49BALLの歴史④
おまたせしました。
ついにここから入る話は49BALLの近代史になる。
因みにヒストリーのセクションとして5段階ある。
・セクション1.結成
・セクション2.解散
・セクション3.再結成
・セクション4.休止(?)
・セクション5.再開
この流れの中で今回は「セクション4.休止(?)」の部分を話しをして行こう。
(?)は曖昧な感じでフェードアウトしたからである。
わたくしに野暮用ができた為、数年程自動的に止まる必要があったのだ。
実は先日、メンバーと答え合わせをしながら、ツアーの打ち上げでみんなでワイワイと話をしたりしてたのだが、自分の記憶から完全に抹消されていた出来事等もあって結構驚いて居る。
今回のコラムで49BALLの歴史は最終章になるかと思ったのだが、実は記載忘れや思い出した事もあるので、話しが前後するかもしれないが書いて行きたいと思う。
訳あって、2023年8月位迄の話とさせて頂く。
その後があまりにも濃すぎるので、タイムラインが行ったり来たりする可能性もあるのでご理解頂ければ幸いである。
49BALLメンバーと話をしていたのだが、奇跡の連続過ぎて、まるで漫画の世界線にあるような見事なまでの伏線の回収具合で最近マジで驚いている。
ひとつひとつの点が線で繋がる瞬間の芸術点は、最高のドラマティックな展開である。
まず、見事な迄に忘れて居た話がある。
49BALLのサブスクとレコーディングの話である。
しっかり書くのを忘れて居た。
なので、49BALLの歴史③と話が前後したりもするので、ご承知願いたい。
完全に頭から抜けて居たとは、驚きを隠せないで居るが、恐らく年齢的なものもあって記憶からすっぽ抜けて居た気がする。
まず、2020年の話だが、1つの閃きと共にコロナ渦と言う事もあり、とある広告を発見する。
『サブスクリプション登録3年間無料』
な ん だ と ! ?
これは、すごい事である。
今までApplemusicとかを聞いては居たが、サブスクへの登録方法は中々分からないで居た。
それがなんと3年間無料!?
そう、それをやって居たのが【Tune Core Japan】である。
素敵やん。
各サブスクのプラットフォーム的な会社であり、使い方も非常に直感的で初心者にもすごくやりやすいのだ。
これは、本当に嬉しい事である。
因みに、今当たり前のようにサブスクリプションサイトで配信がされても、DL数や視聴数でアーティストにお金が入って来るがこれを提唱したのはテイラー・スウィフトである。
元々テイラー・スウィフトはカントリーミュージシャンなんだけど、それが今の状況になる事は恐らくアメリカのカントリーミュージック史上で彼女が最初で最後になるであろう。
そもそも現在は全然カントリー調な曲は少なくポップソングが多いが、わたしは今でも大ファンである。
すっっっかりと、それも大絶賛話はそれて居るが、現在49BALLもこのサブスクリプションの恩恵に預かっている。
お酒を飲みながら登録をしたさ。
そしたら、まずはジャケットのデザインを登録しろとか、色々と登録箇所が出て来るのだ。
当然ながら、49BALLのCDなんぞ市場で出回っているものなんてたかが知れている。
だからこそ、再販に近い形でリリースをしたいと思い色々とデザインについても考えた。
当時の自分としては、ジャパニーズポップカルチャーを非常に意識をしていた。
海外の人から見た日本はどんな世界なのだろうと言うイメージだ。
よくメロコアのバンドや英語詞のバンドは、日本人であるが故に海外バンドに影響を受けていると海外ぽくしたくなるものだ。
そりゃそうだ。
だって、洋楽に憧れたのだからそれっぽくもしたくなる。
でも、洋楽が主流の世界とは、カルチャーとしてそれが当たり前にあるのだ。
元々、寿司は日本が主流で日本では当たり前のようにあった。
相撲・富士山・天ぷら・侍・忍者。
『オサムライサ〜ン』
なんて言いながら、ちょんまげのカツラ被って、おもちゃの刀を振り回している。
これが日本のカルチャーなのだ。
このちょっとした偏見みたいな部分を逆にこっちが使ったらどうだろうか!
