「聞こえないのを理由にするな」
「聞こえないことを理由にするな」
「聞こえないせいにしない」
聞こえない人だったら、必ず一度は言われたことがあるだろうし、
一度は自分自身にもそう言い聞かせて奮い立たせた経験があるのではないかと思う。
ある日、こんなツイートをみつけた。
学校や職場、そして生きている場面全般において
自分で「嫌だな」と思ったり「しんどいな」「つらいな」と思ったとき
「嫌な事をなんでも聞こえないせいにしない」っていうのは
聞こえないということは直しようもなく解決策もないことなのだから、
それよりも自分の考え方や性格を変えようとする努力が必要というロジックなんだろうけど
実は
「自分は聞こえない、だからどうしたら仕事が出来るか」とか
「自分は聞こえない、だからこういうエラーがでる。ではどうしたらいいか」
こんなふうに身に起こるトラブルやミスを「聞こえないせい」にして考えていくと、置かれた環境のなかでカスタマイズする対象がはっきりと明確になる。
そうしたことで、「こうすれば出来るようになるんだ」という気づきが生まれ周りへの波及効果も大きいし、本人も生きやすくなる。
「この原因は自分が聞こえないせいだ」と考えることを許さないとして、
トラブルなどマイナスな出来事の原因究明の矛先を
「聞こえないせいではなく、自分が悪い」にすると
具体的な対策や次につなげる行動が途端にぼやけてしまうのだ。
《自分が悪い》で完結し
「自分に悪いところはなかったか、自分が変わらなければ」と考え続け
自問自答していくという方が、解決策も見つけづらく直すのも難しいハードモード。
実際の原因はキコエナイというところにあるのだから、
「なぜ自分はダメなのだ、なぜ自分はこんなにできないのだ」と向き合ったところで、ポジティブな感情や生きる方法につながるアイディアを生み出そうというのは無理な話である。
まさに徒労。
ところが、実際にはそうはいかない。
先にも書いた通り、小さいころから私たち聞こえない・聞こえにくい人間は
「聞こえないせいにするな」と一生のうちに何回かは言われた経験があるはずだ。
「なんでも聞こえないせいにするな」と言われてきた子は、
「自分が聞こえないから」とは考えられない。
「自分がダメだから」と考えるようになってしまう。
「なぜ」「どうして」「できない」「できない」と自分に問いかけ、自分の良くなかった原因を探すことしかできなくなってしまう。
そうした先には、どんなことが待ち受けているのか───