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この公園で

 最近、サスペンダーズというお笑い芸人にハマっている。
 もともと小説や漫画、映画、音楽など、所謂カルチャーと呼ばれるようなものは大体好きだったが、ふとYouTubeに流れてきたサスペンダーズのコント映像を見てから彼らにどハマりしてしまった。
 住んでいるところが関西圏だからだろうか、周りではコントよりも漫才が好きという人の方が多い気がする。でも私は断然コントの方が好きだ。それはコントの方がより物語性に富んでいて豊かな世界が広がっているように思えるからだ。漫才はその芸人のキャラクターがそのままストレートに表現されていて、それはそれでその人の人生、その物語の一端を目撃しているようなものだけど、私としては少し物足りない。もっと色々なキャラクター、もっと幅の広い物語を目撃したいのだ。
 コントを主にやる芸人は、極端に言えば見た目なんてパッとしてない方が良い。どこにでもいるような見た目の人だから、どこかにいそうな人物を演じ、どこかにありそうな出来事を写し取ることが出来るのだと思う。その芸人自体のキャラクターが強烈であればあるほど、その世界のどこかで繰り広げられる物語のノイズになるからだ。
 サスペンダーズは古川と依藤による二人組のコント師で、二人ともいまいちパッとしない朴訥な印象だ。見た目からは強烈な印象も個性もおよそ受け取りがたい。しかしコントの凄まじさたるや、ちょっと言葉に困るくらいだ。
 私がハマるきっかけになった彼らの「夜の公園」というコントは、ある大学生(古川)が宅飲みの酒やお菓子を追加で買って家に戻るために夜の公園を通りかかると、小さい頃に一緒に遊びに連れてってくれた友だちの父親(依藤)がブランコで独り黄昏ているのを目撃することから始まる。それこそどこにでもありそうなシチュエーションだ。しかし、物語は不穏と混乱に満ち満ちている。妻に不倫されたとして感情を爆発させる友だちの父親と、それをたまたま目撃してしまった大学生。ふと古川が自身の存在、加えて聞き耳を立てていたことが依藤にバレてしまう。気まずさに慌てて口を吐いた言葉が状況を錯綜させていく。その様子に観客であるこちらも大いに笑ってはいるが、ふと背筋にうすら寒いものが走る。
 そしてこのコントの最後には本当に怖いオチがついて、その椿事の余白に古川は取り残されてしまうのだが、そこで私は、彼と一緒のその世界に突き落とされてしまったような、なんとも言えない感覚を味わった。それは自室でパソコンの画面を覗いていただけなのだけれども、ふっと、その世界の匂いが流れたとでも言えば良いのか、とにかくそのコント世界である深夜の公園の匂いがした気がした。そしてそれは不思議なことに、別にその公園が海の近くであるとは明言されてはいないのだったが、ふっと、潮の匂いがしたのだ。
 後で知ったが、古川は横浜の金沢文庫出身だそうな。思わずGoogleマップでその周辺をスワイプしていると、そこから一番近い海辺には「海の公園」という広大な海浜公園があるのを見つけた。そうして私の生活圏にも同じように広大な海浜公園がある。
私は妙な納得を覚えた。あのコントは、私の住む街の話でもあった訳だ。
 表現というものは、本当に、恐ろしいものだ。
 おそらく住宅地の隅にあるだろうあの夜の公園にも、僅かではあるが確かに潮風が流れていたということなのだろう。そうして私の鼻先をその潮風が掠めたのだろう。奇しくも私も彼と同じような海辺の町に住んでいるから、ふと鼻先を掠めたそれが潮風であると分かったのだろう。
 私はそう信じている。

「見よ! サスペンダーズ!」
 放課後、いつものように百々瀬と五十嵐を連れ立って書店にやってきた一万田は、芸人特集が売りのサブカル誌を繰り広げながら、これまたいつものように唐突かつ声高に叫ぶ。誌面には、いかにも無造作な生活そのままの部屋の中、二人組の男が座ってこちらに目を向けている。
「何だ、一万田。うおっ、ずいぶん汚い部屋だな」
「どれどれ。ふーん、サスペンダーズ、東京の芸人なのね」
「サスペンダーズを見よ! 高い演技力と類まれなワードセンス、自意識過剰で気弱な人物を演じさせれば当代第一と言われる自意識過剰で気弱な古川と、相方の依藤による唯一無二のコント!」
「もうちょっと依藤にも言及してやれよ。あとその説明だと、古川は、たんに自意識過剰で気弱な性格そのままで舞台に上がってるじゃねえか。演ずるも何もないだろ」
「依藤ちゅき~、ちゅき~」
「それで好きなのは依藤の方かよ。こいつ対象への好意と興味との釣り合いが取れてねえぞ」
「依藤はキスビタが好き。キスビタとは、キスをした後にビンタをする依藤の性癖」
「依藤やばすぎるだろ。初めて聞いたわ、そんな特殊性癖。というかそんな相方で、たんに自意識過剰で気弱な古川大丈夫か?」
「大丈夫、古川の方もちゃんとやばいから! 吠えたり奇声あげたりするし」
「いや、やばすぎるだろ! このコンビ」
「よくあるよね。コンビで分かりやすくやばい方がいて、でも一見やばくない方のヤツが実はもっとやばいっていう構造。で、さらに分かりやすくやばい方も実際やばいから、再びやばさの注目を浴びるという揺り戻し。そしてその分かりやすくやばい方の実際やばい感じもいずれ観客の間では落ち着いていき、またもや一見やばくない方の分かりやすくやばい方と比べては地味なやばさ故の味わい深さが注目されるという」
「やばさの永久運動!」
「繰り返されるやばい諸行無常だねえ」
「こいつら、やばいくらい頭湧いてんのか」

「面白い! ペンダーズ!」
「サスペンダーズにおけるサスペンダーズ要素が強いのはどっちかというとサスペの方だろ。何だよ、ペンダーズって。一万田はサスペンスを略すときもペンスって略すのか?」
「百々瀬、そもそもサスペンスは略さない」
「じゃあサスペンダーズも略さなくていいだろ」
「ま、そりゃそうだわな。ところで『寿司とお酢ペンス』とかいう小説があったりしたかいねえ?」
「『月と六ペンス』!」
「うおお、ピッタリやでえ!」
「どこがだよ。そんで韻は合ってるし、寿司とお酢で意味の繋がりも良いが、ペンスだけ浮きすぎだろ」
「一万田、前に読んでたけど、どんな話だっけ?」
「安定した生活を捨てて絵描きになった男が死後に名声を得る話!」
「わお、芸術家の本分の見本みたいな話じゃーん」
「いや、それ必ずしも芸術家の本分か? 生きてるうちに富と名声を得るにこしたことねえだろ」
「でもそうやって自分の死後に評価が高まることを夢想して、自らをあやし慰めることも芸術家の本分!」
「芸ごとの世界とは、シビアであると同時にかくも甘々なのだよ。百々ちゃん」
「つーかどこ行ったよ、サスペンダーズは」
「まあ、推しには、活動が続けられるくらいは最低限売れて欲しいよねえ」
 三人は舞子公園の石段に座りながら、一万田のスマホでYouTubeに上がっているサスペンダーズのコントを見ていった。潮風を感じながら、三人が三人とも等しく頬を緩ませる。そうしてその確かなコントの面白さと、それを一緒に笑いあえるこの海浜公園の風景のなつかしさに、ひそかに一万田は少しだけ泣きたいような気持ちもするのだった。



文:中島通一郎(Twitter : @suzusudonaka)
画:鈴木けいな


作中引用したサスペンダーズのコント「夜の公園」


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