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「最後の決断〜Escape from the Philippines」 第2回
1. 2023年、バー・マンス(-ber months) つづき
そんなフィリピンに、一人の男が向かおうとしていた。花澤哲也はマラテにあるKTVのオーナーでもある日本人だ。妻子を日本に残し、単身フィリピンでビジネスを展開している。久しぶりに日本に戻ったのには幾つか理由があった。
第一に、2020年に発生した流行り病の影響で、帰国することができなかった。フィリピンは渡航制限、外出制限のいわゆるロックダウンが世界で最も長かった国の一つだ。実際には2022年の2月から渡航制限の緩和を始めてはいたが、フィリピン国内における外出制限、飲食店の営業制限の関係で売り上げが激減。その解消に向けて必死で働いた結果、2023年の夏になってようやく帰国できるようになった。第二にパスポートの更新などもあり、このタイミングでの帰国となった。そして2週間の滞在を終え、再びマニラに向けて旅立とうとしていた。
実は花澤には、第三の理由があった。それは、妻の恵子が離婚話を切り出したことだった。結局、離婚届に判を押すことはなかったが、ケンカにまでは至らなかったものの、中学生になる一人娘、美咲が原因だった。彼女の将来を案じ、花澤に対して日本で仕事をしてほしいと、長らく懇願していた恵子だった。しかし彼は帰国を拒み、そこに例のロックダウン騒動が重なり、心が病んでしまったという。離婚を踏みとどまった唯一の理由は、花澤が早期に店を畳み、帰国すると恵子に話したからだった。
花澤自身、そろそろフィリピンでのビジネスに見切りをつける時期だと悟り始めていた。ロックダウンの際、同業者の何人もが力つき、店や会社を畳んだ。あるものは帰国し、あるものはフィリピンの地方へと移転した。後者の場合、その多くはフィリピン人の妻か恋人の故郷への移転でもあった。それでも花澤をはじめ、多くの日本人経営者は踏みとどまった。だが花澤の心の中で、恵子からの離婚の申し出を機に、気持ちは大きく変化した。ついに決断の時であると。幸いにも花澤には帰国後、日本でもすぐに立ち上げられる事業がある。それも花澤の決断を後押ししていた。特に花澤の場合、ビジネスの主な拠点をフィリピンに定めてはいるものの、家族を日本に残している点、フィリピンに愛人や恋人を作らなかった点、そして日本でもはじめられるビジネスを持っている点は大きなアドバンテージとなる。実は全てを捨ててフィリピンに単身乗り込んだはいいが、現地で無一文となり、悲惨な暮らしをしている通称「困窮邦人」が話題になったことがある。書籍や映画の題材にもなったほどだ。そうした人に比べ、花澤の場合はまだ大きな可能性が残されている。一方で、残念な話だが、フィリピンにはこうした事実があることも忘れてはならない。
いつもとは少しばかり重い気持ちで、花澤は妻子が住む横浜市南区弘明寺のマンションを後にした。早朝の9月は、ようやく熱帯夜から解放され、ほんの少し秋の涼しさを感じるようになった。彼は京急本線に乗り、羽田空港を目指した。車中で思うことは、妻のこと以上に、娘の美咲の様子だった。思春期を迎えたばかりか、両親の離婚の危機に触れ、気持ちが不安定になっている。結局彼が帰国している間、ろくに話す暇もなく、目を合わせようとすれば背けられるほどだったことを、彼は悲しく思っていた。だが、それも責任の一端は自身にあると言い聞かせ、今は娘や妻との関係を修復するために、大きな決断の時だと感じていた。その思いは、多摩川を越え、京急蒲田の駅に着くまで引きずっていた。
彼は京急蒲田で乗り換え、羽田空港第3ターミナルへと向かった。ちょうど朝の通勤客や外国人観光客でごった返す車両に乗り、窮屈な思いをしながら駅で降りた。
彼の唯一の贅沢は、帰国時の往復に、日系航空会社のビジネスクラスを使うことだった。年に何度も使うものでもなければ、ほっと一息つける一時のために、往復二十数万円をかけることは、決して贅沢ではなかっただろう。そのために、まだ二人が目を覚ましたばかりの6時に出てきたほどだから。
それにしても、ただの帰国だというのに、花澤の荷物は実に多い。そのほとんどが部下や仕事仲間のフィリピン人、あるいは在住法人への土産だった。日本人に限らず、帰国するフィリピン人もまた、家族親戚や仲間に配る土産が多い。かつては日清食品のカップヌードル、それもシーフードヌードルが彼らのお気に入りだったようだが、今では現地でも手に入りやすいのか、もっと他の商品を楽しみにしている。そういうこともあってか、ますますスーツケースが膨れていく。そのため、フィリピン便は早めのチェックインが必要だった。最近導入されたFaceExpress認証なるものがあっても、荷物を預けるカウンターに人が溢れている。手荷物も自動で預けられるとは言ったって、そもそも搭乗客とその荷物の数が多ければ同じだ。加えて、おおらかな国民性が、作業をのんびりとしたものにさせてくれる。幸い、花澤はビジネスクラスに搭乗する関係で、スムーズな手続きが終えられたものの、この分では出発時刻は遅くなりそうだ。人々の列を横目に、花澤は軽いため息をついた。
保安検査を終え、花澤はビジネスクラスのラウンジへ向かった。自宅を出る際、何も口にしていなかった彼は、ラウンジで軽い朝食をとった。その間、スマートフォンを使い、空港に迎えにくる仲間に対し、メッセージを送った。すでに出発予定時刻は30分遅延する旨が表示されている。多少のマージンを見越して、1時間遅れると送った。きっと定刻通りの到着になるかもしれない。もっと言えば、入国審査もそれほどかからないだろうと予想できたが、あえて迎えを遅らせた。
仲間からはすぐにOKという返事が届いた。まだ日本時間で8時前、現地時間で7時前だというのにだ。きっと離陸後にメールが送られ、到着後にそれを見ることになるだろうと考えていた花澤は、その返事の早さにのけぞった。マニラに雪が降らねばいいが、と。
結局、搭乗開始時刻は定刻より約25分遅れ、10時ちょうどとなった。ラウンジからでた花澤は、優先搭乗で機内に乗り込み、ビジネスクラスの座席に腰掛けた。シートベルトを締めると、しばし離陸までの間、目を閉じた。
ほんの数十分の間だろうが、花澤は夢を見た。少々リアルな夢だった。炎に包まれたマニラの街を逃げ惑い、ついにマニラ湾に辿り着いたものの、悪臭漂う海に飛び込まねば炎の餌食となる、というものだった。
目を開けると、搭乗機は離陸している最中だった。すでに上昇を続け、窓の外には旋回中の機外に広がる空が見える。額には汗が浮かび、悪夢の原因はきっと、離陸時の振動だったのだろうと思い返した。ただ、それにしても嫌な夢だった。すっかりウエルカムドリンクすら飲み忘れ、水平飛行を待つばかりだった花澤は、必要以上に喉の渇きを覚えた。
つづく