私なりのLGBTQ


世の中に自分の全く同じ人間なんていない。


だからどんな趣味嗜好を持っていたとしても、それは他の人に文句を言われる筋合いはない。


でも世間体を気にしていた世代があって、一定数の人たちには受け入れられないという現実もある。


ちなみに、人間以外の哺乳類動物の中にも、同性を好んだりする個体がいるらしい。おもしろい。


脱線するが、私は、人類は男女という概念がなくなり、交配活動をしなくなり、滅んでいくと考えていて、特に先進国はこの道に進みそうだなと思っている。


理由は社会的契約を作りすぎているから。日本では多重結婚できない。まずそこで、交配活動制限がかかっている。ま、結婚離婚を繰り返せばいいんだろうけど、そんな人は少ない。


子どもを育てるにもお金がいる。こんな考えは人間だけだ。サルなら、食料さえ確保できれば、バンバン子どもを産む。育てられるから。でも人間は複雑になりすぎた。全ての行動を何かで制限されながら生きている。


話を戻すと、自分のLGBTQについて、悩む時がある。


それは自分が女の身体で生まれたが、思ったよりも背が高くなり、ザ・女の子みたいな服装が似合う身体ではないので、振り切ってメンズライクだったりモード系の服を好んで着るようになった頃あたりから思うようになった。



髪の毛もショートカットにして、メンズ服をわざと着て、カッコいい女性を目指した。


そのうち、自分はもしかしたら女の子にモテたいのかも?とも思うようになった。



そう思えば、小中学生の頃、クラスのスポーツ万能な男の子みたいな女の子に、すごく憧れを抱いていて、真似をしたり(冬でも半袖で過ごすなど)、中学生の体操服をカッコ良く着こなして、運動できます感を出したりしていた。



高校生、大学生になると、クラスや部活の、ザ・女の子を見つけては、お気に入りにして、写真を撮りまくったり、接触しまくったりした。


あとは、男目線で女の子を見ることが多くて、街中でも「ええ脚してるなあ」「胸でかいなあ」「腹出しファッションいいなあ」みたいなことはよく考えている。(さすがに声には出さないし誰にも言わないが)



男になりたいわけではないし、女の子と行為をしたいわけではない。それは確かなのは分かっている。


ただ、自分の中で女性度、男性度みたいなパーセンテージがあって、今日は女っぽくいきたい、今日は男っぽく、今日はニュートラルぐらいで、と変わっていく感じがある。



なので人と会う時などは、ちょっと困ることがあって、自分は男っぽくいきたいと思ったとしても、相手の服装とか雰囲気に合わせた方が良いだろうなという変な気遣いで、自分の気持ちとは違う服装をすることがある。


そういうのを気にしない性格になりたいし、そういうのを気にしない世の中にもなってほしい。



ちなみに、ニュートラル〜男っぽい服装で、女性トイレに入ると、だいたいおばちゃんは二度見する。そうですよね。

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