49BALLの歴史①
まず、『49BALL(フォークボール)』と、一発で読める人はこの世に一人も居ないだろう。
このバンド名を命名してくれたのは、当時自分がスタッフをやっていた某バンドのボーカルの人が付けてくれた。
そして、『CHANK』と言う名前を付けてくれた人もその人だ。
もしかしたら、自分の人生って18歳位から本当の人生が始まったのかなと感じる時があるのだ。
自分の本名よりも大切な名前をもらったのが、『49BALL』と『CHANK』である。
ある意味でこの頃から始まったものに対しては、自分の親兄弟の事よりも大切な事なのである。
因みにそのバンドは下記より視聴可能で御座います。
13ROUNDリスペクト!
49BALLを始めた頃はまだ20代そこらである。
人生の右も左も分からなかったし、ワンチャンちんちんも生えてない頃だったかもしれない。
略して『フォーク』って愛称で呼ばれたり、『ゴミクズ人間』と呼ばれたりしていた。
クズはクズである事には変わりはないので認めます。
お母さん僕を生んでくれてありがとう。
メンバーチェンジは過去累計で5回以上あったはずで、2013年位に1度解散している。
ありがたい事に、友人達は49BALLが解散しようとも活動休止しようとも構わずにライブをやれと声を掛けてくれる。
その度に不死鳥のように蘇ってはちょっとやってすぐ休憩する。
最近はおじさんになったのか、すっかり馬力も弱くなってしまったので活動限界迄が早い。
別のプロジェクトを自分がやっていたとしても、どれだけ新しい事を始めても過去の栄光では無いが、自分の過去に引き戻されてしまうのだ。
それだけ長くやっていると色々と十字架を背負わないといけない部分があるのだ。
看板とは本当に怖いものだとここ数年感じる事でもある。
それ故にバンドが憎い事もあった。
累計何億回バンドとか音楽辞めようとしただろう。
それでも、なんだかんだで戻って来てしまう。
何歳になってもバカやってるのが大好きなのだろうね。
生きててバカやってないとおもしろくないじゃんね。
さて、49BALLの結成はおよそ20年位前の2004年に遡る。
洋楽ロックが好きだったわたしは何か見えないものに対してフラストレーションが溜まりに溜まっていた。
若かりし頃はなぜか気に入らない事だらけでそのエネルギーを発散する為に喧嘩に明け暮れて…。ません!
音楽ヲタクな自分は品行方正に友人と酒を飲みながら、音楽談義や女の子の話ばかりしてたようなごくごく一般的な男の子であった。
では、ここからはメンバーとの出会いを話ししていこう。
時は遥かに遡って高校一年生の頃。
中学の受験で軽音楽部に入りたくて受けた高校で、見事合格をして晴れて入部をしてメンバーを探していた。
しかし、人見知りの自分が陽キャの奴らが次々にバンドを組む中で、明らかに弾かれて居たのだ。
友達を作る事程難しい事は無いし、きっかけをゼロからイチで作る事が大の苦手な私である。
こんな無理ゲーは無いだろう。
そんな中、後ろの席でぼんやりしてる男が一人居た。
『君、楽器何やってるの?』
『ん?俺ドラム。』
こんな会話が初めてだったかもしれない。
そう、ドラムのNORISONとの出会いである。
まさかこの男と親よりも長く共に過ごす事になるとは思わなんだ。
高校の3年間ならず、卒業後もずっと一緒にバンドをやっている。
因みに高校を卒業後にNORISONとオリジナル曲のバンドを組んだ。
その名も
『MOSH BURGER』
と、言う名前のバンドである。
確実にモスバーガーから取ったバンド名だが、これはNORISON命名である。
NORISON:バンド名考えたんだよ。
CHANK:お!なになに?
NORISON:MOSH BURGER
CHANK:え!スゲーいいじゃん!カッケーよ!それで行こうよ!