ハチマキとか手ぬぐいをして、「浅草」って書いてあるTシャツを来ている海外からの旅行者の感覚だ。
彼らは存分にそれで日本を謳歌してくれているのだ。
だとすれば、逆にこっちから発信する手は無い。
今何の話をしているか?当然デザインの話である。
日本とはなんぞや、この問いかけに答える為、わたしは一つのブランドからデザインを思い付いた。
そう、HOSOI SKATEBOARDSである。
クリスチャン・ホソイのスケートブランドなのだが、間違いなくこれはドンピシャであった。
フォントも通称『ワンタンフォント』を使用。
これで間違いなくアジアだ。
アジアは、欧米の人からすると日本人なのか、中国人なのか人種の区別は見た感じ分からないらしいのだ。
だからもうなんでも良いや人種の部分はって感じである。
そんなものは超越した存在で居たいと願うのだ。
そう、ミスター・サタンの存在だ。
これは間違いないし、何事にも変える事はできない事実であろう。
そして、彼の技の名前は非常にカッケーんだ。
『サタンミラクルスペシャルウルトラスーパーメガトンパンチ』
こんなにカッコ良くて強い名前は果たしてあるだろうか?
わたしはこの二つを掛け合わせて、これまでの作品で版権に引っ掛からない作品のみを全て1枚のアルバムにしてリリースする事を決めた。
そう、この日わたしは酔っぱらって居たのだ。
ただ、酔っぱらって居た訳では無い。
泥酔していたのだ。
よく意識もうろうとしながらこんな手続きをやってのけたものだと自分を褒めてやりたい。
ほら見ろアルバムタイトルを入れ忘れとるやんけ_| ̄|○…。
デザインに関しては別に右寄りに思想強めって事では無いので、勘違いされた方は申し訳ない。
一応構想があって、日本人に聞いてもらう分には構わないのだが、世界中で聞かれるのであれば、海外っぽくしなくても良いのではないかと感じたのと、日本らしさをどうしても出したかったのだ。
そしたら見事にアルバムタイトル入れ忘れて入稿しちまってたぜ!!!!
【Ultra Super Extra Hyper Ramen Ninja】
このタイトルのダサさがたまらないですね。
ふざけたアルバム名にどうしてもしたくてやりすぎた気もするが、これに関しては何も後悔は無い。
そして、ついに2020年05月30日にリリース開始。
では、このアルバムのチャートを見てみましょう。
どうやら49BALLの曲は中東に刺さったようだ。
useless IDを愛するが故に、そのヴァイブスが届いたのかもしれない。
YOTAM先生ありがとう。
がんばった甲斐があったよ。
ここまでは暇だったから一人で色々手続きをしたりしたのだが、こうした手続きを自分でやったりする事が実は今まで全然無かったのだ。
何もやってなかったから、レーベルとかも全然決まってなかったのだ。
あらやだ。
ここでようやく自主レーベルを立ち上げる事にあいなりました。
我ながら非常に適当な名前である。
好きな単語を3つ並べただけである。
そして、第一弾アーティストとして我々49BALLが居るが、特にまだ後続バンドはおりません。
声を掛けているのに、その後返事が無いので半分以上諦めている。
因みに現在活動中のバンドには声を掛けていない。
その理由は、色々うるさい注文とかありそうだし、なんかイラッとしそうだからである。
逆に遊びの延長でやっているので、多少の申し訳無さもあったりなかったりする。
そんな感じで既に解散してしまったバンドや、活動休止中のバンドに声を掛けている。
サブスクを出さずに終わってしまった昔のバンドだ。
これは、49BALLもそうであったように、再びやる気が出てLIVEをワンチャンし出すバンドがもしかしたらいるかもしれないと言う浅い希望もあっての事である。
サブスクを出すにあたってわたしが出資するので、是非とも解散をしてしまったカッケーバンドはわたしのレーベルから出してみないか!!
