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河野誠哉『個性幻想――教育的価値の歴史社会学』/オルガ・トカルチュク『個性的な人』
☆mediopos3749(2025.2.23.)
日本社会は
一九一〇〜二〇年代を中心とする期間と
一九八〇〜九〇年代を中心とする期間
二度にわたって「個性ブーム」を経験してきた
河野誠哉は著書『個性幻想』において
そうした「個性」をめぐる動向を検証するにあたり
「本来なら個性とは、
かくかくしかじかの意味であるべきはずなのに、
現状はこのように歪められて適用されてしまっている」
といった「本来の個性概念」が措定される仕方ではなく
それを想定すること自体を不可能だと考え
「長期間に及ぶ歴史過程の全体を俯瞰するための、
いわば「鳥の眼」の視点」に立ち
さらに
「現象を捉える際のスポットライトの当て方」として
「人々を「個性」の魅力へと駆り立てた誘引力を、
近代という様式に固有の特質に対する
アンチテーゼとして捉える」観点と
「「個性」の後そのものの機能としての、
レトリカルな作用に注目する観点」で
「個性幻想」をとらえようとしている
一九一〇〜二〇年代に日本社会で最初に
「個性」に対する関心の高まりが起こった背景には
日本の近代公教育制度が
ある種の完成段階に到達した状況における
「学校システムに備わる負の側面」があり
「集団性の中に埋没してしまった個人性の恢復を図るべく」
「個性教育」の推進や個別教育の実践が
模索されることになった
やがて一九八〇年代に入って
二度目のブームが起こってくるのだが
この局面においても
かつてのブームの時期同様に
学校教育がある種の到達点の様相を呈し
日本社会そのものもある種の到達点を迎えていたことが
その背景にある
「かつてなく多くの人々が
均質で画一的な生活スタイルを送る、
退屈な日常性の拡がる光景」のもと
「かつてよりもずっと広い文脈のもとで
「個性」の発揚が期待される機運が高まってい」った
上記のように
「「個性」というテーマが社会的に浮上してくる契機には、
近代化の段階的達成に伴う反作用としての一面があった」
「人びとは、日々感じている閉塞状況の裏返しとして、
「個性」という言葉に希望の光を見いだすように」
なっていったというのである
しかしその「個性」という言葉はやがて
「当初は実践的なテーマであったはずのものが、
やがて言説的な次元へと、
その機能的な適用の場面を移動させて」いき
「「個性を尊重すること」ではなく
「個性そのもの」が、社会的な価値へと転じて」
いくことになる
つまり「個性」が「差異」としてとらえられ
「誰もが「個性的」であることが期待される状況」である
しかし現在のようなメディア環境や
多様性を前提とした社会状況のもとで
「個性」は「「差異化」とは逆のベクトルの、
ノーマルな方向への取り込みを指向する
「包摂」の文脈が浮上」してきている
そんななかで「個性の尊重」と「平等性」という
二つの視点をどう位置づけていくかが課題となる
さて以上のように
河野誠哉『個性幻想』を概観している際
ポーランドの作家オルガ・トカルチュクの
『個性的な人』を読む機会をもった
ひとめ見ればその顔はがだれもの記憶に残」る
そんな「個性的な人」がいて
あらゆる場所で撮ったセルフィーを
ウェブ空間にあふれさせ
それをみずからのアイデンティティとしていたのだが
あるとき鏡に映ったじぶんの顔がぼやけはじめ
顔から個性が失われていくような恐怖をおぼえ
かつての自分の顔を取り戻そうとするが・・・
といった物語である
作家自身のことばを使っていえば
「わたしたちが持っている唯一の財産は
じぶん自身であり、アイデンティティです。
わたしたちはアイデンティティ闘争の時代に生きており」
「この本は、その闘争のプロセスです」
というのだが
その「闘争のプロセス」とは
その唯一の財産さえもが簡単に失われかねないという
危機感だといえる
昨今「承認欲求」という病が
しばしば語られたりもするようになっているが
それは唯一の財産である「じぶん自身」を
認めてもらいたい
評価してほしい
というものであるとともに
「承認」「評価」してもらわなければ
じぶんのアイデンティティなるものが
