視点が違うんだから、見え方が違うのはあたりまえ
師から教わったひとりひとつ宇宙という考え方について、説明します。
見ているもの、見えているものがみんな違うの?
師が言いました。
人それぞれ、視点が違うの。だから、同じものを見ているはずなのに、その見え方がまるで違うの。
だけど、どの見え方も間違いではないのよ。その人のその視点から見たら、そう見えるというだけのことなの。
視点の違いによる見え方の違い
あるものを見て、Aさんがいいました。
A:あれは、まるかった。円だよ。
同じものを見ていたBさんが、興奮して言いました。
B:ええ?まるだって?! あれは、三角形だろうが!! Aは一体何を見てたんだ!
一緒に同じものを見ていたCさんが、おだやかに言いました。
C:ちょっと離れてみてごらんよ。あれは、円すいなんだよ。
Cさんが、更に続けました。
C:AさんもBさんも、間違いではないんだよ。どこから見ていたかの違いだけなんだ。何か見るとき、思い出すといいよ。少し離れたり高いところから見たりしたら、全体が見えるということをね。
更に説明は続きました。
C:僕たちはさ、いつも人それぞれ違う視点からものごとを見ているんだ。だから、見え方が違うし、そこから何を感じるかも違うんだよ。
それをわかっているかどうかで、人とのかかわり方も変わるってものさ。お互いに、自分の正しさだけを主張し合ったって、平行線のままだね。相手はどんな視点から見ているのか、考えてみるといいのかもしれないよ。
B:そんなのおかしいだろ。同じものを見ているんだぞ。答えはひとつだろ!!!
C:なるほど、君は、唯一の正解があるという考え方なんだね。僕はそうじゃないんだ。正解は人の数だけあると思っているんだ。そもそもそういう考え方の違いがあるままで話していたら、話はまとまらないかもしれない。
それにBさんは、自分の見たもの考えたことが正しい!という視点も持っているように、僕には感じられた。もしかしたら、正しいのは相手なのかもと考える余地を残しておくと、もっと落ち着いて人と対話ができるんじゃないかな。
人によって視点が違うわけ
C:同じ空間で同じものを見ていたって、どの場所から見ているかで、見え方は違うだろ?実際、AさんとBさんは、同じものを見ていたのに、見えていた形が違っていたよね。
形だけじゃないはずだ。見ている位置が違ったのだから、光の当たり方だって違っていたと思うな。
僕たちはさ、それぞれ違う肉体で生きているんだ。だから、それだけでも既に視点が変わるし感じ方も違うはずだ。
それに、生まれてから経験してきたことだって人それぞれだろ?だから、自分の中に出来上がった、ものの見方、考え方、感じ方も、みんな違うんだよ。
もっとハッキリ言うとね、僕たちはみんな、自分色のサングラスをかけて世界を見ているんだよ。自分の中に持っている価値観や判断基準なんていうものが常に働いてさ、それぞれの見方をしているんだよ。
ひとりひとつ宇宙
人それぞれ、違う肉体を持って、別々の人生を歩んでいる者同士。経験してきたことが違うのだから、それぞれが持っている価値観や判断基準というものは、同じように見えても少しずつ違いがある。
私たちは、そういう自分の中に持っている価値観や判断基準の働きにより、ものごとに対して人それぞれの見方をしている。
だから、同じ時代、同じ空間で同じものを見ているようでも、見えている世界は人それぞれ異なる。
師はそれを、ひとりひとつ宇宙と表現していたのでした。
そのうえで大切なこと
このひとりひとつ宇宙という考え方を、頭の片隅に入れておくことが大切。
人と意見が違ったとき、自分の方が正しいんだとひたすらこだわりたくなった時、ふと力をゆるめてみる。
もしかして、別の正解があるのかもしれないと少し考えてみるだけで、視点が変わる。
いったい相手はどんな視点から見ているのだろうと考えて、少しずつ歩み寄ってみる。
すると、また別な何かが見えてくるかもしれない。
お互いに、今までの自分とは別の視点を探ってみたら、新しい別の解が見出せるかもしれない。
師は言いました。
相手の視点になりきってみること。私があなただったとしてもきっとそうしていたと、思えるかどうかが大切だと。
これは、自分の抱えてきた考え方の癖のとらわれから自分を解き放っていく大切さを、説明してくれているのだと、私は考えています。
このひとりひとつ宇宙の話をきいたとき私は、肩の力が少しずつ抜けていくのを感じました。
人と違っていていいんだ。それは自然なことなんだと思ったからでしょうね。
人と違うといつも、私が間違えているんじゃないかと考える癖が私にはありました。だけど、そもそも正しいか間違えているかではなくて、視点が違うということなんだと、わかってホッとしたんです。
昔の私は、「恐れ」や「不安」という視点からが圧倒的に多かったので、そこから離れてみようと、考えることもできたのでした。
ではどうやって、恐れや不安の視点から離れるのか、それはまた別の機会に。
ふうはこんな人↓
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