そんなこんなでこうして再度世に再び放ってみたが、案外一回りしてるのか、好評のお声を頂き嬉しい限りである。
そもそもそこまで認知されている訳でも無いし、今となってはオールドスクールなのだ。
しかし、どうしても生きた証を残したいと言う野望が多すぎて、徐々に復帰の為、何度か呼ばれたライブに出演をしたりした。
それは前回の49BALLの歴史③にて書いた通りである。
さて、そうこうしつつこのアルバム自体はベスト版をリリースしたのみで、過去作品のごった煮みたいなものである。
作品としては、EPのRISE UP以降の作品である。
音質的にそのままリリースしても問題が無さそうなのを寄せ集めたので、これはこのままで良いと考えて居る。
しかし、更に以前のアルバム作品をわたしはどうしても再録音したかったのだ。
1stや2ndはその当時の精一杯だったが、技術も進歩して、自分達のスキルやテクニックも確かに成長をしては居るのだ。
右も左も分からない状況でレコーディングをしてた頃の作品は是非とも今の49BALLのクオリティで録音をしたい気持ちがあったのだ。
この構想は10年以上あった。
その第一弾と言う訳では無いが、PROMISEやEND ROLLは再録音を以前している。
なので、他の曲も編曲をし直してやりたいのだ。
そこで始めたのが「HOPE」の再録音であった。
この曲はLIVEの最後で必ずやっている曲で、2ndアルバムの最後の曲に入っている曲である。
あまりにもセールスが振るわなかった為、昔の事務所からサブスクすら出ていない状態である。
このレコーディングを最後に、49BALLは一度活動休止する事になる。
その理由は前途説明したように、自分の野暮用である。
では、少しだけ時を戻して話を進めて行こうと思う。
わたしは『とある事情で2年ほどサポートメンバーとして』CHANKは別のプロジェクトに活動をしていた。
そこには理由が一つあったのがコロナの存在でもある。
不仲になった訳では無くて、自分の引っ張る力が本当に弱く、自信が無かったのだ。
仲間を引っ張る責任や、楽曲制作が浮かばないスランプのような状態がずっと続いており、既存の曲しかできなかった悔しさもある。
THE PINK ELEPHANTSで楽曲を数10年ぶりに作ったが、自分の中の経験値があまりにも乏しい状態になっており49BALLの制作までに行き着かなかったのだ。
そもそも歌詞が浮かばなかったりメロディやコードを1曲にまとめる事すらできなかった。
それ位時が経過していたからこそ、一度でもステージを降りてしまえば、当然ながら昔のような燃えるような音楽に対するマインドを戻せないで居たのだ。
そんな頃に誘われたとあるプロジェクトだが、ここから2年程ここで携わる事になる。
元々は自分のやりたかった事、49BALLでできなかった事の音楽スタイルが自分にフィットしてたのもあった。
更には、アクティブに活動をしていたのも熱いなと言うのがある。
これが2020年位の話である。
このプロジェクトに参加する際に、聞く側の人が情報が混在して分からなくなってしまうのではないかと考えて、一旦49BALLの情報をシャットしたのだ。
別のプロジェクトが自分の中で走り出してしまい、HOPEのレコーディング迄したのだが、リリースが大幅に遅れる事になってしまうのだ。
これにもまた理由があって、情報をシャットした事によってリリース情報を流すに流せなくなってしまったのだ。
バンド名と曲名はバッチリ入って居る。
レコーディングしてから1年後にようやくサブスクリリースと言う異様な遅さである。
それ位に環境や心境が変化しすぎていた時期でもあり、メンバーには振り回して迷惑を掛けてしまったなと、当時を振り返っても思うところである。
もう少し自分が器用に立ち回れたら良かったのだが、不器用で頑固な部分が多いので、コレと決めたら一つの事にしかフォーカスできないのだ。
ただ、それも少し時間が経過すれば徐々に崩れても来るのだ。
きっかけなんて大した事は無いが、様々な事を詰め込んだ数年間はきっと、魂を削って頑張って来た事を燃料を注ぐべく必要な時間だったんだと思って居る。
それが無ければ今の自分は存在すらしていないのだ。
2022年に入れば徐々に心の中で確固たる気持ちが揺らぎ始め、ほころびとやらが現れ出して居た。
兆候は既にもっと前からあったであろう。※因みに話をすると愚痴とか文句っぽくなるかもしれないが、決してそのような事では無い。