とにかく馬鹿だったんだろう。
男の子って言うのはこのレベルのまま年老いて臨終を迎えるものだと思っている。
今思えば、このネーミングセンスは中々良いかもしれないと思う(∵)
どこかに映像が無いかと頑張って探したが、恐らくVHSしか無いし、VHSのデータをHDDに移行せずに捨ててしまったんだよな。
貴重な資料なので、もしもメンバーが持っていれば発掘作業を是非ともお願いしたい。
そもそも馬鹿じゃなかったらバカやってらんないよ。
何と思われようとも40超えてもバカやれてるから、むしろ若き日の自分にありがとうと言いたい。
誇りに思うよ昔の俺!
そして、高校を卒業後は自分は音楽の専門に通い出す。
その専門で巡り合ったファンキーなギタリストが初代ギタリストのEDDYである。
そんな3人が後々巡り合い、バンドを始める事になるのだ。
運命とは数奇なものである。
結成までは様々なタイムラインがあって、まとめるのが面倒臭いからはしょります。
そして、2004年に前身バンドである『THE LONGEST LINE』結成。
はい、実は49BALLは改名しているのだ。
命名してくれた経緯は冒頭でお話しした通りだ。
改名した挙句に読めないって言うのが常軌を逸しているとしか思えない。
THE LONGEST LINE自体は数か月しかやっていない気がするが、そこから改名して心機一転やってこうと言う事になるのが49BALLである。
きっかけは簡単だ。
自分が当時付き合っていた彼女にフラれて、色々なものを失い自暴自棄になっていたからだ。
そして、とあるバンドでスタッフをしていた自分は、スタッフのバンドを取るか、自分のバンドを取るかの窮地に追い込まれていた。
そう、人生のターニングポイントとも呼べる場面がいきなり訪れたのだ。
なぜか嫌な事は同時多発的に起きるものだ。
女にフラれて、好きなバンドのスタッフの仕事も無くなり、メンヘラクソ野郎なわたしは引きこもりになる。
そんな時に引っ張ってくれたのがメンバーだった。
喫茶店だかファミレスで円卓で話あった3人。
そして、家泣き子になりかけていた自分はメンバー3人で同棲生活をする事にもなるのだ。
北新宿で借家を借り、幽霊屋敷のようなボロ家で奇妙な同棲生活が始まるのだ。
この奇妙なボロ家の奇妙な同棲生活の模様はまた別の話にでもしようと思うが、この頃から49BALLはなぜか地元横浜でLIVEをし出すのだ。
待て。明らかにおかしい。
なぜ、都内に住んで居るのに、神奈川でLIVEをし出すのか、もうこの頃の自分の思考は想像もできない。
ブランディングもマーケティングもへったくれも無かったので闇雲だったから良しとしたい。
『最短でレーベルを決めて最短でフルアルバムを出す』
この目標しか自分の頭の中には無かったのだ。
なぜ最短なのか今となっては理由も覚えては無いけど、なんとなくスピード勝負な気がしていたのだ。
空っぽの頭で馬鹿が考えたフリしてがむしゃらだっただけなのだが…。
本当によく生きているなと不思議でしょうがない。
今までのメンバーや、今のメンバーにずっと謝り続けたい位に申し訳ない気持ちが多いのは事実である。
初めはスリーピースの体制でスタートをさせたのだが、何せ専門学校時代はギタリストの二人が組んだバンドである。
そもそもベースが居ないのだ。
始まりはどうにもこうにもうまい事行かないものである。
じゃあどうする?ってなった時にもうこのままベースなしでやりますかと、なってしまう。
そう、初めはなんとベースレスのスリーピースでスタートをするのだ。
これはなんだろう_(┐「ε:)_…。
闇に消し去りたいような歴史でもあるが、勢い任せにやってしまったものだから致し方ない。
では、ここからは49BALLの音楽性について説明しておこう。
ご存じか、存ぜぬかはどちらでも構わないが、とにかくPOPPUNKが根幹にある。
これだけは絶対にブレない…と、思いきやこの狭きジャンルの中で音楽性がブレて色々やりたくなってしまうのが自分の悪い部分であーる。
ただ、これまで色々な曲を作っては来たが、根幹にある本質的な部分はずっとブレていない。
