『百年の孤独』の、100年目に到達しました(1,083字)
今から700字ぐらいディスります。
比喩表現の多さと、それに基づく結論に至るまでの回りくどさ、加えて日常の細部の全てを説明しようとする筆者の性格?
そしてその日常が、マジックリアリズムによる私たちの日常とのかけ離れ具合によって、読んでいて想像がとてつもなくしづらい。
とにかく、物語以外の思考(別のことをふと考えたり)が頭を巡って仕舞えば、登場人物が何をしているのか、すぐに見失ってしまいそう、そしてその登場人物の名前がほぼ全員似ているので、どの人の話をしているのか極めて把握しずらい。
せめて代名詞を減らしてほしい。「彼」と言われても、アルカディオか、ホセ・アルカディオ・セグントか、ホセ・アルカディオか、アウレリャノ・セグントか、アウレリャノ・ブエンディアか、アウレリャノ・ホセか、ホセ・アルカディオ・ブエンディアか、もう分からない。というのはまあ言い過ぎだが、このうちの2.3名ぐらい、のうちの1人をこのくだりでの「彼」としてるのはわかるが、誰のことを言ってるのかが分からない。
そして、代名詞じゃなくちゃんと名前で呼んでも、この人何した他人だっけってなって、またゴチャッとなる。
別に読まなくても良かったかもしれない。覚悟が必要だし、日本人読者とこの本の相性は非常に悪いような気がする。
文章に慣れてくれば素晴らしい表現を拾うこともできたし、楽しめた部分もあったのだが、ウルスラが亡くなったあたりで、ちょっとしんどくなった。やはりこの作品の主人公とも言える人物であり、ちょっとその根幹がなくなってしまったことによるものか
と、ここまでが90年目まで読んだときのメモ。
そして100年目まで到達し、マコンドの村は最終的に滅亡した。
おそらくこの作品の6割ぐらいしか理解できていないんだと思うのだが、読後感なのか、この物語への喪失感なのか、この作品の結末が重くのしかかるというよりも、自分の中の魂がふーっと抜けていくような感覚に陥り、
ここまできてようやっと、名前の似た人間がずらずらずらずらと出てきた意味を感じられ、
絶望と失望と、ブエンディア家の歴史の重みと、予言による唖然と、小説というよりも、物語の最後に必要とされる、必要というよりも読者が抱くべき望ましい感情がすべてパラパラ漫画のように心から捲り上げられていき、
ああ、この作品を読んで良かったのかもしれない、というよりも、読もうと勇気を出した1ヶ月前の自分を褒めてやりたい気分に駆られました。
もう一度よみたいけれど多分読まないです。決してお勧めはしないけれど、読んだなら最後まで読んでほしい作品