親からの手助け、「今じゃない」ことも多いよね
子供の成長ってやつは、親の役割ってやつは、本当に「そのとき」が来るのをひたすら待って見守ることである。
2人の子供を育てていて、時々ハッとする。「ああ、彼らにとっては、"今"だったのだな」と。
先日、娘は6歳になった。早生まれで、体も小さい。ただ、親ばかかもしれないけどどこか賢く要領の良い子だと感じていた。
ちょうど1年前、年長クラスに上がり、同じクラスの子たちがつぎつぎと「これは”ほ・い・く・え・ん"」と文字を読み、絵本を音読している中、娘は文字に興味すらなかった。
「まあこんなものかな、私も幼児だった頃、文字を書くのは苦手だったし。」そう思って特に気にしていなかった。
しかし、夏になっても、秋になっても1と2の数字すら判別しない。自分の名前も、読めない。
あいうえおの一覧をお風呂に貼ってみたり、文字練習帳を買ってみたりして、それとなく文字に触れる機会を増やしてみた。
娘は楽し気に一覧を眺めてイラストの「いるか!」を読み上げたり、文字練習帳をなぞったりしていた。
しかし、年長の冬になっても文字は読めず、同じクラスでお手紙ブームが巻き起こっても「+++++」というオリジナル文字を量産していた。
そして3月の2週目。卒園式が終わっても、娘は文字が読めず、書けなかった。保育園の先生も、私も、特に促したり、練習させたり、無理に進めることはしなかったが、娘の中でももしかしたら「私だけできない」という悲しい気持ちはあったかもしれない。
私はそのころから、「まあ、もう少し様子を見よう。1年生になって学習してみて、どうしてもムリだったら専門家を頼ろう」と覚悟を決め始めた。
もしかしたらこの子は、学習においては手厚いフォローやサポート、訓練が必要な子かもしれないな、と。
そんなことを考えていたら先日急に「名前書けるようになった、みて~!」とスラスラ書き始めた。
「あ、い、う、お…る、ぺ…」とお友達の名前を次々と書き始めたのだ。
先週まで娘は、本当に一文字もかけず、読めなかったと思う。私は驚いてしまって
「どうして急に書けるようになったの?何を練習したの?」と聞いてしまった。
娘は少しはにかんで
「えーわかんない。なんか、いきなり書けた」
と笑った。
その時私は「ああそうだ、子供ってそうだった。ある日突然できることがあるんだった。」と思い出したのだ。
まさに、土から双葉が出てくるかの如く、土の下で種が根を伸ばし、ひそかに発芽しているのは、水をあげてもあげても、外からは見えないのだ。
そしてある朝突然、昨日までは何もなかった土の上に、小さな双葉が開いてるのを見つける。
親をしているとつい「もし子供が困っているのなら、今すぐ支援につなげるべきではないのか」と焦ってしまう。
周りの子はできているのに、自分だけできないことに劣等感を感じてほしくないと願ってしまう。
でも、子供は子供なりに一生懸命外側にエネルギーが流れ出すまで、発露するまで心に蓄積させていたりするものだ。
焦らず見守りその子が「手助けが必要だ」と言うまで手出しを辛抱することが、私の務めだよなと自戒するのであった。
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