それは…。
GREEN DAY
で、ある◎
49BALLが目指す音楽はここだけは変わっていない。
この突き刺すような、全てが敵だと思っているような、それでいて美しい目線よ。
ギターの弾き方やステージング、そして声や目つきやサウンドやメロディからその全てをリスペクトして、サンプリングをしていた49BALLである。
パクリでは無く、リスペクト・サンプリングだと、強くお伝えしておきたい。
一つの時代を作り出し、そしてグラミー賞に何度も輝いているパンクバンドなんてグリーンデイ位なものだ。
グッドメロディだからこそなのだろう。
そして、なぜか時代とフィットしていくエネルギーがすごいのだ。
そして、時代が変わろうともパンクなのだ。
何本か自分の好きな動画はあげておくが、この勢いが好きなのだ。
そんな早いビートでは無いと思うのだが、なぜか疾走感があり早く感じるのだ。
Nimrodは最高のアルバムである◎
WARNINGの爽やかな感じもたまらないですね◎
GREEN DAYの愛を語り出すと話が止まらなくなるので、また別の機会にでも書こうと思う。
さて、ここからブッキングライブと言うものが始まるのだが…。
『ブッキングって何?』
『デモテープって何?』
まさにここからスタートである。
分からない事だらけのスタートで、全てが冒険の始まりであった。
何度か場数を踏んでいると、板の上で物足りなさを覚えて来る。
向上心があれば、当然の心境の変化である。
ベースレスでやっていた頃、勿論それはとても目立つ事だし他のバンドと違う事をしているから良いのかもしれない。
しかし、あくまでもそこにこだわりがあった訳では無いのだ。
ベースがあれば、それに越した事は無い。
シンプルにロックができる方が勿論良いに決まっている。
と、言う事で何故か俺がベースとなりましたとさ。
なぜ!?
理由は分からないが、1st ALBUMが出る迄はとにかくギターボーカルだったり、ベースボーカルだったりと忙しかったのだ。
バンド自体を止めてはいけないと考えて居たので、形態はどうでも良いとさえ考えて居た。
普通に考えるとギタリストだの、ベーシストだの固定される訳なのだが、存続が1番のキーポイントになるのでどちらでも良かったのは個人の主観である。
2004年からの2006年迄の間でメンバーも新たに入ったりもした。
その都度ギター弾いたりベース弾いたりと繰り返して来た。
※現メンバー以外は名前は割愛させて頂きます◎
最終的にメンバーが固まって、事務所契約をする。
当時はレーベルと契約をしてリリースをするのが主流と言うか、ステータスだった気がする。
インディーズのレーベルの中でも大きめな所と契約をするのも全国区に広がる為の足掛かりとなったりもするのだ。
中には足枷となる場合もあるのだが、比較的契約した事務所が自由にやらせてくれる所だったので良かった気がする。
2006年に発売した49BALLの記念すべき初のフルアルバムである。
『Resistance To Resistance』
で、ある。
アルバムタイトルの意味は抵抗への反抗と言うか、抵抗をしている人に対して反抗をしていくイメージである。
パンクバンドの精神として常識に対して抵抗をして声を上げる的なのがある。
確かに最初に異を唱えて声を上げて立ち上がったアナーキストはカッコいいのだ。
しかし、やがて同じ意見を持つ者が多くなれば、結果として同調圧力が起きて、反抗していたものが常識となる。
世の中の常として、結局は数の力でしかない。
声を上げた最初の人がすごいだけであり、便乗して同調して膨れ上がったものはムーブメントやカルチャーとしてはすごいが、もうメインストリームとなれば普通の状態になってしまうのだ。
その同調圧力に対して抵抗・反抗をしていくと言う意味合いがある。
ところがどっこい。
このタイトルまではなんかコンセプトアルバムのような感じがするが、あくまでも後付けで作られたストーリーである。
中身は大概失恋ソングとか多めで、泣き言が多い1枚となって居る。
WEEZERが好きなものでどうしても歌詞がそうなってしまう。
WEEZER最高!
