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「最後の決断〜Escape from the Philippines」 第6回

1. 2023年、バー・マンス(-ber months) つづき

 「あ〜!今日も1日、仕事が終わったぁ!」

 爽快な気分になったのか、川崎は歓喜の一言を発した。その姿に呆れているのは本間だ。

 「オヤッサンはわかりやすいっすね」

 「単純明快、シンプル・イズ・ザ・ベストってもんだ!月曜から働いて、今日は金曜。おまけに”ボス”も帰ってきた!いいことづくめじゃねぇか」

 川崎はまだ飲み始めたばかりだというのに、すでに饒舌だ。そんなお気楽な川崎に対し、本間は慎重なところがあるようだ。

 「でも、”ボス”がこっちに戻ってきたって、連絡でもあったんっすか?」

 「確か、日本に帰る前、言ってたはずだぞ。今日帰ってくるって」

 本間の素朴な疑問に対し、川崎は花澤が言った言葉を忘れていなかった。だが、川崎の話に、どうも本間は信用できない。ふぅ〜ん、という顔を浮かべてからビールを飲み終え、すかさず店員を呼んだ。

 「すみません。ビール2つ」

 店員を呼んだ際、本間は川崎のボトルが空になっているのを見逃さなかった。この男、結構気が利く。一見すると仲が悪そうにも見えるこのふたりだが、実は気が合うのではないかと思えてしまう。

 「おっ、やってるねぇ〜」

 店を訪れるなり、川崎と本間のふたりを見つけてやってきたのは、日本車の販売店で、メカニックとして働く田川だ。珍しいように思えるが、実はごく一部の販売店で、日本人向けに営業社員からメカニックまで、日本人を揃えているところがある。田川もその一人だ。得意先は必然的に駐在員をはじめとする日本人なのだが、基本的に駐在員は自らハンドルを握ることはないに等しい。それでも顧客に名を連ねている日本人は少なくない。田川はそうした日本人に頼りにされている存在だった。

 「よぅ。今日は早かったな」

 田川の前でも川崎は先輩面をする。だが田川はあまりそれを気にしていない様子で「どうも、川崎さん」といって挨拶をする。

 「アニキ、おつかれっす」

 一方、本間は田川をアニキと呼ぶ。言葉のお尻が”っす”なのは川崎の時と一緒だが…。

 「本間君もお疲れ様。ところでふたりとも来たばかり?」

 大柄な田川は椅子席に腰掛けながら、テーブルの上の様子に目をやった。頼んだ料理が並んでいるところを見ると、来店したばかりではないと容易に推測できた。

 「来たばかりっちゃぁ、そうかな。まだビール2本目だしな」

 そう言って川崎はサンミゲルのボトルをヒョイっと上げてみせた。

 「あれ?珍しいですね、川崎さん。今日はライトですか」

 「別に今日だけじゃないって。結構飲んでるぞ」

 「そうですか。川崎さんっていつも、日本のビールか、サンミゲルもピルセンしか飲まないと思ってましたよ」

 「今日はこの後、結構飲むだろ?」

 川崎の一言で、田川もピンと来た。花澤が帰ってきてくることは、帰国前に彼の予定を聞いている以上、知らないわけがない。しかも花澤はその予定を変更したことがない。となれば、今夜は「カーニバル」で2週間ぶりのどんちゃん騒ぎになるのは不可避だ。川崎はすでにアルコールの量を調節し始めている。その調節にどの程度の意味があるかはわからないが。

 「それはいいけど、今夜も”藤さん”は相変わらず遅刻かぁ?」

 川崎はそういうと、テーブルの唐揚げを箸でつまみ、口に運んだ。

 「まあ、いつものことでしょうって」

 田川も”藤さん”なる人物が遅れてくることは織り込み済みのような言い方をしている。

 「でも、いつも忙しそうな、忙しくなさそうな、不思議な人っすよね」

 「本間もそう思うか。無理もねぇよな。実はさ、アイツを知ってるヤツで、何をしてるのか知ってるの、誰もいねぇんだぜ」

 川崎が意味深な笑みを浮かべながら話すと、本間と田川は思わず顔を見合わせてしまった。

 「えっ?待ってくださいよ、川崎さん。だって確か、川崎さんと”藤さん”って…」

 「ああ。もう7年くらいになるかな。初めて会ってから」

 川崎の返事に、田川はのけぞりそうになった。別に互いのプライベートを覗き見する必要はないのだが、それでも何をしているかわからないとは…。

 「だけどオヤッサン。”藤さん”っていつも金払いがいいじゃないっすか。どんなことして金稼いでるんっすかね?」

 本間だって昨日今日のつきあいではないはずなのに、今更ながらに”藤さん”なる人物の収入源を気にし始めている。散々飲み代を出してもらったくせに。

 「それがよ、本間。俺も飲んだ勢いで何度か聞いたことがあるけどよ、いつだってはぐらかされるんだよ。あの笑顔でさ」

 川崎がいう、あの笑顔とは、時々彼が見せる、満面の笑みを指していた。とにかくいつも笑顔で、誰も怒ったところを見たことがないほど温厚な性格だった。温厚で金持ち。だが職業不詳…。そんな”藤さん”の正体が謎であるほど、3人の興味は増幅していく。

 「でも、この分だと『カーニバル』で合流って感じになりそうだな」

 川崎は左手にはめるGショックに目をやった。すでに8時を回っている。店の方もアイドリングの時間を過ぎ、そろそろ本格始動という時間に入りつつあるだろう。フィリピン滞在暦10年超の勘が働いた。

 「そうと決まれば、コイツら平らげて、ボスを拝みにでもいくか!」

 川崎の号令で、3人はテーブルに並ぶ料理に手当たり次第、箸を入れた。花澤が「連中」と呼ぶ理由が、なんとなくわかるような気がする光景だった。個性的といえばそうだが、最近いうところの、クセの強いヤツらだ。2週間ぶりに5人は「カーニバル」で再会する。

つづく

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