なくなってしまうかのような怖れ
そして危機感からくるものであるともいえるだろう
まさに「個性幻想」からくるものだが
その「幻想」から離れられないのは
現代に特有の「自我の病」とでもいえるかもしれない
ホッブズのいう「万人の万人に対する闘争」のように
「承認」「評価」軸における「闘争」が
余儀なくされているということでもあるだろうか
■河野誠哉『個性幻想――教育的価値の歴史社会学』
(筑摩選書 2024/11)
■オルガ・トカルチュク (著)・ヨアンナ・コンセホ (イラスト)(小椋彩訳)
『個性的な人』(岩波書店 2024/8)
**(河野誠哉『個性幻想』)
*序章 歴史の中の「個性」
「日本社会はこれまで、おおむね一九一〇〜二〇年代を中心とする期間と、一九八〇〜九〇年代を中心とする期間という二度にわたって、「個性ブーム」と呼べるような状況を経験してきた。なにゆえに「個性」は、これほどまでに人々を惹きつける社会テーマとなり得たのだろうか。そして私たちの社会は、この言葉に託してどんな理想=幻想を思い描いてきただろうか。」
「従来の「個性」論には、(・・・)個性概念の誤用や悪用などを批判する際の論拠として、しばしば、それぞれの論者の考える「本来の個性概念」が半ば強引に措定されるというパターン、に陥りがちなのである。「本来なら個性とは、かくかくしかじかの意味であるべきはずなのに、現状はこのように歪められて適用されてしまっている」というわけである。
(・・・)
本書の考えでは、「個性」をめぐる動向において検証しようとする試みにおいて「本来の個性概念」を批判の準拠点として措定するやり方は悪手である。というより、それを想定すること自体がもともと不可能と考えるべきであって、結局のところ我々は、歴史上のその時々の場面において、現実に「個性と呼ばれているもの」の社会的な様態を一つひとつ対象化していくほかないのではないかと考える。そしてそのうえで、それらを相互に対照させるかたちでもって初めて、実りある分析のための視座が開かれてくるのではないだろうか。したがってここで必要なのは、長期間に及ぶ歴史過程の全体を俯瞰するための、いわば「鳥の眼」の視点である。」
「「鳥の眼」が現象を捉える際の立ち位置のことだとすると、次に重要なことは、現象を捉える際のスポットライトの当て方ということになるだろう。そうして意味での分析視角として、本書が特に注目していきたいのは以下の二つである。
第一の分析視覚は、人々を「個性」の魅力へと駆り立てた誘引力を、近代という様式に固有の特質に対するアンチテーゼとして捉える視点である。とりわけそれは初期において顕著な傾向と思われるが、「個性」の重要性が強く主張される場合にはいつも、集団性や画一性、均質性に関わる問題状況への嫌悪は忌避感が直接的な契機となっている様子が看取される。それは突き詰めていくなら、近代という様式に備わる、ある種の構造的宿命の一部として理解できるというのが本書の見立てである。つまり「個性」というテーマが社会的に浮上してくる背景には、近代的疎外の問題が横たわっているのである。
その意味で、そもそも「個性」が社会的な関心と結び付くことになった主要舞台が学校教育の領域であったことは、きわめて象徴的と言えるだろう。」
「第二の分析視覚(・・・)は「個性」の後そのものの機能としての、レトリカルな作用に注目する観点である。
すでに戦前の段階で、その傾向が準備されていたことはまちがいないが、しかし、とりわけ「個性」への向きあい方が実践の次元から遊離し、つまりは実在としての「個性」から浮遊したところで、ほとんど言葉の上だけで「個性」という存在がさまざまな効力を発揮し始めるのは、おおむね戦後の二度目のブーム以降のことである。
本書の見るところ、それはこの言葉そのものが価値的な重みを帯びるようになっていったことの帰結であった。そしてまさしくそれゆえに、思わぬ社会的混乱が引き起こされていくのである。」
「取り上げていくトピックスの主要舞台は学校教育ということになる。言うまでもないことだが、学校教育こそは「個性」概念の展開と深いかかわりを持つ中心的領域にほかならなかった。したがって本書における探索は、結果的に学校教育の通史を振り返っていく試みともなるはずである。鳥の眼の視点でもって、「個性」という切り口からあらためて、これまでの日本の公教育の歩みを読み解いていくことにしたい。」
