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なぜ笑ってはいけないのか―帰ってきたヒトラー―

概要

監督・脚本:デヴィッド・ヴェンド
原作:ティムール・ヴェルメシュ
出演:オリヴァー・マスッチ
   ファビアン・ブッシュ
   クリストフ・マリア・ヘルプスト
   カッチャ・リーマン(1)、(3)

あらすじ

 ヒトラーの姿をした男が突如街に現れたら?
 「不謹慎なコスプレ男?」顔が似ていれば、「モノマネ芸人?」。
 リストラされたテレビマンに発掘され、復帰の足がかりにテレビ出演させられた男は、長い沈黙の後、とんでもない演説を繰り出し、視聴者のドギモを抜く。自信に満ちた演説は、かつてのヒトラーを模した完成度の高い芸と認識され、過激な毒演は、ユーモラスで真理をついていると話題になり、大衆の心を掴み始める。しかし、皆気づいていなかった。
 彼がタイムスリップしてきた〈ホンモノ〉で、70年前と全く変わっていないことを。
 そして、天才扇動者である彼にとって、現代のネット社会は願ってもない環境であることを―。(2)

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特徴

 偉人があの時生きていたら、この現代に蘇ったらというものを題材にした映画である。

 ヒトラーを利用し、出世しようとするテレビマンの思惑を逆にヒトラーが利用し自分が現代(2014年)に蘇ったのは神の意図によるものと考え、疲労したドイツの復興を目指す。最初は彼等のすれ違いのコメディチックの遣り取りに笑い溢れるが終盤になるとそのすれ違いの幅が広がり、一人が英雄、もう一人が狂人となるまでになってしまう。

良い点

 ヒトラーが街に出て直接民衆と触れ合い、その合間に政治情勢にどの様な不満を持っているのか問う。これによりヒトラーがより身近な存在として強調され、それによりヒトラーが本当に民衆に寄り添っていると形をとる。これはヒトラーが民衆の幸せの為にそれを代弁しているにすぎず、最初に出会った売店の男の会話でも見られると通り、ヒトラーが現代に蘇ったのは神の運命(意図)だと主張している。ことからそれによりヒトラー自身がこの現代の舞台装置として役割を成し、むしろ現代を生きる我々に問いかけてくる作品となっている。そしてその見せ方の定石を踏んでおり見ていて監督の真意を理解しながらも自然と背筋が凍る様になってくる。我々が笑ったものの正体を知り、罪を得ることになる。

悪い点

 ブラックコメディとしているので人種差別ネタがきつくそれにより不快感を出す人もいるかもしれない。しかしそれが正しい反応であり、そのことによる後味の悪さは否めない。
 後半のヒトラーが炎上した後からの流れが滑らかで、本を出版した後すぐに復帰しており、民衆の支持が戻っているのはご都合主義的展開が否めず、迫害されたユダヤ人が終盤までに出てこないのも同様である。
 そして物語上の番組に出てくるヒトラーが有色人種に差別発言をするが我々黄色人種、被差別される身としてはそれが有耶無耶になってるのも不可解である。不快であるがそこには深入りしない、飽くまでヒトラーにより煽動されるドイツ人(極端に言えばアーリア人)に向けて作られた映画である事を示しているようである。

まとめ

 ヒトラーの登場により善悪の境界が揺れ動く民衆をテーマとしており、ヒトラーもその登場人物もただの舞台装置である。最初の世界大戦の後から台頭したヒトラーを民衆がどの様に受け入れたかを再現しており、それを止める術を明確に表さず、各個人自身に問いかけるものとなっている。歴史の授業による結果論から導き出されるなぜヒトラーを支持してはいけないのかではなく、こうしてもう一度人々に寄り添い、熱狂されるヒトラーに対して我々は何をもって、まだ罪を犯していない先導者に対して、反発する態度を取らなければいけないのか、その根拠を問うものである。なぜならヒトラーは民意によって選ばれたのだから。もしその判断が遅ければザヴァツキの様にいつ出れるか分からない収容所に送りになるかもしれないのだ。



(註)

(1)以下から引用


(2)以下から引用


(3)各画像は以下から画像転載


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