November,Wednesday.という生き方。-前編-
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いよいよNovember,Wednesday.の結成10周年ワンマンライブが1週間後に迫ってきたので、一旦これまでを振り返る時かと。
ノーヴェンバー(November,Wednesday.が長いので以降"ノーヴェンバー"表記にします。)を結成する前、ネルヲキルというバンドを3年半ぐらい?やっていて、半分空中分解的に解散した。
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そもそもバンドを続けていく上で、何かしらの目標を持って活動すると、メンバー個々のモチベーションが変化していくのは当然で、各々生活とやりたいことのバランスを保ちながら活動していくんやけど、理想と現実のギャップで心が折れるメンバーがいたりもする。
ネルヲキルの解散理由はまさにそれで、本当ならレコ発自主企画を打つはずが全く逆に解散になってしまった。
企画の内容、レコーディングを含め音源の準備、企画に出てもらうバンドさんへのオファー、そして当日の動員。
良い企画を打とうと思えば思うほど、やらなければいけない事は比例して増えていく。
日が経つに連れて焦りも必ず付いてまわる。
そんな時、メンバーの1人の心がポッキリ折れてしまった。
綱渡りのような日々に耐えられなくなったんだと思う。
まだバンドさんには声を掛けていなかったものの、レコーディングは進んでいたし、会場も押さえていた。
レコーディングは途中で中止(ミニアルバムの予定だった)、会場もキャンセル。
今まで決まっていたライブをキャンセルした事は無くて、これが初めてのキャンセルだった。
ネルヲキルまでに幾多のバンドをやってきたけど、さすがにここで自分の心も折れた。
「もうバンドはやらない。」
本気でそう思った。
でも心が折れてしまったメンバーを責める事はしなかった。
気持ちが痛いほどわかるから。
例え責めたとしても、折れてしまった心が戻るわけでもないしね。
絶妙なバランスで続けてきた事は、少しのズレでバランスを崩して跡形もなく粉々になる。
とにかくこの時は疲弊していた。
解散が決まった時、もう1人のメンバーがずっと「僕はマァさんとバンドを続けたい。」と言ってた。
もうホントしつこいぐらい言ってた笑
それでも一回消えてしまった熱は冷める一方。
どうしたものか?とずーっと悩み考えた。
今回の事を無かった事にして、継続していくだけのモチベーションはもう無かったし、ここまで一緒にがんばってきたメンバーの気持ちを無碍にする事も違うと思ってた。
心が折れてしまったメンバーも、「もう一回やり直したい。」と申し出た。
自分自身ネルヲキルまでのバンドは、メンバーそれぞれのやりたい事を踏まえて活動してきてた。
だからバンドが変わる度にバンドカラーも音楽性も当然違った。
じゃあ、自分が本当にやりたかった事は?
自問自答。
先輩や周りの人に「お前が作る曲は海外向けやなー。」って言われたり、たまに路上で弾き語りをすれば立ち止まって聴いてくれる人は海外の人だったり。
そもそも自分のルーツを辿っていけば、好き好んで聴いていた音楽はだいたいイギリスのバンドだった事に気付く。
現在でもよく言われる「世界観」を持ったバンドが好きだったらしい。
そこでメンバーに提案した。
「ネルヲキルはもうやらない、期待してくれていた人を裏切るような結果になったし、続けていける資格はもうない。」
他のメンバーもそれは納得してくれた。
「もし、このメンバーでバンドを続けるなら、俺の好きなようにやりたい。それでもいいならこのメンバーで続けよう。」
どうせ辞めるならせめてやりたいことやってから辞めようと思った。
自分が何者なのかさえ解らず身を引いて生きていったら、それは死んでるも同然だ。
いくつかの条件を出した。
1.ライブのペースを落とすこと。
2.ワタシが思うままに作ってきた曲をやること。
3.バンド名(これは下記に示します。)
4.海外進出(イギリス)したい。
ある日、バンド名を決めなあかんなーとふと思った。
これまではバンド名にしっかり意味を付けてた。
意味を付けた事によって生まれるバンド名の重圧もあったし、因果関係は無いだろうけど意味を付けてしまった事によって不自由になってた感も否めなかった。
よし、今回は全く意味のないバンド名にしよう!
ちょうどそう思ったのが11月のある水曜日だった。
もう察しは付いてると思うけど単純に、
November,Wednesday.でいいやん!!