49BALLを結成してから1年〜2年でリリースができた事は本当に良かったと思う。
そして、いくつかのV.Aに参加をさせてもらったり、横乗系のショップで楽曲を流してもらったりした。
元々今のサウンドスタイルが好きになったのは、X-SPORTS系のビデオと共にライダーがトリックを繰り返す映像のBGMで流れる曲が好きで始まったようなものである。
自分の中で結構最初のアルバムを出した位で夢が叶ったと言えば、叶っているのだ。
さて、ここから更に49BALLはネクストフェーズへと進むのだ。
まず、1st ALBUMを出してしばらくすると、ベースを担当していたメンバーがまさかの脱退をしてしまう。
そして、脱退後はしばらくまたスリーピースの形態に戻ってしまうのだ。
ここからCHANKの本格的なベーシストとしてのスタートとも言える。
これまでギターをやったり、ベースをやったりしてたのだが、この時点でようやくベースとして決定的なものとなった気がする。
因みに少し話が遡ってしまうのだが、初めて購入したベースはミュージックマンのスティングレイである。
これは間違いなく、MXPXが好きだったからである。
マイク・ヘレナがベースボーカルでスティングレイを使っていたからだ。
どれもこれもグッドメロディで素晴らしいですね!
MXPXからの影響も計り知れません。
このアルバムは是非とも聞いてもらいたい名盤中の名盤とも言える1枚である。
爽やかでグッドメロディな珠玉の名曲揃いで、この1枚でかなり打ちのめされて49BALLをやるにあたって楽曲制作面でとても影響を受けた1枚なのだ。
そして、その頃に購入したベースの行方は今どうなってるかと言うと…。
COMMUNITY TRUST
の、ベーシストの岡村さんに使って頂いております。
とにかくかっこいいバンドです。
とにもかくにもLEGENDで御座います。
とにもかくにもリスペクトであります。
是非ともこの記事を読んでほしいです。
さてさて、話を戻そう。
スリーピースの形態でしばらくプレイをしていたのだが、やはり音圧が圧倒的に薄い感じがしてしまうのだ。
勿論、これには理由がある。
圧倒的なスキルとテクニックやリズム感から音作りが不足しているからに他ならない。
周りからの紹介もあり、一緒にプレイをしたい人物に運命的に巡り合う事になる。
それがNAKATECHとの出会いだ。
元々の出会いは、善行Zと、言うライブハウスでアルバイトをしていた彼と49BALLがLIVEをした時に巡り合う事になるのだ。
初対面では忘れもしないお互いに敬語で挨拶をしたが、次会う時の2回目にはタメ語と言うパワープレイである。
もうね、失礼でしかない。
そのお陰で覚えてもらえたのかもしれないが、ただただ若気の至りの失礼。
「ナカテくん、49BALLでギター弾いてよ。てか弾きなよ!ハイ!これCDね!」
何この雑な誘い方_(┐「ε:)_…。
狂ってると言うか、失礼過ぎるだろ。
デリカシーの無さが半端じゃなかった20代の若かりし頃。
今思い出すだけでもとてもハラハラして仕方がない。
当時のナカテくんは実は既に就職先が決まって居たのだ。
だから初めは普通に断られてしまったのだ。
しかし!