*終章 「個性」のゆくえ
・近代化の反作用
「日本社会で最初に「個性」に対する関心の高まりが起こった背景には、日本の近代公教育制度がある種の完成段階に到達した状況があった。初等教育段階において学齢児童の皆就学がほぼ達成さて、誰もが小学校に通う状況が現実のものとなると、まさにこうした成功の裏返しとして、学校システムに備わる負の側面は人々の間に急速に意識されるようになっていくのである。
集団性の中に埋没してしまった個人性の恢復を図るべく、一方ではまず大正新教育の文脈のもと、一部の先進校では「個性教育」の推進が打ち出され、成城小学校のような個別教育の実践が模索されるようになる。他方で公立校を主体とする一般の学校内においても、すでにそれ以前から集団内の個人を捕捉するための知の技術として〈表簿の実践〉が固有の進化を遂げつつあったが、この頃にはその発展型のひとつでもある「個性調査」なる実践が、社会政策としての職業指導や心理学的な学知としていくようなしかたで展開していくことになる。
このようなかたちの「個性ブーム」は、一九一〇〜二〇年代を中心とする期間においてピークに達し、やがていったん収束していくことになるが、しかし一九八〇年代に入る頃にふたたび二度目のブームが起こる。
注目されるのは、この時もやはり、学校教育がある種の到達点の様相を呈していたことである。」
「しかも重要なのは、この局面では日本社会そのものが、やはりある種の到達点を迎えていたことである。未曾有の経済成長を経て、人々が長いあいだ待ち望んでいた豊かで平等な社会が実現するのだが、それは同時にまた、かつてなく多くの人々が均質で画一的な生活スタイルを送る、退屈な日常性の拡がる光景でもあった。こうした背景のもと、必ずしも学校教育だけにとどまらず、かつてよりもずっと広い文脈のもとで「個性」の発揚が期待される機運が高まっていくのである。」
「以上の経緯に示される通り、「個性」というテーマが社会的に浮上してくる契機には、近代化の段階的達成に伴う反作用としての一面があったという状況が見えてくるだろう。集団性や均質性、画一性、同時性といった特質をはらんだ近代の様式は、その代償として、一人ひとりの人間の生が疎外されているという実感を伴うものでもあったのであり、そこで回復されるべき社会的目標を集約的に表現した言葉が「個性」だったと考えることができる。人々は、日々感じている閉塞状況の裏返しとして、「個性」という言葉に希望の光を見いだすようになっていったのである。」
・価値としての自立
「しかしながら、他方でこの「個性」という言葉は、徐々に言葉そのものの作用でもって————いわばマジックワードとして————、人々を魅了し、そして幻惑させる力を帯びるようにもなっていく。当初は実践的なテーマであったはずのものが、やがて言説的な次元へと、その機能的な適用の場面を移動させていくのである。ここで重要なポイントは、「個性を尊重すること」ではなく「個性そのもの」が、社会的な価値へと転じていったことだった。」
「このように「個性そのもの」が価値化していくという事態は、一九八〇年代の臨教審が「個性」の「尊重」ではなく「重視」を謳っていた態度に象徴的に占めされていたが、それはまた同じ時期の消費社会化状況によっても大きく後押しされていたと言える。いまは画一的であることは凡庸さと同義となり、周囲とは異なること、選択できることに価値が見出され。そしてしばしば、そうしたタイプの人物像が広く賞揚されるようなことが起こってくる。すなわち、ここで言う価値とは端的に差異的価値のことにほかならず、したがって「個性」はもっぱら「差異化のレトリック」として機能していくことになるのである。
そしてそうした展開の一端は、「個性的」「個性化」「個性派」といった派生語表現の流通拡大プロセスの中にも示されていた。」
「さらにまた、人々が差異としての「個性」を競い合う社会状況というのは、他方では新たな抑圧の契機となる得る事態でもあった。なるほど多様な「個性」が認められるというのは一見したところ望ましいことにはちがいないが、しかし誰もが「個性的」であることが期待される状況となると、それは幸いを通り越してむしろ過酷である。〔・・・)しかし(・・・)その後の学校のカリキュラムでは、愚直に「個性重視」の方針が貫かれていくことになる。」
