2021年1月13日
 あの日も今日と同じようにとても寒い朝でした。もっと正確に表現するとすれば、当時の私にとっては真冬の早朝に起きること自体が稀なことで、記憶に残っている限りでは初めての経験だったということです。実際には同じような、あるいはそれ以上に寒い日ももちろんあったと思います。ただ、私にとってはあの日の朝が最も記憶に残る朝でした。そのせいもあってか、その刺すような寒さもまた、今も尚私の中に強く残っているのだと思います。

 そう言えば、あの頃には目覚まし時計がありました。銀色の長方形でデジタルのものです。昔から華美な装飾はあまり好みではありませんでした。高校生になると同時に一人部屋が与えられ、それに伴って家具を買いました。(正確には買ってもらいました。)その時に一緒に買ったものです。特に拘りは無かったので目についた一番シンプルなものを選んだと思います。そこから毎朝目覚まし時計のアラームに起こされていたことを思い出します。目覚まし時計とは別にスマホのアラームもセットしていたのですが、何故だかスマホのアラームでは上手く起きることが難しく銀の目覚まし時計に頼っていたのを覚えています。
 それにしても、あの機械的なアラーム音はどうしてあんなにも人を不快にさせるのでしょうか。連続的に止まることなく永遠と私の脳へ侵食してきます。それ以上に何が一番許せないのかと言えば、それをセットしたのが他でもない私自身ということです。自ら自分自身を不快の底に落としこむなんて狂気の沙汰ではありませんか。きっとあの頃から漠然と無意識的にではありますが、時間や時計といったものに嫌悪感を抱くようになっていたのかもしれません。
 すみません。話が逸れました。こんなにも目覚まし時計の話をしたにも関わらず、その日はアラームよりも少し前に起きました。とにかく目覚まし時計が嫌いだったというくらいに心に留めて貰えればと思います。

 AM5:22でした。
アラームはAM5:30にセットされています。私は時計の時刻を確認し、僅かに自分に誇らしさを抱くと時計のアラームとスマホのアラームを解除しました。五月雨式にポップアップされた画面を無言で払いのけ、充電コードを抜きました。
 部屋は暗く、自分の右手がぼやっと見えます。まだ夜と言っても問題は無さそうです。直ぐに喉の乾燥を感じました。粘膜が張りつくような違和感が先ほどの僅かな誇らしさを一瞬で消し去り、代わりに少しの閉塞感を私に与えます。無性に、部屋の空気を入れ替えるべきだと、衝動が走ります。私はベッドから立ち上がると、向かいのベランダへ向かいました。左右にカーテンを除け、鍵を外し窓を開けます。ヒューっと、風と言うよりも冷気の塊が部屋へ流れ込んで来るのがわかりました。まるで怠け者がもう用済みだと追い出されるように、部屋の暖気が窓から押し出されていきます。
 少し風が吹きました。今度は間違いなく風でした。ヒュッと私の頬を刺して横切る風が部屋の中へと消えました。後から匂いが来ました。鼻の奥をつんざくような尖った冬の匂いでした。上手い例えが浮かばないので、その日から私はそれを冬の匂いと呼ぶことにしました。外はまだ暗闇でしんと静まりかえっています。もしかしたら世界はまだ眠っていて私だけが起きてるのではないかと本気で少し思います。もちろん、そんなことは無いのだけど。
 部屋の空気が一新したのを感じ窓を閉めました。先ほどの閉塞感は少し和らいで頭もクリアになった気がします。しかし、喉の奥の違和感は依然しっかりと残っています。

 部屋を出ました。
廊下へ出るとキンと氷のようなフローリングが私を待っていました。私はなるべくフローリングへの接地面を少なくしようと、つま先立ちになってみたり、踵だけで歩いてみたり試行錯誤してみたのですが、結局有効な手段を見つけることが出来ず、駆け足で廊下を通りすぎ、落ちるように階段を降りました。リビングへ降りると、もう明かりが点いていて暖房も利いています。暖まり具合から15~30分前に点けたのだと思います。少なくとも裸足で歩くのに支障は無さそうです。むしろ、アイスキャンディが溶けるかのように、冷え固まった足の指先から血液が逆流してくるのを感じます。徐々に感覚を取り戻してゆく指先がむず痒く、私は足の指を器用にこ擦り合わせながらリビングを通りすぎてキッチンへ向かいました。

 母がいました。
母は私に背を向けて、おそらく朝食の準備をしています。「お水もらえる?」
寝起きだったこともあり、ややくぐもった声色で投げ掛けました。ところが、母は手を止めることなく作業を継続しています。
すぐに私は母が音楽を聴いているのだと気付きました。肩までかかる髪の毛をひとつにまとめていたのでハッキリと両耳にイヤホンジャックが見えます。

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