Midnight Swan(母親像について)
冬は猫たちがこぞって私の膝に乗ってきてくれるよい季節。
自分が恒温動物で良かったと思う瞬間。
Midnight Swanで避けては通れない、母親像について感想をまとめたいと思う。今回はかなりネタバレ要素が強いので、ご注意ください。
1.娘=アクセサリー(桑田りんの母親の場合)
エンドロールで佐藤江梨子さんの名前を発見したとき、え、サトエリどこにいたの?となった。あの凪沙と一緒に働いていたとても綺麗なお姉さん(冒頭泣いていた人)かなと。
後日パンフレットでキャストを確認した時に、びっくりした。あのお母さんが佐藤江梨子さんだったのか。。。
子どもの個性を伸ばすためというよりも、自分が「プロのバレエダンサーの娘を持つ母」でありたいがために、娘にバレエを習わせている母親と認識した。
りんが怪我のためにバレエをこれ以上踊れないとなった時、「この子からバレエを取ったら何もないのに」と泣く母親の横にいたりんの表情と言ったら!悲しみと怒りと不安と失望と憎しみの入り混じった物凄い表情だった。(あの表情は助演女優賞級だと思う。)
結婚パーティーの席で、娘を紹介するものの、すぐに話は手に抱くわんこに移り、この時に母親(いや父親だったか?)が言っていたのは「しつけがよくできた良い犬なんですよ」。りんの姿は完全に無視され、りんは一果のコンクール曲を踊り始める。。。
自分の思い通りにいかないと手厳しくあたり、無視をする。アクセサリーのような扱い方だと思った。
現にりんが違法なバイトに手を染めていたことが明るみに出た時、彼女の話は一切聞かれず、こうであってほしい願望を押し付けていた。
こうなる背景は愛人が2人もいるという夫からの愛情不足なのかどうかは分からないが、犠牲となったりんが心底可哀そうだった。
2.娘=依存対象(一果の実の母親の場合)
水川あさみさん演じる一果の母親・沙織。冒頭から一果を殴った衝撃的なシーンの後、繰り返される「ごめんね」の言葉。そして一果の自傷。
典型的な虐待のパターンだが、沙織は一果の存在に一縷の望みを託していたのかと思う。「うち、ちゃんとしたいんじゃ」という言葉はきっと本音。一果を愛すことで自身も愛されることを願っていたのかなと思った。
一果は血のつながりのある母親のその言葉を信じ、純粋に愛されたいと思っているが、母親の心も透けて見えてしまい、自傷することで何とかバランスを取っていたのではないだろうか。
ステージの上で心細さに押しつぶされて「お母さん」ともらした一果。まさかと思ったけれど求めた姿は沙織なのだと思う。「生みの親」という存在が子どもにとってどれほど強烈なものなのか、考えさせられたシーンだった。
性転換手術を終え一果を迎えに来た凪沙に対し、「この泥棒!」と言い放った沙織にとって、やはり一果はまだ「所有物」なのだなと思った。
一変、卒業式のシーンからはお互い独立した姿勢を持っている。性転換手術を受けた凪沙の登場は親子に少なからず影響を与え、またバレエに戻ることによって二人は救われたのだと思った。あの先生に出会えて、そして沙織が成長できて本当に良かったよ。。。
3.そして凪沙の場合
凪沙が、自分の今までの頑張りを圧倒する形で、出現してきた実の母親の沙織に対して感じたのは、血のつながりということよりも「女性」であるということだった。
でも、映画を見た人は皆賛同されると思うのだけど、一番優しい母親の顔をしていたのは間違いなく凪沙であって、その点血のつながりというのは残酷だと思った。これが生きながらえるために動物として備えた本能というものなのか。
人は性別とか関係なく母親になって人を愛することができる。ああ、しみじみ良い映画だと思う。平和で自然な二人の空気に何度このまま幸せになれますようにと願ったことか(そして、待ち受ける困難に絶望するとは、、、)
性転換手術を終え、実の母親にカミングアウトし、大混乱する母親を優しく抱きしめ諭す凪沙。凪沙は元来母親というものに知らずのうちにあこがれていたのではと思った。(冒頭では子どもは嫌いじゃと言っていたが)
4.最後に思うこと
このように一部問題がありそうな人間像を取りあげる時、その原因を生い立ち等の背景情報で十把一絡げにしがちだが、そのようにしたくないと思った。沙織のように途中から変われる人もいるのだし、可能性を排除したくないと強く思う。
先日トランスジェンダーの方が、検索履歴等によりgoogleから勝手に男性と判定されてたというツイートを見かけた。(その人はひどく傷つき、悲しんでいた。)
同じことだと思う。傾向は確かにあるのかもしれない。それを受け入れたほうが効率的に、合理的に回る場面はたくさんあるのだろう。特にビジネスの面においては。
でも私は、他人が人をジャッジしないことを大切にしたい。私から見えている他者なんて全体のほんの一部分にすぎないのだから。
変われるチャンスはあるし、それは人次第。でもそうさせない世の中があることも分かっている。自分の生きたい道は自由に作れる世界になりますように。生きにくい人生を強いられ、心をすり減らす人が一人でも救われますように。
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