日本現存の48型団地行ってきた。下関市清和園住宅
さて、広島平和アパートから山陽自動車道経由で約2時間半のドライブ。
本州の西の果て山口県下関市に現存する48型公営住宅の清和園住宅があります。
こちら高台に建っていますが、フグ(山口ではフク)の取引で有名な唐戸市場から目と鼻の先。急な坂道を上った先にその団地はありました。
見るからに古い。そして住んでいる気配はあるのだけれど、ほぼ無人状態から「もうこれ以上何も手を付けないぞ!」感がひしひしと伝わってきます。
下関市はこの清和園住宅が最古なのだけれど、49型住宅もまだ残っていて、
それぞれ市の公共建築物の更新プランの中では、取り壊すのが適当であるという考えが一貫しているようです。
公共施設の適正配置に関する方向性(中期) 令和5年 ... - 下関市
https://www.city.shimonoseki.lg.jp/uploaded/attachment/71457.pdf
下関市は福岡県北九州市が共同で申請した「関門“ノスタルジック”海峡」が日本遺産に認定されていて、明治維新に関連した古い建築物も多いのだけれど、戦後の住宅復興の遺産としての団地というのは史跡としての重要性が何段も落ちてしまうのは仕方ないのかもしれません。
とはいえ、その関門海峡を挟んだ北九州市門司区には払い下げられた49型団地をリフォームして活用するプロジェクトが進んで実際に満室といいます。
人の情熱は何が方向性を変えるかわからないのですから、ぜひとも下関の隠れた資源として活用に向かってもらえると嬉しいなあと思うのです。
さてこの清和園の北側に回ってみました。建物の北側に飛び出た増設部分に、見慣れた排煙口が見えます。この様子を見るに、下関清和園では、風呂棟を北側の6畳間のスペースの北側に増設したと考えられます。
台所も北側なので、水回り関係を北側に増設するのは理に適っているし、使いやすいレイアウトでもあると思います。
長崎の旧魚の町団地がこのようなレイアウトにならなかったのは、団地の北側に他の住宅がすぐそばに隣接しており、増設するだけの土地を確保できなかったからと聞いています。一回外に出てお風呂場に入るというのは今の私たちの感覚ではかなり面倒だと思うのですが、銭湯の利用が標準で自分の家の風呂を持たないのが一般的だった時代からすれば、自宅の風呂が付くという事のほうが大事だったのでしょう。
こちらの団地の東の端は、南北に通り抜けられる構造になっていました。
当時このように通り抜けられた方が便利な理由があったに違いありません。
ちなみにこの団地を下ってすぐのところに今も営業中の銭湯があるのです。
団地の人の銭湯用通用口だったのかもしれませんね。
団地の北側から南東側に目を向けると、遠くに関門大橋が見えます。
あれを渡れば九州。そして博多にはまだ見ぬ商店併用型の48型団地の変形
福岡市店屋町アパートがあります。しかし今回の目的地は下関市の大丸百貨店なので、また次回に期待することに。下関でスタッフと待ち合わせしているのです。
48型団地をめぐる冒険(というほど大げさではありません)はかくして幕を閉じたのでありました。