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寺山修司の母の手記を読む

 2月が終わり3月。新しい年がもう2ヶ月が過ぎ去ったというのが、今年はひときわ感慨深い。

 『母の蛍』は寺山修二の母、寺山はつの手記。聞き手に「わたしと息子とのこと、聞いてくれますか」とでも尋ねて話しはじめるように、昔を懐かしみながら、時には熱を帯びて、思い出話が綴られていく。

 1時間もあれば読み切ってしまうような一冊に、なにも異常な所は見つけられない。うっかり読み飛ばしてしまった重要な、それを嗅ぎ取るべき箇所がかくされていたのかもしれないけれど、関係者がかつて証言していたような「異常性」を強く感じることはできなかった。戦後、女手ひとつで息子を育てるためには、あらゆる困難(息子を親戚に預け自分は出稼ぎ)を受け入れ、息子をいつも心に思い、心配し、やがて共に暮らせる日を夢見て生きた、その時代にはそう珍しいとは言えない人生模様だったのではないだろうか。

 彼女の人生が人と違っていたところといえば、それは息子が寺山修司だったということだろう。そして、それはどうだろう、親子の関係を根本から変えてしまうようなこととは、わたしには思えない。著名人になったとしても、商売にいそがしくなったとしても、会社で出世したとしても、それは母と子にとってはどれも大差ないことのように思える。ただ、寺山修司だったがゆえに、このような平凡な手記が出版されるにいたった。

 この手記には、細かな会話のやりとりがいくつも記されている。息子の放ったことばを大事にして、それに歓喜したり、落胆したり、深読みしたりする。自分の心模様、自分の目に映った物語として、これが真実ということなのだろう。ここに特別に違和感がないのは、巻末に文章を寄せている山田太一も同じようだ。 

 そして、この本が届いてから2日遅れて、寺山の秘書の田中未知の『寺山修司と生きて』が届いた。ハードカバーの古本で状態はとてもいい。この本には「母地獄」という章があるということで、一体どのような母地獄なのか、二人称の親子関係をそばにいたものはどう見たのか、何を見たというのか。

 この読書については、もう少し読み進めてからにしよう。

  

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