その当時の心境の変化を書いて行くので、過ぎ去った話だと思ってお読み頂ければこれ幸いかと。
人間はいつだって変化し続ける生き物だし、状況や環境の変化と共に現状維持が困難となる場合もあるのだ。
だから別に49BALLを止めてしまった頃の自分の燃料不足にも近いものがあるのだ。
それとは逆に燃料を投下しすぎて、燃え尽きてしまったのかもしれない。
自分の中でやるべき最終目標地点が設定されていたので、なんとしてもそれを成し遂げると決めて居たからこそ、数年の時間が経過してしまったのだ。
どれだけ嫌な思いをしようが、納得がいかなくとも、その全ては自分が成し遂げるべきものがあった。
これは以前も伝えたこである。
【音源に残す事】
これである。
そして、もう一つ。
生きた証を残してやり切る事。
これも大切である。
だからこそ、何を言われようが自分にとっては関係が無い事でもあった。
いや、正確に言えば関係無くはない。
だからこそ歯車がいつしか狂ってしまったのだろう。
そんな中、2021年位からアコースティックでのLIVEをし出す。
最初はバンドの形態でアコギを弾いていた。
こうしてアコギで歌う事に徐々に慣れて行った自分は、そこからソロとして演奏するチャンスを頂ける事になる。
ソロ演奏のときは徹底してた事は49BALLの曲を歌う事だった。
恐らくもうこの頃には49BALLを復活させる事を心のどこかで目論んでいたのかもしれない。
いや、そんな大それた気持ちでは無かったが、改めて49BALLの曲を聞くとかっこいいなって思ったりもするのだ。
自分で作った曲だから、かなり自画自賛なんだけど、しばらく離れていると心からそう思えるのだ。
客観視して、そう思えるからいい曲作れてて良かったと思える。
このアコギをつま弾く事にハマると言うかやり出したのも中々面白かったのだが、ここでキーポイントとしたいのは『海の演奏』である。
海は良い。
辛い時や悲しい時もいつでも包み込んでくれるのだ。
地球最高って感じだ。
は?
こんな感じで配信だの色々とやりつつ、ソロ活動にも専念していくことになる。
これにはまた理由がある。
個人的な理由で色々と亀裂が入り始めたものがあるからだ。
自分の中での歯車が狂ってしまえば、そこから修正を掛けるのは中々に難しいものでもある。
ここからは細かい背景を少し話をして行こう。
これは49BALLのメンバーは関係無く、自分が現在の状況に持って行く為にどのような行動をして来たかの種明かしにもなる。
そして、CHANK個人の心情となるので、他のメンバーのヒストリーや主観的な部分はまた別の話である。
個々にストーリーが進んで居るし、そこから一つに繋がるのである。自分の心情や心境の変化も勿論あるが、残念ながらその時の状況のわたしを見て理解できる人は居ないだろう。
本質として根底に何があって2年以上行動をして来たのかの部分である。
大きな物事が一度でも止まった時、それを動かす動力は非常に重たくなってしまうものなのだ。
そもそも、その時に動かそうとする引っ張りの力が無い自分が非力過ぎなのが一番の大罪だとも感じる。
自分の性格上良くない弱い部分として、他人任せにすぐすると言う大きな特徴がある。
理由なんて簡単だ。
面倒くせーからだ。
世界ランク入る程の面倒臭がりな自分は、他人任せにするし、他人のせいにする"立派な"大人である。
コロナ渦で一度復活をしたのだが、メンバーがせっかくモゾモゾと出て来てくれたのだが結局何回かライブをして止まってしまうのだ。
止まってしまうと言うのに、自然な流れの如く自分で止めてしまった。
それは、間違いなくわたしの責任である。
完全に引っ張る力が無くなってしまっており、続けるエネルギーがすぐにバッテリー切れしてしまった。
移り気の多い自分はその後、他の活路を見つけ出して再び音楽活動をして行く事になる。
楽しい方向に進みたい自分が居て、その場所が楽しそうに感じたからこそ、その方向に進んだ。
後出しじゃんけんはしたくないから、その時の感情として事実は事実である。
その当時としてはとにかく自分は音楽活動がしたかった。
なんとなく、その一心である。
目立ちたいとか人気が出たいとか売れたいとか、そんな浅い話では無い。
確かにその感情はあるが、そうでは無い。
ただ、純粋に音楽がしたかったのだ。
ステージに立って楽器弾いたり、歌を歌いたかったのだ。
バンドだったら尚良し!
