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好きなことをやると、すべてが自分のパワーになるだけだった

自分が好きなことをやるのに罪悪感を根深く持っていた私です。今はそれはありません。

超ネガティブ思考で生きてきたけれど、好きでこころからやりたいことをやってみたら、自分でも驚いたお話しです。

「こころの底からやりたいこと」「こころから好きなこと」をやるパワーは、人を変えてしまうくらいの威力があるのですね。


やらない理由はもう不要

私が好きなことをやることに罪悪感を抱くのは、潜在意識に刷り込まれた過去の経験によるもの。そんなことは、今となっては正直どうでもいいです。

常に人と比較し、優劣をつけ、私ってなんでこんなにダメなんだ~!!!とこころの中で叫び続けていた日があることは、否定しません。

考えすぎで行動しない人というレッテルまで貼ってくれる人がいる中、電光石火の行動力が発動し、パッチワーク教室に通いはじめたのは、今から10年数か月前。

パッチワークをやってみたいと初めて考えたのは、24歳頃。通うチャンスがあったのに放棄し、ようやく通いだしたのは50歳。

それでもネガティブな思考は出てきます。

こんなに年齢が上がってから新しいことを初めて、いったい何になるの?もっと若いころから始めていればよかったのに…なんてね。

そこで思い出す言葉はこれ。かつて私が勇気づけられて今までと違う行動を開始するきっかけになった言葉です。

年齢の上がった武道家が今も稽古を続けるのは、過去の栄光にすがるためではない。明るい未来のためだ。

チャレンジに年齢は関係ない。いつだってチャレンジすればいいんだ。

年齢が上がったなりにできるやり方で、やっていけばいい。

60歳なんて、まだまだ人生のハナタレ小僧だ。ここから成長するんだ。

ある武道家の言葉より

意識が向いてないものは目に入らない

何かに強くとらわれていると、盲点ができて見えないものがあります。

我が家からとても近いところにステキな先生がいて、ずっと前から教室やお店を続けていらしたのでした。

「やりたいことをやってはいけない」とこころがとらわれていた私には、まるで目に入らなかったんです。通りからちょっと引っ込んだところにあったとしても、こころの底から本当に求めていたなら、みつかっていたはず。

そんなとらわれの雲がとぎれ、奥にある本音とか本来の自分とか言えるような光がさすと、目隠しが外れて見えるようになるし、自分に必要なものが自然と目の前にあらわれるというわけです。

比較も優劣も、すべては明日へのパワーだった

教室で一緒に学ぶ先輩方は、年齢が上なだけではなく、パッチワークの腕前は、はるかかなたの前方を歩く人ばかり。

超ネガティブな私が発動されると、あ~、私なんてダメだ~と、なります。

ですが、違いました。

長くやり続けると、あんな作品やこんな作品を仕上げられるようになるんだ~。すごいな~、すてきだな~。私もあんな風に縫えるようになりたいぞ。
と、ただただ嬉しくなっていました。

同じものを一緒に縫い始めたって、私は圧倒的に進度が遅い。
ベッドカバーレベルの作品を床に広げてみんなでしつけするときだって、私の担当している箇所だけ、縫い目が曲がるしなかなか終わらない。

それも、へっちゃら。
初心者ですからね。

先輩や先生の縫い方をチラチラ覗き見。
ああやるとまっすぐしつけできるのね。
こうすると無駄な時間が省けて早く縫えるのね。
こんな発見があると、そりゃあもう嬉しい。

作品展で同じ作品が並ぶと、どうしたって比較の視点で見ます。それは悪いことではありません。
ところが、なんでしょうこの喜びは。

同じデザインで同じ生地を使って縫っているのに、それぞれの作品は、まるで別人格のよう。なんて楽しいんだろう。

もっと縫いたい。もっともっといろんな技法を知りたいし、やってみたい。
そんな思いがあふれるのでした。

こころから好きなことをやり続けると、パワーは尽きない

うつ病じゃなくても、常に自分の無気力さにうんざりしてきた私です。
あれもこれもやりたくないという思考ばかりが気になりながら、生きてきたはずでした。

ところが、パッチワークは違いました。
「あれやりたい」「これやりたい」が、止まらない。

そのうち気づいたのは使う生地の重要性。
見た途端に、グワーっとエネルギーがわき上がるようなきれいな生地に出会うと、意欲が更に掻き立てられる。

生地と生地の組み合わせ次第で、お互いの良さが際立つ。

なんてすてきなんだ。こんな生地を作ってくれている人たちって、ありがたすぎる。

そんな生地を選んで仕入れ、抜群のセンスの良さで組み合わせ方を見せてくれる先生の凄さ。

初めて取り組んだ作品で、先生が縫ってくれた時の縫い目のきれいさが忘れられません。裏から見てもきれいに整っている縫い目。
それ以来、あの時の縫い目を目指しています。

とにかく自分のこの手で、色々な作品を縫って使うのが楽しくて仕方ない。

途中からは
自分が着る簡単な服を縫ってみたり
家族がはかなくなったGパンをリメイクしてバッグにしてみたり
すっかり着なくなった自分の着物と帯を解体し、チュニックやバッグにしてみたり
家族の要望に沿ってバッグを縫ってみたり
もうとまらない。

やりたいことが次々頭に浮かぶ。手が追い付かないくらいに。

好きなことをやるということは、こういうことなのかと、身をもって実感する日々です。パワーが尽きません。パッチワーク教室に通い始めて11年目に突入した今も、変わらず、縫いたいものは、尽きません。

スタートラインに立ったばかりで、全てこれから

教室に通い始めてから9年3ヶ月ほど経ったとき、テキストの課題が完了し、日本手芸普及協会の講師資格を取得するという目標を達成しました。
でも、教室通いはやめません。

黒帯は、ゴールではない。黒帯は、武道家としてのスタートラインにようやく立てたというだけのこと。ここから更に稽古を積んでいくからこそ、武道家としての成長がある。

ある武道化家のことばより

だから、先生からまだまだ学びます。

これまで私が、羨望のまなざしで見てきた人々がいます。どうしてあんなに頑張れるんだろう、どうしてあんなところまでやれるんだろうと、不思議でした。

それに比べると、すぐに諦めたくなる私は何?と思っていたのです。

こころから好きなことをやると、驚くようなパワーがあふれてくるんですね。難しいことも苦じゃない。むしろそれを乗り越えるのは、やりがい。
そういうことを身をもって体験しました。

だけど、やっている本人からしたら、何も特別なことじゃなく、自然なことでした。

うつ病の私をずっと支えながら見守ってきてくれた夫がかつて言いました。
パッチワークをやめるなんて考えない方がいいぞ。それほどまでに好きでやっていることだ。やめたら自分が壊れるぞ。

好きなことをやらせてもらえることに、ただひたすら感謝しています。


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