・ポスト近代の「個性」
「それでは「個性」をめぐる状況は、今後どのように推移していくことになるのだろうか。(・・・)あえてこれからの時代の「個性」のゆくえについての展望を示しておくことにしたい。」
「まず言えそうなことは、ふたたび「個性ブーム」が起こるようなことは、おそらくもうないだろうということである。特に一九八〇〜九〇年代のように、大衆的な規模でもって、誰もが熱に浮かされたように「個性」を希求しはじめるような状況はまず起こらないと思われる。(・・・)いまや我々が直面しているのはむしろ、蔽うべくもない格差社会の現実である。」
「さらに付け加えるなら、メディア環境の変化も重要であるだろう。たとえば学校世界では、事の是非はさておき、eラーニングシステムをはじめとするICTの発達によって、これまで近代公教育を拘束してきた空間的・時間的制約から徐々に解き放たれようとしている。そうした意味で、近代性————集団性、画一性、均質性、そして同時性も含まれる————に対する反作用というかたちで「個性」が社会的テーマとして浮上してくる条件は、もはや失われてしまっているようにも見えるのである。」
「すでに多様性を前提とした社会状況のもとで語られる「個性」が、これまでと同じスタイルではありえなくなったことは明白である。したがって、いまや均質空間からの離脱を指向する「差異化」とは逆のベクトルの、ノーマルな方向への取り込みを指向する「包摂」の文脈が浮上してきたのだと解釈できる。その意味でこれは、いうならばポスト近代の時代における「個性」なのである。」
「さしあたって特に今日的な課題として注意喚起が必要なのは、やはり教育機会の平等をめぐる観点であるように思われる。世間一般ではあまり意識されていないことのように思われるが、「個性」と「平等」は、共に似たような教育的・社会的価値でありながらも、もともと背反的なものを含んだ緊張関係にある。
(・・・)
これは裏返すなら、「個性」への傾倒は、平等性が毀損される事態を覚悟せねばならないということでもある。そして、行き過ぎた平等主義が問題だというのなら、無防備な個性幻想もまた、それと同じくらいに警戒が必要である。」
「具体的には、(・・・)「個性尊重」と職業指導が結び付いた時に、結局のところそれが機能的に意味していたものは、それぞれの児童らの「身の丈に応じた」地位配分であった。一人ひとりの個性への対応という理想はたしかに尊いが、他方ではしかし、それはまた格差の固定化を正当化する論理ともなりかねないのである。
「個性の尊重」やら「重視」やらの美名のもとも、かえって窮屈な社会状況に向かってしまたたしはしないか。この言葉に接する時、そこにはらまれているかもしれない政治性や思わぬ副作用に用心する構えを、保ち続ける姿勢が肝要であるように思われる。」
**(オルガ・トカルチュク『個性的な人』)
「あるとき、あるところに、とても個性的な人がいた。ひとめ見れば、その顔は、たちまちみなの記憶に残った。」
「じっさい、みなに記憶されていたのは、かれの人となりや名前ではなくて顔なのだ。だからわたしたちはかれを、個性的な人、と呼ぶことにする。」
・小椋彩「繰り返されないわたしについて
————『個性的な人』訳者解説
「うつくしくて印象的な顔の人がいました。通りすがりの人にさえ記憶されるほど、カメラ付きスマートフォンを手に入れ、あらゆる場所で、一日に何千枚ものセルフィーを撮ると、かれの画像がウェブ空間にあふれるようになりました。ところがある日、鏡に映ったじぶんの顔がぼやけているのを見て、恐怖におののきます。写真を撮るたび、顔から個性が失われていくようです。意を決した主人公は、ある行動に出ます。果たしてかれは、魅力的で新鮮な、じぶんの顔をとりもどすことができるでしょうか。特別な存在として、ふたたび世界に認められ。耀くことができるでしょうか。」
「出版に先立ち行われたインタビューで、作家は次のように述べています。
