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IRニュース:時短ママの女性取締役が誕生!これまでのキャリアと働き方の変化についてインタビューしました

こんにちは。
ノバレーゼ IR担当の岩井です。

今年3月、新卒1期生として2003年に入社し、長きにわたり当社で活躍してきた笹岡知寿子が、取締役に就任しました。出産、子育てを経験するなかで、当社初となる『時短勤務の管理職』を務めた笹岡は、新たなキャリアアップの道を切り拓き、後輩のスタッフたちが後に続いています。

今回は、笹岡のキャリアやプロフィールを通して、当社で活躍するスタッフの魅力や特長、当社の社風や文化をご紹介します。創業から20年以上が経過しても変わらないノバレーゼのDNAを、みなさまに感じていただければ幸いです。


幼少期から人が好きで常に前向きな性格

笹岡は根っからの人好きで、どんなときでも前を向く生き方を貫いています。それは、間違いなく両親の影響だと、本人も語ります。スーパー等を経営する親におんぶをされながら、店頭に立っていた幼少期。人が好きで、常に前向き、後ろ向きのことは一切口にしない、そんな父と母のもとで育ちました。

「会社説明会に行くまで、ノバレーゼがブライダルの会社であることすら知りませんでした。」と笹岡が語る就職活動では、『親を超える会社をやってみたい』『ベンチャー企業で上場まで経験してみたい』、そんな漠然とした目標は持っていました。 笹岡が就職活動に励んでいた、2002年当時のノバレーゼの社名は『ワーカホリック』。社名に込められた『仕事にハマり、それを楽しむ』というメッセージに、自分の目標が果たせると直感して入社を決めました。

新人賞を獲得 入社3年で店舗責任者へ

配属先はドレスコーディネーター。入社後はすぐに頭角を現し、入社1年目に輝かしい功績を残したスタッフに与えられる『ルーキー・オブ・ザ・イヤー』を受賞します。翌年、ウエディングプランナーへ異動してからも笹岡の活躍はめざましく、誰もが驚く受注率を叩き出していました。秘訣は『とにかく人が好き、接客が好き』だということ。数字よりお客様を見て、会話の内容によっては、他社の式場を勧めることもありました。 その後、入社3年2カ月で、新規開業する施設の支配人(現在のゼネラルマネージャー職にあたるディビジョンマネージャー職)に抜擢されます。

その後も笹岡の快進撃は続き、入社4年9カ月(27歳4カ月)で中部エリアを統括する支社長に抜擢され、100人の部下を束ねる立場になります。

韓国進出の責任者として抜擢 

しばらくすると彼女の前に、1度目の挫折を味わうビッグプロジェクトが舞い降ります。支社制が社内で廃止された後、ゼネラルマネージャーとして活躍していた30歳の時でした。海外事業となる、韓国進出です。「出世意欲の塊で、野心に溢れていました。」と振り返る当時、支社制が廃止されたのも自分の責任、 降格人事と捉えていました。「不退転の覚悟。韓国に骨を埋めるつもりでした。」と笹岡は当時を振り返ります。

韓国支社の副社長と言っても、たった1人での戦い。見知らぬ土地で、式場の新規開業に向け奔走する日々を過ごします。 出店地は既に会社が目星をつけていました。決まっていることはそれだけで、あとはゼロからの立ち上げです。すべてを1人でこなし、式場のデザインまで完成させました。ところが、最終段階で事業がストップすることになってしまいます。出店予定地の登記が博物館だったため、営業許可が下りなかったのです。なんとかしようとかけずり回りますが、なんともならずじまい。ほかに出店地を探すも、マーケットを鑑みればみるほど、日本式の結婚式が受け入れられるエリアは都市の中心地に限られます。しかし、そのエリアでは到底、費用対効果が合わず、投資回収リスクに悩み、新規開業の決断がつきません。 式場出店は一旦諦めることになりました。

そこで、レストラン出店というスモールスタートに切り替え、まずは韓国文化に馴染み、地元有力者からの情報収集に努めようと考えたのです。『ここに店舗をオープンできれば、絶対に人気が出る』。そう確信した場所を見つけた時でした。当時の上司から「日本に戻ってきてほしい。」と告げられます。レストランの出店なら、レストラン事業部に任せるべきだという判断でした。

プライベートも投げ打った1年6カ月の挑戦は徒労に終わり、笹岡は帰国することになりました。「何も成し遂げられず、何も形にできませんでした。」笹岡の韓国での挑戦は、苦い結果に終わります。