40になる手前から心のどこかで焦りの感情が芽生えて居た。
生まれて来てなんでもかんでも中途半端で、生きた証の一つも40近くになって作り上げれないなんて、あまりにも悲しくて悔しい気持ちだったのだ。
音楽やって、音源を作ったりしたときに、死んでも生きた証として一生残り続けるのだ。
誰も聞かなくても、残り続けるのだ。
全員から例え忘れ去られようとも、残り続けるのだ。
自分が居ない世界線でも自分が生きた証が残っているなんて面白い話では無いかと思うのだ。
そして、2021年くらいから49BALLのCHANKは、ここから生きた証を残す為に別の旅に一度出てしまう。
それと同時に空白の2年半位49BALLはひっそりと影を落としてしまう。
どうか色々と内情を知っている方々。
察してください。
2年位の地獄のような日々と時間、その全てが悪かったわけでは無いし、もちろん楽しい時もあった。
しかし、日々のストレスや周囲からの干渉と言う名のノイズにまみれてとうとう悲しきモンスターが生まれてしまったのである。
のうじるぺぺろんちいの。
で、ある。
もうこれが結果である。
生きた証を格好つけて残したかったのだが、結果としてよく分からない生命体を自分の心から生み出してしまったのだ。
これはわたしの心を投影させた、一番落ち着く姿だった。
わたしは髪の毛を伸ばしだして顔を隠したり、直接物を見れなくなり、サングラスを付け続けたり、挙句の果てには能面を被りだしていたのだ。
そして、魔除けのごとく気持ち悪い踊りをして居た。
もはや、ここまで来れば完全に心が風邪を引いている状態と言っても過言では無い。
ただ、これは今思えば虎視眈々と機会を伺う『待ちの姿勢』だったんじゃないかとも思う。
今思えば感じるところだが、わたしは49BALLであり、それ以外の何者でもないからだ。
幼い頃から人生の岐路が決まっており、中学生でギターを持ってからは更に進路が決まって居るのだ。
何一つとして変わっちゃ無い。
演奏をする・演奏をしないじゃなくて49BALLなのだ。
別にできるに越した事がないのだが、大人になれば大人の事情が出て来るのは当然である。
その為にどうするか、どうあるべきかを考えるのが大人でもある。
子供の心や気持ちがあっても、ムーヴはそうでなければうまく行く訳が無いのだ。
そんな自分にとっては知らない間に大きな看板になってしまった事はその時は気付くはずもなく、おざなりにしていたのかもしれない。
しかし、その当時に49BALLだけ動かして居ても今のようにうまくスムーズに動いている事は無いと自信を持って言える。
結果として折れない心を育てたり、メンバー個々の大切さや、様々な事を再認識する為の必要なプロセスだったのだろう。
大きな看板とは、サイズ感の話や重圧では無い。
自分の人生にとってどれだけ掛けがえの無い存在として、大切なものなのかと言う部分である。
ただ、その正解の形に落とし込む為に長きに渡る行動原理が存在していた。
とにかく悩み抱えて、心の葛藤や、トラブルがあったり、それに対する回避・対処を学ぶ為の試練の時だったようにも感じるのだ。
まず、音楽を改めて始める為に幾つか決めた自分の中の約束事がある。
『女遊びを一切しない。』
これだ。
完全に決まった。
これはもはやわたしの中では、ドヤッて感じの一言である。
女遊びをしないって事だけは、鉄板厳守でブレない心の決意と覚悟の為、必要不可欠な事である。
別に何がどうこうじゃなくて、THE☆離婚をした後なのもあり、一人の時間を存分に謳歌したかったのもあるのだ。
イレギュラーあったが、2025年迄は彼女はおろか、女遊びをしませんと、当時は天に誓っていた。
そして、何か自分が好きな事をし出す時に心の中で何かを捨てて、犠牲にしなければならないなと、感じて居たのだ。
それこそが天に誓うような約束事かと思うのだ。
