、大きく変化している。一部の経緯は端折るものの、かつての軍基地(フィリピン軍・アメリカ軍)を新たに開発し、幾つかの計画都市が造られている。例えば、マニラ首都圏・タギッグ市にある「ボニファシオ・グローバル・シティ  (Bonifacio Global City)」は、同国を代表する中心業務地区(主要なビジネス街・商業地区)となっている。その姿は、まるでニューヨークを移設したかのようで、近代的な高層ビルが立ち並び、緑が整えられた公園が広がる。一言でいえば異世界であり、多くのフィリピン人からしても異世界であるかもしれない。しかし、こうした計画都市はマニラ首都圏から他の都市に派生しており、着実にフィリピンは進化を続けている。

 もちろん、昔ながらの街並みも多く残されており、かつてスペインの植民地だった頃の建物から、アメリカの植民地だった時代を連想させる建物、そして数年ではあるものの、日本統治時代の面影も垣間見ることができる。そしてどうしてもフィリピンといえばつきものになってしまう貧民街も、残念ながら残ってしまっている。

 しかし、人々の熱量の高さは、国民の平均年齢約23歳という若さから推定することは容易だ。なにせ日本とはダブルスコアで若い。向こう数十年間はいわゆる「人口ボーナス」と呼ばれる、就業者人口の増加が見込まれる。日本の人口減少が著しい中、フィリピンの人口が日本を凌駕するのは時間の問題だと言われている。不可避な事実だが、やはり平均年齢が若く、人口が増えれば、国力も比例して強靭になる。あくまでもこれまでの定説ではあるが、そうした希望も込め、近年のフィリピンに注目する外国人は少なくない。事実、ビジネスチャンスを伺う外国人に限らず、観光客も増えているのだが、なにせ9月以降ともなると、クリスマスに踊る国民性が災いしているのか、フィリピンの負の部分と言っては失礼にあたるだろうが、観光客が眉をひそめてしまう場面に出くわしてしまうのだ。

 もっとも、そんなことを経験したって、フィリピンに熱をあげる外国人は少なくない。特に中高年男性。かつて米空軍基地があったクラークという街では、かつての名残からか、欧米の中高年男性をみかける。目的はもちろん、現地の魅力的な女性と仲良くなることだ。クラークからほど近い、アンヘレスにあるウォーキングストリートという繁華街があり、そのての店が立ち並ぶ。同様に、マニラ首都圏にはマカティ、マラテという繁華街がある。そこにはKTVと呼ばれる、カラオケが歌えるキャバクラのような飲食店が立ち並ぶ。主な客は日本人を中心とするアジア系だ。あるいは、KTVより過激なゴーゴーバーなるものもある。いずれも目的は現地の魅力的な女性と仲良くなることだ。要は、フィリピン人女性に魅力を感じる中高年男性が多い、ということでもある。

 もちろん、そんな「いやらしいオッサンたち」だけが目指す国ではない。近年では若い世代を中心に、語学留学の行き先としてフィリピンを選ぶケースが増えている。日本から近く、留学費用が安価で、公用語としてフィリピン人の間で英語が日常的に使われていることが理由だ。そうした語学学校があるエリアというのが、ビーチリゾートでも有名なセブ島で、リゾート気分を満喫しながら語学学習ができるというのも魅力の一つに挙げられるらしい。親子で短期の語学留学というケースもあるそうだ。

 そうして考えてみると、主に女性目当ての中高年男性と、語学留学目的の主に若い世代という、まるで水と油のような階層が生まれるように思える。これに加え、ビジネス目的でやってくる外国人、特に日本人の場合であれば、ODA(政府開発援助)の一環でフィリピンを訪れる企業関係者も多い。現在、急ピッチで進められているのがマニラ首都圏を走る予定の地下鉄建設、あるいは南北に延びる鉄道建設などで、前者はとりわけ、フィリピン初の地下鉄ということで、内外からの注目を集めている。

 なぜか日本ではメディアであまり取り上げられず、日本人の関心度も低いフィリピンだが、日本から近い外国であるだけでなく、近年では経済協力に加え、地政学的リスクという観点からも結びつきを強くし、互いに力を合わせねばならない国の一つである。そして決して忘れてはならないことは、フィリピンは世界有数の親日国であるという点だ。

つづく

はじめに へ                         第2回


いいなと思ったら応援しよう!