大好きな東北~③閖上て見たもの~
2018年3月に2度目の東北訪問をしました。今回はその2日目(3月11日)の様子です。
閖上港の様子(震災前はは松林があったそうです。)
2日目の朝は早いです‼目的は、名取市の閖上(ゆりあげ)地区の朝市です‼朝の7時位に到着しましたが、既に凄い人でした。仙台周辺には「セリ鍋」という名物料理があるみたいなので、とりあえずそれを食べることにしました。見た目はちゃんこや豚汁っぽいのですが、中にセリが入っています‼たくさん。しかも根っこまで!現地の人いわくセリは根っこを食べて欲しい‼そうです。とりあえず目的を達成したので、市場をウロウロ。すると、市場のすぐ近くでバーベキューをしている人が……!実は炭火があって、市場で買った魚介類をその場で焼いて食べられるというものでした‼そこでエビ、サンマの干物、ホタテなどを焼いて食べたんですが、まぁ美味しい美味しい‼( ^∀^)そこでたまたま同じ網で焼いていたた女性に「どこから来たんですか?」と声を掛けられました。「ちょっとカッコつけて名古屋です(正確には名古屋の隣)」と。すると「観光ですか?」と聞かれたので、「3月11日ということで、来てみました」と答えました。すると「あっそーか‼」という感じだったので「地元じゃないんですか?」と聞いたら「仙台です」と言われました。よくよく聞いたら、そんなに被災してないから、あんまり意識してなかったそうです。朝市も、普通に遊びに来たみたいでした。隣町なのに、結構温度差があるんだな~と思いました。
熱々のセリ鍋
午前中は朝市で楽しんで、昼からは本来の目的である追悼です。閖上港には「閖上の記憶」という記念館(プレバブ小屋)がありました。
中には2011年3月11日の記録がたくさんありました 。しかし私は、ほとんど覚えていません。それが何故かと言うと、その中の一画の展示があまりにも印象に残っているからです。それは震災当時小学生だった児童達が当時の様子を思い出しながら紙粘土で再現したものでした。展示の横には「どういう場面かの説明」と、「どんな気持ちで作ったか?」が子供たちの字で書かれていました。それを見て涙が止まりませんでした。私は辛すぎて、あまり長く居ることが出来ませんでした。
閖上地区は、約8メートルの高さの津波襲われたそうです。「閖上の記憶」の前にはその津波と同じ高さの慰霊碑があります。実際にその高さを目の当たりにして、改めて津波の恐ろしさを知りました。
その日は慰霊碑の前に献花台がありました。市場で買った花を献花台に供え、手を合わせました。14時30分位から追悼式が始まるということで、「閖上の記憶」の前に沢山の人が集まりました。津波で息子さんを亡くされたお母様が代表してお話をされていました。その方は「閖上の記憶」の代表の方でした。そのお話の中で「このような追悼式は、今年で最後です。」と仰っていました。最後の追悼式に立ち会うことができて本当に良かったです。そして式典のフィナーレは、羽を広げた鳥の形をした風船に思い思いのメッセージを書いて空に飛ばすというものでした。もちろん私も書かせていただきました。ありきたりな言葉ではありましたが、気持ちを込めて書きました。一斉に風船が飛んで行く光景はとても幻想的でした。不謹慎ではありますが、とても綺麗だなと見とれてしまいました。回りに居た子供たちも「綺麗だね‼」「何処まで飛んでいくのかな?」と、何だか楽しそうでした。そういう追悼式もあっていいのかな‼と思わせる瞬間でした。
風船が空高く舞う光景はとても幻想的でした
追悼式を終え、車で帰ります。去年見て衝撃を受けた国道6号線の様子が気になったので夕方になってしまいますが、また福島県の南相馬を通って帰ることにしました。途中であの一本松を見ていこうと思い、少し進路を変更しました。1年前の記憶を辿り、近くまでは来たのですがなかなか辿り着けません。この1年で巨大防潮堤の工事が進み、景色がだいぶ変わっていたのです。それ以上に決定的な違いが……。何とあの奇跡の一本松が無くなっていたのです(そりゃ、辿り着けません)……!あの神々しい姿がもう見れないとは……。確か陸前高田の一本松も、塩害でどんどん枯れてしまい最後には伐採されたのではなかったでしょうか?(陸前高田の場合はレプリカを作って同じ場所に建てたハズですが。)しかし、一本松があったであろう場所には小さな苗木が沢山ありました‼きっとあの一本松の末裔でしょう‼少しばかり残念な気持ちを抱きながら、南相馬を後にしました。そしていよいよ去年衝撃を受けた国道6号線の見覚えのある景色に差し掛かりました。ところが、こちらもまた去年とは違う光景が……。何と、バリケードが取れて、街の中に入れるようになっていたのです。そこに人の姿を確認することは出来ませんでしたが、間違いなく去年よりは前に進んでいます‼車で街の中を走ってみましたが、人の気配は全くありませんでした。震災以前の街の様子は知りませんが、そこにあったであろう人々の営みが簡単に想像出来ます。ある日突然人だけが街から消えたという表現が一番しっくりくるでしょう。それを見てると何とも言えない気持ちになりました。こうして、2度目の東北訪問はを終えたのでありました。
実はこの頃、あの「あまちゃん」にハマっていました。YouTubeで何度も見て、頭の中に台詞がインプットされるくらい何度も何度も見ました。何度も同じ場面で笑い、同じ場面で泣きました。過去2回の東北訪問での経験と、「あまちゃん」との出会いによりどんどん膨らんでいく東北への想い❤その想いから、1年に1回の訪問だけでは間満足できなくなってしまいました。次回はあまちゃんも登場する予定です‼毎度お付き合いありがとうございました。