となりました笑
海外進出も念頭にあったから、英語表記にはしたかったし、ちょうど良い塩梅だった。
この条件に納得し、いざこれから進んで行こう!と思って間もない頃、すでにメンバー間で温度差が生まれていた。
心が折れてしまったメンバーは、やっぱり活動に保守的になっていた。
自分ができる範囲で活動したかったんやろうし、その範囲がとても狭いものになっていた。
活動を開始する前にそのメンバーとは決裂した。
それでもやはりもう1人のメンバーは「マァさんとやりたいです!」を主張し続けた。
一度やると決めたからには、自分自身が納得するまでやりたい人間なので、さてこれからどうしたものか?と考える。
ワタシはボーカルとギター、残ったメンバーはドラム。
まずはメンバーを探す所からスタート。
イギリスのバンドってベースが女性のバンドが多いのもあって、どうせなら女性ベーシストを入れたいと思った。
ネルヲキルの前のバンドの時に、よく見に来てくれてた人がふと頭をよぎった。
「確かベースやってるって言ってたよなー…」
そこで声をかけたのが現ベーシストのmihoでした。
意を決して声をかけるものの、2回フラれたんよね笑
本人曰く「自分が至らなくて迷惑をかけたくない。」だったらしいです。
確かにそれまでベースを弾いてるの見た事も聴いた事もなかった。
「とりあえずやってみたら?やってみて嫌やったら辞めたらいいし!」となんとか口説いて、まずはスタジオで音合わせ。
あの時のことはたぶん死ぬまで忘れへんやろうなぁ。
「低音で命の危険を感じた。」のです笑
mihoはそれまでにバンド経験が無かった。
だからベースの低音がどうとか以前の問題だったのね笑
初音合わせ後、またもやドラムの子が「一緒にやりたいです!」を連呼していた。
今思えばなかなか調子の良いヤツだったんだなーと笑
そんなこんなで晴れて(?)November,Wednesday.の活動が始まる。
この3人でしばらく音合わせをしつつ、個人的にもう1人ギターを入れたくて探してた。
そこでドラムが前にやってたバンドのギターに声を掛けてもらうことに。
ただ、バンド自体をやりたい感じじゃなかったみたいなので、断られるんやろうなーって思ってたらあっさり「いいっすよー。」の返事が笑
そうして初期メンバーが決まり、曲をどんどん書き音を合わせ、翌年の2月に初ライブとなる。
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ここまで割と端折りながら書いたけど、だいぶ長いですね笑
まだ入り口…笑
引き続きお付き合い下さいませー。
ようやくライブもやれる環境になったけど、メンバー各々の生活バランスで、平日のライブがなかなか困難だった。
いくつかライブハウスにブッキングの申し出をしたけど、どのライブハウスも「あー、うちは土日はイベントで埋まってるからねぇー。」の一辺倒。
ここで最初の難関に。
ライブがしたくてもやれる場所がない。
そんな時、たまたまネルヲキルの時にお世話になってたライブハウス、AtlantiQsのオーナー山さんから連絡が。
そもそもの繋がりが、ネルヲキルの時に心が折れたメンバーがずっとお世話になってたライブハウスだったらしく、ネルヲキル解散までずっとお世話になっていた。
連絡をもらった時、AtlantiQsでバンドマンの集まる飲み会みたいなのをやってたみたいで、久しぶりに顔を出す事に。
そこで現状を説明した所「うちでやればいいやん!」って温かく迎え入れてくれた事によって、その後のノーヴェンバーのライブの基本がAtlantiQsになるのでした。
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最初の頃のライブは今みたいに映像は使ってなくて、よくある普通のロックバンドでした。
映像を取り入れるようになったのは、たまたま見かけたバンドが映像を使っていたからというシンプルなものでした。
ノーヴェンバーは世界観重視バンドだったので、そこに映像で演出すれば更に世界観広がるんじゃない?っていうイメージがどんどん湧いてきた。
mihoに「映像やってみーひん?」って話を振ったら「面白そうやからやってみる!」の一言でmihoがその後の映像を担当する事になる。
ようやく軌道に乗り始めた頃、頭にふと[東京に遠征]の文字がチラつき始める。
とは言うものの、東京に知り合いのバンドがいるわけでも、知り合いのライブハウスがあるわけでもなかった。
そんな話をAtlantiQs山さんに相談した所、「あ、行ってみる?」となんとも軽快な返事が返ってきた。
以前からAtlantiQsと代々木laboは交流が深く、交歓イベント等もしていた関係性だったらしく、代々木laboを紹介してもらえた。
「どうせ行くなら1日じゃなくて、2日行ったらー?」と、またもや軽快な言葉の山さん。
「東京に安藤匠っていうアーティストが高円寺CLUB LINERっていうライブハウス紹介してくれるみたいやから橋渡ししてもらうわ!」
と言う事で、ノーヴェンバー初の東京2デイズが決定したのです。
どうせ行くならと、当時とても仲の良かったTHEtwomayMegachi(ツメミガチとカップリングツアーを決行した。
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初の東京ツアーはワクワクしかなかったなー。
全てが初めての事やったし。
CLUBLINERを繋げてくれた安藤匠という男。
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最初の印象は「胡散臭い男」でした笑
ライブ後に色々喋ってたら共通点だらけで仲良くなるのに全く時間は必要なかった。
ここから現在までこんなに繋がりが深い仲になるとはこの時は思ってなかったなー。
出会いに感謝です。
またこの男については別ブログで触れたいと思います。
代々木laboもはじめましてのワタシ達を温かく迎え入れてくれて、その後も何かと良くしてくれている。
東京は温かい人ばかりだなー。
そしてこの東京遠征直後にふたつめの難関が訪れる。
ドラムの脱退。
東京遠征少し前ぐらいから、仕事の関係やらで急にスタジオに来れなかったり、バンドの運営にも関与しなくなったりで、割と足踏み状態が続いてた。
口火を切ったのがギターのRyo君で、現状の確認と、今後どうしたいのか?を聞いた所、これ以上は迷惑がかかるので脱退しますの返事だった。
この先ノーヴェンバーは一体どうなってしまうのか…!
後編へ続く。
(ここまで書くのに2時間かかった)