そんな簡単にめげる訳ありません。
「誘いは嬉しいけど、実は就職が決まっちゃってるんだよね。」
「そうなんだ!とりあえずやろうよ!」
もはや意思疎通ができていない。
そんなこんなでパワープレイが通じたのか、加入してくれることになったのだ。
しかも、就職を蹴ってまでも加入してくれるとか、なんて良い人なのだろう。
ナカテくんとは非常に出会った頃から今まで驚くような奇跡のような事が起きるのだ。
まず、聞いてる音楽がほぼ同じである。
聞いてる音楽、聞いて来た音楽、好きな音楽に共通項がとても多かったのだ。
こうした小さな奇跡は本当に嬉しいもので、良い音楽を作る上ではとても大切だったりするのだ。
そんな彼との出会いから始まった新たなストーリーは2ndアルバム制作に向けて動き出すのであった。
ここからは大体2007年〜2008年位の話に入る。
しばらくは4人でLIVEをしていたのだが、それも束の間に、元々の立ち上げ創設メンバーだったギターが1名抜けてしまう。
なんてこったい。
脱退の理由は特に言うつもりは無いが、そこから再びスリーピース形態でのスタートとなってしまうのだ。
現ラインナップで時々やっている状態であるが、ここ数年でLIVEで見た事ある人は居るかもしれない。
VO& BASS CHANK
GUITAR NAKATECH
DRUM NORISON
この布陣である。
急にメンバーが抜けてしまったのだが、反骨精神と言うか「やったる」的な気持ちが湧き、2nd ALBUMの制作に取り組んだ。
この作品はかなりの時間を費やしたような気がするが、自分のコンセプト感がブレブレになってしまうのが本当に反省点の一つである。
とにかく曲が無いから作らなくてはならない。
ゆっくりやってるといつまで経ってもレコーディングしないでLIVEばかりになってしまうので、とにかく制作時間を設けなければならない。
締め切りも決まってしまい、かなり急ピッチで制作とレコーディングをしながら、ライブもしていた気がする。
あの喧騒な日々も悪くは無いが、中々に疲労困憊である。
ジェットコースターな日常を過ごすと記憶が無くなるね。
281円だと(゚Д゚)!!!
仕方が無いけど、ショックな金額だが、まだ物の価値として1円以上付いて居るのも嬉しい事である。
デザイナーは彼。
類稀なる才能の持ち主だが、ふんだんに無駄遣いしているニクいねこの野郎って感じのやーつ。
そして、49BALLはALBUMを出すと事務所の関係で色々な所に楽曲提供をしてくれるのだ。
元々スケートボードのビデオとか、サーフィンのビデオでBGMとして流れるようなパンクロックミュージックに憧れたからである。
◆ボディボードDVD◆
↑こんな感じで、どの作品だか忘れたが、楽曲を使って頂いています。
本当にありがたいですね。
サーフィンの雑誌の付録のDVDとかでも使ってもらった事もあるし、お店とかでもCDを持って行って流してもらったり等、色々やったのだ。
なんなら地上波では無いが、ケーブルテレビのCMで使って頂いたとの風の噂である。
要するにだ。
『2nd ALBUM迄にほぼやりたい事が完了した状態』
に、なってしまうのだ。
やりたい事叶えて終わってしまったのだ。
あらやだ、馬鹿だからその先考えてねーでやんの。
さて、ここまで記載をしたが、あまりにも長すぎる為49BALLの歴史②として続きは書きたいと思う。
もう一人のギタリストのRIKIの加入の話や、EPの発売や解散などなど、それはまた別の話として書いて行くとする◎
因みになぜここで歴史を話ししているかと、別に昔は良かったねとか、懐かしんで過去の栄光を話したいからでは無い。
とにかく知ってもらいたいのは勿論ある。
こうしてまとめるだけでも、ネクストステップに向けて振り返ってから飛び立つ事ができそうな予感がするのだ。
別に何が始まるかは分からない。
だが、確かに自分の人生と共に20年の歩みは存在しており、自分の人生の半分を占めるコンテンツとなってしまったのだ。
バンドをやっていようがやってなかろうが、49BALLの看板は常に動き続けているのだ。
だからこそ、アップデートをして行くのが正解かなと思う。
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