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私たちは、螺旋階段をあがっているの
何年かぶりに人会うとき、嬉しさやら緊張感やら色々出てきますよね。それは、私がその人にどんな思いを持っているかによって違ってきますが。
人から見た私に対する認識は、最後に会った時の印象のまま止まっているのねと思った話しです。
過去の印象をそのままもたれていた
何年振りだったでしょう。繋がっていたSNSも面倒になって私はやめてしまっていたし、もう長いこと直接顔を合わせる機会がなかった人と久しぶりに会って、会話したときの話しです。
なんだか気持ちがかみ合わなくて、私のこころの中にあるのは違和感でした。
「最近はどうしているの?」と、心配そうに質問されたとき、違和感の正体がわかりました。
そうか、この人にとっての私は、生きにくさを抱えて苦しさいっぱいで過ごしている存在のままなんだ。その精神面がからだにもあらわれていて、肩も背中もどこもかしこもカチカチにこっていたあの当時の私の印象のままなんだな。
そう気づいた私は、答えました。
「最近は、自分の好きなことややりたことしかやっていません。やりたい放題で暮らしてます」
すると、それはよかったと言って安心した様子でした。
過去に、もっと自分を大切にしてと言ってくれた方ですから。当時の私は、自分を大切にするとはどうしたらいいですか?と、質問したくらいですからね。
過去の印象のままなんて当然なんだ
この長い年月の間、私が何も変化しないと思っているのだろうか?私は這い上がれない人間だとでも思っているのだろうか?
なんてふと頭をよぎりましたけど、直ぐに切り替わりました。
そりゃあ当然だと思ったのです。
当時の私は、わかってほしい気持ち全開でしたし、「私はもう大丈夫なの」なんていう態度をみせつつも、苦しさがにじみ出ているような時期でしたから。
人の可能性なんて色々です。あのころのままかもしれないし、いい方向へ変化しているかもしれない。場合によってはもっと深刻な状態になっているかもしれないんです。
それでもどうなんだろうと気にかけてもらえていたことが、ありがたいのででした。
そういう私だって、久しぶりに会ってその人にどう感じたかというと、相変わらずだけど老けたなと思っていましたから。そりゃあ何年もたっていますからね、当然のこと。
私自身だって老けたはずだし、あの頃よりだいぶ私の体重が増えてました。
何年もの時間があれば、それだけ変化の幅も大きくなります。もちろん変わらない側面もあるでしょう。
よく顔を合わせていた当時、強く印象にあったものほどその記憶がずっと残っていますよね。
螺旋階段をあがっていく
久しぶりに会ったこの話は、5年くらい前のことなんです。そこまでの私の変化も大きかったのですが、その後の私は、更に大きく変化したなと思っています。
今の私は、5年前までの私とは別人かもしれないと、自分で思うくらい違っています。
ときとして、過去のある時点での何かにまた戻った?なんて思うことがあります。似たような課題にぶつかったり、似たようなことを選択している自分に気付いたり。最近も、以前と同じことをやっているなと思ったことがあったんです。
ただね、気付きます。同じところに戻ったようでも違うなと。
私たちは、日々変化してますから。
戻ったのかと思っても、螺旋階段をあがっているかのような感覚です。あの時と同じだけと違うんです。
もしかしたらまた、その人の記憶にある時のように苦しむ私になるのかもしれません。また体がカチカチにこるのかもしれません。絶対ないなんて保証はないんですよね。
だけど、以前よりは成長した自分として、その体験をしていくんです。ぐるぐると螺旋階段をあがるように私たちは、成長していく存在なんだと、私は思っています。
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