長野エリアの立て直しへ マネジメントの方針転換で受注倍増

日本に帰国後、笹岡は福岡県の新店立ち上げを統括した後、長野エリアの立て直しを任されます。これまでの経験から、長野エリアの立て直しでは『できない理由を挙げるのではなく、良い部分を伸ばす』、そう決意してプロジェクトに取り組みました。 まずは、ハード面の改革に着手。少人数で行う婚礼スタイルが流行する兆しを読み取り、 古いチャペルを少人数専用のバンケットにリニューアルします。

アマンダンスカイ(長野県)

自身の仕事のやり方も変えました。 自己完結型の仕事をやめ、お客様のお出迎えのタイミングからやり方、接客、お見送りまで、自分でやって見せ、後輩たちへ重要なことを伝えていきます。心掛けたのは、小手先のテクニックだけを教えないこと。 お客様への想いや結婚式への想い、自分たちにできること、やってさしあげたいことなど、何をするにしてもどういう想いがあり、 どういう考えで行うのか、『仕事への考え、 仕事に向き合う姿勢』に重きを置き、伝えます。

また、近隣との良好な関係が築けていなかったことから、スタッフと共に、ボランティアに参加し、目の前の寺の掃除を行い、 裏にある山の山岳チームに参加し、地元小学生にフランス料理をふるまう機会もつくります。 すると、長野の式場は一気に花開き、瞬く間に人気の婚礼施設になります。 着任前後の1年間で受注組数を2倍超に伸ばし、受注率も17ポイント増の47.8%に引き上げます。 同施設は現在も好調で、笹岡の自信につながっています。

仕事への向き合い方の方向転換は、価値観が変わったと本人も話す、韓国での経験からでした。「1人で言葉や文化の壁にぶつかるなかで、みんなで仕事をすることの良さに気が付きました。」と笹岡は言います。これまでのキャリアで着手してきたことが、売り上げに反映される形で機能しました。

『ママで管理職で時短勤務』の道

エリア長時代の2023年には、一児の母として時短勤務を経験します。当社初の『時短勤務の管理職』で、自らロールモデルとして、女性管理職の新たな働き方を切り拓きました。

笹岡が当時受け持っていたエリアは、スタッフの人数が120人を超える大所帯。笹岡が産休を取得する前は、上司は家族として、同志として部下と接し、終業後も一緒に過ごすスタイルのコミュニケーションも活発でした。スタッフを支える立場にある管理職が、ほぼ全員が働く土日祝日に休むという社風はなく、途中で帰ることもタブーという企業文化が根付いていました。

笹岡も時短勤務への切り替え時、まさか管理職のままでいるとは考えておらず、代表の荻野が背中を押しました。一方で、『管理職で時短勤務』を心配する声も社内にありました。 笹岡は、試行錯誤を重ねながら、シフトの時間や店舗に足を運ぶ頻度、スタッフとの会議の回数、在宅勤務の基準(会議のみのスケジュールの日は自宅で仕事をする)など、前例のない働き方を少しずつ形作っていきました。 道標ができると、後輩が後に続きました。今は、時短管理職のママ同士が仕事を補い合うなど、協力体制も生まれています。

結婚式は AI にはできない仕事

最後に、結婚式への想いや今後のビジョンについて、笹岡に聞きました。

「私は今でも結婚式が大好きで、すごく良い仕事で、アドレナリンが出ます。AI にはできない仕事です。人間が生きている以上、人と人のつながりはとても大切。コロナ後の結婚式を見ていると、人と会って食事をするということへの価値が見直され、昔より盛り上がっています。女性が主人公だった結婚式を、男性が『やりたい』と思うようになっている、そんな時代の変化もあります。 ただ、古いままだと淘汰されていくので、絶対になくならない、新しいスタイルをつくりあげていきたいと思っています。」

 「泥臭く生きてきた20年、生き方は変えられないから、これからも泥臭く取り組みます。役職が上がるほど、腰は低く、謙虚に振る舞うことがマネジメント側のあるべき姿勢だと思います。その大切さを徹底的に伝えたいです。自分が自分らしく働きながら、みんなが同じようにがんばることのできる、開かれた会社に、そして大好きなブライダル業界に、パッションやロマンを発信できるような会社にしたいですね。」


今回も最後までお読みいただき、誠にありがとうございました。

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