見出し画像

3,5本脚のフットボーラー

結論からいいます。

「マジですごかった!」

語彙力がなさすぎて何がすごいのかさっぱり伝わらないこの感じ。

話を遡ること今から28年前の話。
当時、高校3年生だった僕は、高校生活最後の冬休みをブラジルで過ごしていた。実は、センター試験をドタキャンするっていう大層なことをやらかしていたのです。じゃぁ、ブラジルで何をしていたのかというと、10日間の滞在でサッカーの短期留学をしていたのだ。

人生初の海外が、ブラジルっていう…。
飛行機を4回乗り継ぎ、片道2日間も移動に費やすっていうビックリするほど遠いブラジル。で、当時は、世界最強(今もだけど)で絶対的なフットボール王国に君臨していたブラジル。

その短い滞在はとにかく新鮮だった。言葉に言い表せないほど刺激的だった。そして片道の移動の方が長く感じるほどあっという間の滞在だった。
どんなに疲れていても移動する車の中から目に見える全てを焼き付けようと、寝てるのがもったいないほど。

そんなブラジルの滞在で見た忘れもしない衝撃的だったこと。

「3,5本脚のフットボーラー」

写真を見てもらった方が早いから、貼りますね。

まずは写真の右下に表示されている日付を見ていただきたい。
「'97.  1.  12」

この場所の詳細はハッキリとは覚えてない。
でも確かサンパウロの中心から車で3時間ほどの場所にある田舎のスタジアムだったはず。

これは僕が撮った、とあるプロの試合のハーフタイムショーの一コマ。
写真中央の彼をよ〜くご覧いただきたい。

「右脚の膝から下が…ない。」

失った脚の方でずっとリフティングしながら、スタジアムをぐるぅ〜っと1周しながら、いろんなパフォーマンスを観客席に魅せていた。
ハーフタイムの間、ボールを一回たりとも落とさずにだ。

その当時、彼を知らない人はいないっていうくらいブラジル中で超有名なパフォーマーで。
彼はこのパフォーマンスを生業にしていた。聞くところによると、中堅レベルのプロサッカー選手よりも稼いでいたとか。

そんな噂が事実だって知ることになる。

パフォーマンスが終わり、そして試合が終わり、スタジアムから出ようと出口に向かった。出口のところにプールで見かける高い監視台というか椅子に寄りかかるように彼が立っていた。

彼は立ちながら写真やサインに応じていた。
よ〜くその椅子を見ると、椅子の両側に黒いゴミ袋がぶら下がっていて何かが入ってるようで膨れていた。試合を見終わったサポーターたちがすれ違いざまに、そのゴミ袋に何かを入れていたのだ。


僕も近くまで行くと、彼の方から突然僕に指差して声をかけてきた。
「ジャポネース?(日本人か?)」って。

「そうだ」とアテンドしてくれていた日系人の方が話すと、彼は満面もの笑みで自慢げに僕らにこう話してくれた。

「俺も昔はプロサッカー選手になりたかったんだ。入団テストに向かうため、バイクタクシーに乗った。もう少しでテスト先のクラブに到着するという交差点で、急に飛び出してきた犬をバイクタクシーは避けようとしたんだ。で、目が覚めたら病院だった。最初は事故があったことを知らされただけで、身体中がとにかく痛かったんだ。で、俺が脚を失ったことに気づいたのは…数日後トイレ行こうとした時だった…。」と。

彼は続けた。

「ショックなんてもんじゃない。家族を養うためにプロサッカー選手になりたかったのにって何日も泣いて涙が出なくなったんだ。である時、神父さんが俺のところに来てよ俺の手を包み込むように優しく握りながら、こう話したんだ。”いいかい?サッカーの神様は君にこの脚でサッカーするようにって授けたんだ。脚を失ったんじゃないんだよ、決して罪滅ぼしで奪われたわけじゃないんだ。これはサッカーの神様から君に送られたわずかな恵みなんだよ。きっと君はそのことを後で理解する日が来るよ”って言って、帰って行ったんだ。」

