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長崎市街地図に「旧魚の町団地」が載ってたのだ

さて、前回神田の書店巡りで端島の地図を手に入れた話を書き込んだんですが、その際もう一つの地図を購入しました。それがこちら


昭和42年版 長崎市街図

昭和42年版の長崎市街図。こちらのメイン図は長崎市街全体が表示されていてそれはそれで昔の長崎を懐かしむ方には全部見てみたい方もいらっしゃるかもしれませんが、今回思わずこの地図を購入してしまったのは、

その裏面にあった、「長崎市街中心部」にありました。
それがこちら


S42年版の長崎市街図裏に記載の長崎市街中心部

これだけだと細かくてわかりにくいと思いますので拡大したのがこちら

中心部だけを拡大しました

長崎市街中心部拡大図

真ん中あたりに魚の町と表示されているのがわかるでしょうか

で、どこに「旧魚の町団地」があるのかというとさらに拡大しましょう


さらに拡大図

魚の町の「魚」の下に赤く「めがね橋」が見えますね。
で魚の町の「の」の文字を上に目を移すと

「〇県営酒屋住宅」の文字が!

そうです。魚の町団地は、建設当時の名称は「県営酒屋団地」だったんですね。
長崎県のHP上の「旧魚の町団地」の項目にも、
旧魚の町団地(建設当初は酒屋町団地と呼ばれていました)は、1949年(昭和24年)に竣工し、入居を開始した公営住宅で、戦後に建設された公営住宅としては、現存する最古のうちの1つです。(1948年に設計された団地で現存が確認されているのは、長崎市、広島市、下関市、静岡市(2棟)にある計5棟であり、旧魚の町団地はそのうちの1つ)」
とあります。

この県営酒屋団地の位置を見てみると分かるのですが、坂の街、長崎でも本当に貴重な平らな場所に立地しています。こちらのサイトに建設された当時のこの団地の抽選時の記事も載っていましたが、
新たに建設された酒屋町団地と中川町団地の2戸の抽選申込50戸に対し1000名を超す申し込みがあったそうで、以下にこの住宅への入居が憧れの的だったかがわかる記事となっています。

この時建築された2つの団地は長崎市内おなじみのチンチン電車の電停近くに建築されていて、

現在の長崎市内一部

真ん中に市電が走っていて右上に蛍茶屋電停があります。中川団地はこの電停の終点の蛍茶屋の南側に建設されていたようです。蛍茶屋の左隣の電停が「新中川町」になりますが、ノーベル賞作家のカズオ・イシグロさんは, 1954(昭和29)年11月8日に長 崎市で生まれ, 幼少期を長崎市新中川町で家族と 共に過ごし、5歳の時にはイギリスにわたりその後はイギリス国籍を取得して作家となりました。このことから、カズオ・イシグロさんの記憶に残る長崎のイメージから書かれた「遠い山並みの光」にかかれた団地のイメージは
イシグロさんの住まいの近くにあった「中川団地」と想像されます。

古い地図を眺めていると、その当時の人々の動きが蘇るようで、これから始まるこの「旧魚の町団地」のリフォーム工事もワクワクしてきますね。


旧魚の町団地、リフォーム前の姿

現在「魚ん町+」としてこの旧魚の町団地の1F部分は「合同会社ココトトさんのシェアキッチンや、シェアオフィスなどが着々とリフォームされています。今週末の2月9日には第3回目のワークショップも開かれるということで、どんなふうに変わったのか楽しみでもあったりします。

明日2/5の水曜日までワークショップの申し込みを募集しているようなので
もし気になった方がいらっしゃったらぜひご参加を!

私も参加します。ではでは


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