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48型団地ってのは何だい?



旧魚の町団地基本レイアウト図

48型団地ってそもそもどんな特徴があるんですか?ということで、旧王の町団地の間取りを見てみましょう。この旧魚の町団地をリノベして活用するプロジェクト「魚ん町+」さんから頂いた間取りの資料から、部屋の部分を書き出した図面が上の図なのですが、ここにかかれている浴室棟はあとから増設されたものです。建設当初は風呂無しだったわけですね。
団地の入口から階段を上って左右に入口があります。


玄関入口

中に入ると正面に洗面とトイレがあります。

玄関入口より洗面台とトイレ

トイレの隣が台所です。

台所

台所のシンクの横には、ダストシュートが備えられていました。
左側に見える四角い穴は、隣の部屋に食事を渡せる窓になっています。

ダストシュートの残っている部屋

台所の反対側の部屋が6畳間になっています。

6畳間、こちらは魚の町団地の保存室です。

6畳間の南側に8畳の和室があり、こちらには押し入れが付いています。

8畳間

間取りとしては、6畳間+8畳間に台所、トイレ洗面がついた2Kのアパートですね。

この間取りのパターンは、戦前、関東大震災の復興用に建設された
同潤会アパートの間取りと共通のものがあります。

日本の長屋住まいをコンクリートの団地に再現したのがこのタイプの間取りですが、同潤会アパートと同様の設備として、水洗トイレ、システムキッチン、ダストシュート、など最先端の住宅だったようです。
現存する旧魚の町団地は建設当時以降に、トイレの便器が和式から洋式に、キッチン流しがステンレスに、浴室棟が増設、窓枠のアルミサッシ化、天井の張り替えなどのリフォームがされています。

48型という形式は、1948年に設計がされた同タイプのコンクリート団地の名称になります。戦後、荒廃した都市圏の住宅不足を解消するために、「燃えない住宅」が求められる中でGHQの許可を受けて、前年の1947年に都営高輪アパートがプロトタイプとして建設が始まりました。これが戦後初のコンクリート住宅団地の47型になります。

参考:1948年度着工のRC造公営集合住宅の建設・生活実態に関する研究
https://www.jstage.jst.go.jp/article/aijt/30/75/30_867/_pdf

都営高輪アパートの47型をベースに若干の修正がされて次年度に設計されたのが今回の1948年設計タイプのコンクリート公営住宅48型です。
戦前建築された同潤会アパートも47型の高輪アパートもすでに全て解体されてしまっていますので、現存する一番古いコンクリート造りの公営集合住宅が48型というわけなんです。

47型、48型と続くので、毎年設計が変わるのだから49型もあるのですが
戦後の公団住宅は、続く51型でがらりと設計パターンが変わります。
現在の住まいでおなじみの2DKのD ダイニングが導入されます。

51型以降の住宅には、基本、居室+台所+ダイニング 風呂、トイレ、洗面

というパターンが住宅の基本になり、ここで、寝室、と食堂という
寝る場所と食べる場所が分かれるすまい
というのが当たり前になります。リンクから51型への流れが参考になるかと思います。

48型住宅とは、戦前の日本人の暮らし方であった、食事場所と寝室が同じ暮らし方の最後の世代の住宅というのが大きな特徴でもあります。


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