さらに彼は続けた。

「入院してしばらく、松葉杖を与えられ、歩くリハビリを始めたんだ。ブラジルではサッカーが下手なことをなんていうか知っているかい?”Perna de Pau(ペルナ・デ・パウ)”って言って文字通り”木の脚”って言うんだ。そう、この松葉杖のことだよ。松葉杖をしながらプレーしているようなこと。しばらくして病院を退院し、毎日サッカーボールを持って教会に行ったんだ。”この松葉杖とボール、片脚と半分の脚でどうやって稼げるのか?”を神様から聞きたくてね。」

その時、彼から少し無邪気な笑みが溢れた。
そして彼は、缶ジュースを一口飲んで、さらに話を続けた。

「ある日、近くの公園でボールをリフティングしてる時に小さい子にこう言われたんだ。”3,5本の脚でどうしてそんなにコントロールが上手いの?僕なんか2本しかないのに…。”って。そこで突然、”これだ!!”って閃いたんだ!リフティングをしながらパフォーマンスをするってね。それからの毎日がもう楽しかったんだ。生き返ったようにな。」

で、彼はまたジュースをゴクゴク飲んで、続けた。
彼の話を聞き入ってて見えなかったが、ふと気づくと何人もの人が彼の話を聞き入って輪になっていた。

「そんでよ、俺の友達からこんな頼みがあったんだ。”今度友達が試合があるんだ。その日に実は試合があってね。誕生日のサプライズにハーフタイムでパフォーマンスをしてくれないか?”って。それが大きな話題になって新聞に載っちゃって、今ではこうしてメシが食えてんだ。親にも家を買ってあげれたしな。」

で彼は、人差し指を立てて僕の鼻の前に近づけて、声のトーンを下げてこう話した。

「来る日も来る日も教会に通ってた。けど、神様はいなかったんだよ、教会の中にはな。きっと、あの日子供に姿を変えて、ヒントを恵んでくださったんだよ。そこで、人生で大きな教訓を得たんだ、俺は。いいかい?よく聞けよ、ジャポネース。”神様はな、いつも姿を隠してその人にとって大切な何かを伝えに来るんだ。”

今でも忘れられない、真夏のブラジルで寒さを感じるほどに鳥肌立ったことを。気づけば僕は涙が溢れていて、彼にハグされていた。

監視台みたいな椅子の両側のゴミ袋に入っていたのは、何かもうお分かりだろう。試合を見た観客が、チップを入れていたんだよ。
想像してほしい。
ゴミ袋がパンパンになるくらいチップが投げ込まれるのを。

体感で30秒ほどだったろうか、優しくハグされていた。
そして別れ際、ブラジル流の挨拶のハイタッチ(片手の手のひらを合わせるようにお互い軽く叩いてから、グーでタッチ)をした。
少し歩くと「チャーウ!ジャポネース!(Tchaaaaau!Japonês!!)じゃあまたなー、日本人ー!」って声が聞こえいて振り向くと、彼は満面の笑みで大きく手を振ってた。

彼の声のトーン、話す時の眼差し、ハグされ、ハイタッチしたてのゴツさや鳥肌立った肌感覚も、今でもその光景は鮮明に覚えている。


そして今、このnoteを書きながらこう思っている。

僕は彼の名は知らない。
けどきっと、ブラジルのサッカーの神様は彼の姿を借りて、僕らに何か大切なメッセージを伝えてくれたに違いない。って。


あれから25年。
彼はどうしているだろうか?まだ元気なのなら、この写真を持って彼に会いに行ってみたい。
もし本当に彼に会えたのなら、その時の教会、あの時の公園に。彼が過ごした経験談をコーヒーでも飲みながら、たっぷりと聞きたい。
そして、今度は彼の名前もしっかりと覚えておきたい。


長々となりましたが、最後まで読んでくださってありがとうございました。


フットバレーに挑戦している自分の記事を併せて読んでほしいです。

●4ヶ月ぶりに夢へ再始動した日の話

●渡航費用支援をスタートさせて数日経った話

●なぜイタリアに行きたいのか?って話

そして活動をリアルに知っていただきたくて始めたマガジン




いいなと思ったら応援しよう!

キクチヒロキ
最後まで読んでいただきありがとうございます!