片時も携帯を手放さない人たち
一緒に時間を過ごしている時、向かい合っている時にも携帯をいじっている人が一定数存在する。
同じテーブルについているにもかかわらず、みんながみんな携帯を覗き込んで会話を楽しむことをしない。
なぜなのか?
私は目の前にいる人の時間を私に割いてもらっているのだから、その貴重な時間を携帯に奪わせたりはしないようにしている。
というか、携帯なんて一人の時にいつでも見られるんだから、わざわざ誰か人といる時に見るようなものでもないと思う。
私が質問など目の前の人間に注意が向くように仕向ければ良いのか?
私のスキルの問題なのか?
いやでも、そんなことはないのでは?
目の前にいる生身の人間に注目することはそんなに難しいことなのか。
私には興味がないということを態度で示している?
ならばなぜ同じ時を過ごす選択をしたのか、と問いたくなる。
目の前にいる私の人間性を深掘りするよりも、ここにはいない他人のキラキラしたところを見ている方が楽しいのか?
それとも自分を深掘りされたくないのか。
だから携帯という小道具を使って話しかけられないよう、深掘りされないようガードしているのか?
自分のことを、自分の知らないところまで掘ったり言い当てたりして欲しくないから?
怖いのか、見透かされそうで?
それならまあ少しは納得できるかもしれない。
後ろめたい何かがあって、そこに深入りして欲しくない。
自分もそれに向き合いたくないから、注意を逸らすことによって目を向けないようにしているのかな。
なるほど(?)
まあそうやって考えることによって、私が否定されているわけではないと思えるから、少しは私の精神衛生上は良いのかな。
でもお互い深掘りしたいと思える人とじゃないと長く関係が続かないのではないだろうか。
そこを条件として諦めてしまったら、長い付き合いを求める身としては、良い人、合う人は見つけられないのではないか。
特に結婚するということになったら(特に願望はないけれども)、本当に一生添い遂げることにならなくとも、まだ大きい決断として考えている人が多いと思う世の中で、籍を入れるとなるとそれなりに覚悟を決めるものだろう。
そういう時に多少大袈裟でも、何があっても一緒にいると、そう思える人の方がいいだろうし、じゃあそう思える人を見つける、ないしは育てるには、目の前にいる人に興味を持てない人だと論外。
育てられる見込みがあるなら良いかもしれないけど、そんなに手間暇かけるほどの人間かどうかわからないし、そう思える人間に出会えるかわからないし、求めるものは人それぞれ違うし。
なんにせよ、難しい問題であることに変わりはないか。
そこまで考えて関わる人間(恋人など)を探している人は少ないのかな。
私が深く考えすぎなのか?
でもそのくらい思ってる人、この考えを聞いて「確かに」と自分の中で考えを深められる人の方が、人間関係を築く上でも良いと思う。
はなから否定したり笑い飛ばしたりして少しでも考えようとしない人は、まあこちらから願い下げではあるのだけれど。
同じような考えを持っている人だけと関わっていきたいと思っているわけではないが、少なくとも一緒の時間を過ごしている時に、目の前の人に注意を向けられない人とは、あまり積極的に関わりたいとは思わないのも事実。
どんな関わりから運命の人が現れるかわからないし。
運命の人が実際に存在するのかどうか、運命の人とはどういう定義なのかという話は置いておいて。
運命の人とは、考え方が似ているとか、一致しないとしても互いの意見を尊重できるとか、そういうところが大事なのでは?
運命の人、というか、一緒に長く関係を続けたいと思える人?
考えが似てるとか、共通する部分があって、とてもじゃないけど他人とは思えない、こんなに私を理解してくれて、私も相手を理解できる人なんて他にいる?もうこれを逃したら出逢えないのでは?これぞ運命?
ってなるんじゃないの。
シンデレラはみそめられたわけだけど、特に内面とか知り合う前に、でも小さな共通点や奇跡が重なって出来事として、それが罪かなさって運命と呼ぶこともできるし、それで結婚しましたと。
でもシンデレラたちは結婚後に互いの内面を知っていく上で、どうしても譲れないことが出てきて、離婚となる可能性は大いにあるし、じゃあそれは運命だったのか?
それも含めて運命とも言える。考え方はいくらでもあるけれども。
(なんの話?)
運命って重ねてきた経験が同じだったり、境遇が似ていたり、考え方が共通していたりすることがあると聞く。
自分という人間がもう一人いる(現れた)とする、でも自分は一人だし。
でも他人とは思えないほど共通項があって、これはもう運命なのでは?ってなるものじゃないのかなあ。(?)
考え方などが似ていなくても、共感できたり、違うと思っていたけど、よくよく考えてみれば、そういうことが言いたかったんだと言い当てるというか、漠然と考えていたものに形をくれることになるかもしれないし。
その体験はなかなかできないものだし、その手助けをしてくれたその人は天才で、もしやここで出会う運命だったのでは?となるかもしれない。
まあ人によって考え方は違うし、人の数だけ考え方はある。
あるひとはその出会いを運命だと思ったとしても、ある人はそうは思わなかったりするだろうし。
時と場合にも左右されるだろうし、実態があるものではないから、どう捉えるかは人それぞれ。
思い込むこともできるし、切り捨てることもできる。
その考え方や捉え方さえも一致すれば、まさに運命だねって言い合えるだろうし。
人によるとしか言いようがないけど。
果たして運命の人は存在するのか。
結局何が言いたかったのだろう。
まあ、せっかく一緒に時間を過ごしているのだから、その時間くらいは目の前の人に注意を向けて、携帯の中の人たちのことは一旦忘れてもいいのではないでしょうか。
わからん。
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