「この物語の生まれたきっかけは、わたしたちが、みなと同じであるべきという適応の必要性を感じながら、他方では個性や独自性を求められるという事実にあります。ネットはトリッキーな質問を仕掛け、わたしたちは些細なことにも、つねにじぶんの定義を強いられる。これこそがソーシャルメディアです。わたしはこれこれに賛成だ。これこれが好きだ。これこれに共感する・・・・・・」「わたしたちが持っている唯一の財産はじぶん自身であり、アイデンティティです。わたしたちはアイデンティティ闘争の時代に生きており」「この本は、その闘争のプロセスです」(2023年1月29日「ガセタ・ヴィボルチャ」紙)。」
「個人の画像は際限なく複製され、人はみずからのアイデンティティの連続性に確信を持てなくなりつつあります。「面識もない人びとの視線のもとに、しばしば勝手に顔写真が送られる。おれがわたしにはなんとの落ち着かないのです。このようにしてわたしたちの画像は、それを送られた相手との「親密なコミュニケーションという側面をうしない、巷にあふれるゴミのようなイメージになりさがるのです」。テクノロジーが絶対的な影響力を持つ世界に住みながら。その世界に対してなんの影響力も持たないわたしたちは、無力感にさいなまれています。本作最後で女性が放つ一言は、わたしたちの「唯一の財産」すら簡単にうしなわれかねないという作家の危機感を反映しているといえるでしょう。」
□河野誠哉『個性幻想』【目次】
序 章 歴史の中の「個性」
盗癖も「個性」/「鳥の眼」のアプローチ/本書の分析視角/各章の構成
第1章 教育的価値としての浮上――大正新教育と「個性教育」
1 「個性教育」の時代
2 成城小学校とドルトン・プラン
第2章 個人性を可視化する――「個性調査」の地平
1 「個性尊重」訓令
2 近代学校と〈表簿の実践〉
3 分析の対象としての個人
第3章 二度目のブーム――臨教審と「個性重視の原則」
1 トットちゃんのユートピア
2 閉塞する学校教育
3 教育改革の時代
第4章 「個性化」の誘惑――差異化のレトリック
1 消費社会の中の「個性」
2 学校で「個性」はどう教えられてきたのか
第5章 実践からレトリックへ――語彙論的考察
1 「個性」の意味変容と二度のピーク
2 派生語の展開――「個性的」「個性化」「個性派」
第6章 障害と「個性」――包摂のレトリック
1 「障害も個性」への共感と反発
2 「個性の延長」としての発達障害
終 章 「個性」のゆくえ
文献一覧
あとがき
○河野 誠哉(かわの・せいや)
1969年、宮崎県生まれ。東京大学大学院教育学研究科博士課程単位取得退学。山梨学院大学経営学部教授などを経て、現在、東京女子大学現代教養学部教授(教職課程担当)。専門は教育社会学・歴史社会学。著書に『〈近代教育〉の社会理論』(共著、勁草書房、2003年)、『職業と選抜の歴史社会学――国鉄と社会諸階層』(共著、世織書房、2004年)など。
○オルガ・トカルチュク
1962年、ポーランド西部、ドイツ国境に程近いルブシュ県スレフフに生まれる。ワルシャワ大学で心理学を専攻、卒業後はセラピストとして研鑽を積む。93年、Podróż ludzi Księgi(『本の人々の旅』)でデビュー、ポーランド出版協会新人賞受賞。96年、第三作Prawiek i inne czasy(『プラヴィエク村とそのほかの時代』)がポーランドで最も権威ある文学賞ニケ賞の最終候補作となる。文学を専門とする自身の出版社Ruta(ルタ)をヴァウブジフに設立(2003年まで)、以降執筆に専念する。98年、第四作『昼の家、夜の家』(白水社)でニケ賞にふたたびノミネートされ、英訳版(House of Day, House of Night)は2003年度国際IMPACダブリン文学賞の最終候補となった。2007年に本書『逃亡派』を刊行。四度目のノミネートで2008年度ニケ賞を受賞した。最新作は、Księgi Jakubowe(『ヤクプの書物』、2014年)。エッセイストとしても高い評価を得ている。ヴロツワフ在住。
○訳者:小椋 彩(おぐら ひかる)
北海道大学文学部卒業。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程修了。博士(文学)。2001〜02年ワルシャワ大学東洋学研究所日本学科講師。東京大学大学院研究員等を経て、現在、東洋大学文学部日本文学文化学科助教。
専門はロシア文学、ポーランド文学。訳書に、O・トカルチュク『昼の家、夜の家』(白水社)