更に真意として、中途半端な存在として有難くもステージに立ったり音源を出したりできるのに、目的を達しても無い癖に横道に逸れたり、脇目を見る暇は無いのだ。
だらしない事やみっともない事をするなら、そこに時間を使うのは時間の無駄でしかない。
その場しのぎの言葉や行動をしてしまっても自分はおろか、誰に対しても得が無い状況であるのだ。
自意識過剰とはそれ位に危険なものなのだ。
そんなこんなで2021年から始まった別の世界線は2023年位から急激に動き出すのだ。
10年ほどまともにバンドなんてやってなかったので、周りのバンドマンやパワーバランス的な部分も分からないから不思議で仕方が無かった。
カテゴライズするのはあまり好きでは無い方だが、全くもって知らないものは知らないので人間関係の不思議な界隈があって、気を使わなければならないのだ。
中間管理職とも言うべきか、まずは八方美人じゃないけど、そう生きるしか処世術として存在できないと思って居た。
とにかくマーケティングが非常に下手な自分は、確実に間違えた方向に進んで居たから、とりあえず真逆な事をして行こうと決めた。
今自分が思う事や、行動をしている事に対して、うまく行かない事があれば真逆の事をしようと心がけたのだ。
その変なマイルールが決まり出したのは2019年位からだが、未だにそれを大切にしている。
これは何が大事かと言えば、自分の直感に従って行動をできるようにする為である。
自分は素直な人間でも無ければ、非常に偏屈で頑固な人間だと自覚している。
だからこそ、少しずつ変わる努力をしなければ、努力をする場所を誤ってしまうような気がしたのだ。
謙虚さや調子に乗らない事を重視する事は人として当然だが、自分の中で決まり事を作らなければならない程、自分は自己中心的な人間なのである。
まず手を付ける事はここからだろうと思い立ち、深く深く意識をしながら生きた。
それは今でも変わらない事である。
調子に乗っても嫌われてしまうだけだろうし、それをしても誰も後に付いて来たりはしないのだ。
だからこそ、自信の方向性を間違えない方が良いのだ。
努力をする場所を間違えると何も始まらないし、進まない気がしたのだ。
別に自己中心的に生きる事にはその場は楽なのかもしれない。
しかし、でもエゴだけを出した先で生まれるものはなにもないのだ。
種明かしと言っても、後出しジャンケンで言ってるのかもしれない。
ただ、メンバーにだけは一瞬でこの種の部分がバレた瞬間、あれほど嬉しいものは無かった。
その時に後悔は無いと感じたのだ。
『49BALLをやるやらないはお前次第だよ』
とある日のライブでNORISONに会ったときにそんな事を言われた。
なんか何気ない一言だがハッとしてしまった。
恐らく昔なら俺のせいにするなとなってたかもしれないが、そんな感情はどこにもない。
そう、俺次第なのだ。
そんな当たり前のことに気付けなかったが、気づくまでに2年必要だったのだ。
気づくにあたって多くのライブを見に行くようになった。
友人のライブもそうだし、好きなバンドのライブも見に行った。
対バンのライブなんて見た事全然無かったが、今は最前列で見るようにしている。
全ては学びなのだ。
他のバンドから学ぶことだって沢山あるのだ。
そして、2023年に入り、更に49BALLは完全復活を遂げる為に更にギアアップしていくことになる。
しかし、残念ながらこれ以上書くととんでもない質量になるので、2021年~2022年までの話として完了させておく事にする。
まだまだ文面だけでは伝えられない部分もたくさんある。
そして、自分が本当に心の底で考えてた事や感じてた事を周りに理解してほしい部分もあった
さて、次はついに49BALLの歴史⑤で2023年現代の話に…行けるのか?
新曲のOnly Of Youもチェックしてね◎
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