~アルゼンチンより~ 無駄と不便は生きる上で大切なこと
ご訪問ありがとうございます。
アルゼンチンからお送りしています。
先日、こんなブログ記事を見かけた。
アルゼンチンにいると、幼少期に育った頃(80年代くらい?)の日本と似ていると感じることがすごく多い。
普通に生活していてもアトラクションみたいなハプニングの連続で、どうしても日本の便利さと比較してしまう。
不便なことが当たり前だと割り切れた時に気づいた事。
不便な中にこそ、逞しく生きるための知恵と術がある。
不便な中で知恵を出して考えてみる。
生きていく中でどんな需要があるのだろうか。
当たり前のはずの不便を知恵で解決する。
人が笑顔になれる事だけを真剣に考える。
今やAIが論文を書いてくれるような世の中。便利が故に淘汰されていく職業が出てくるという時代。先人たちから受け継がれる「人の知恵」自体が、機械化されていくことに危機感を感じている。
アルゼンチンでは犬を散歩することを商いにする人もいる。たくさんの犬を連れて歩く姿を良く見かけるし、むやみに吠えたりするような犬も少ないような気がしている。
家族同然のワンちゃんを散歩に預けて、集団行動で群衆心理を学んでくることで、良い子になって帰ってくると聞いた。
すなわち、不便な世界では人のバランス感覚が研ぎ澄まされて、考える力が身につくという事。無駄だと思う遠回りにこそ人生の学びがあって、経験というスキルのヒントがあるのかもしれない。
スマホがあるだけで、わからないことは調べることができる。生活には手放せないほど相当便利な時代。
だからこそ気づく不便さには、成長という伸びしろがあることの裏返しでもある。
そんなアルゼンチンで不便だなと感じた時に、一度立ち止まってみようかなって思うようになった。
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