おしおがいなくなった時のこと 2020/05/21のInstagram
2014/03/06に迎えた二羽の白文鳥「おさとう」と「おしお」
三年前におしおが亡くなって、今はおさとうと、2022/01/18に迎えたダークシルバー文鳥の「すみ」の二羽と暮らしています。
2020/05/16におしおが病気で亡くなった時Instagramに残した長文。Instagramはちゃんとした記録として残して見返すのは向いてないよなーとずっと思ってたので、noteを始めた機会にこちらに転載しておこうと思って。
おしおがいなくなってしまいました。
このごろおしおの元気がない、様子がおかしいと5/1に病院で診てもらい、重篤な状態と言われて信じられない気持ちしかありませんでした。それからあっと言う間でした。
何らかの理由で肥大した肝臓が圧迫して呼吸を困難にしている。消化不良も起こしている。お薬を出してもらいました。薬を溶かした水以外は飲ませないようにと。でも一度口をつけてよほど嫌な味がしたのかふんふんと顔を振るい、その後少しも口をつけようとしません。小松菜の軸に薬の水を少し浸してみましたが、一口かじってやっぱりふんふんしています。
嫌な味がする水の代わりに水浴びの時に水を飲んだり、洗った葉っぱについた水を懸命に舐める姿を見ていることが出来ず、おくさまと相談して薬は止めることにしました。人間のエゴかもしれませんが、重篤な状態であとどれだけの時間が残されているのか分からないおしおに嫌な思いをさせたくなかった。自分たち夫婦が、最期が近いことを告げられたときにして欲しいようにすることにしました。
それからおしおは一日中、何度も何度もごはんを食べてがんばっていました。一度薬の水を入れられたいつもの水入れが嫌いになり、別の器からしかお水を飲まなくなってしまいました。上手く飛べない様子で、思った高さまで飛び上がれずにブラインドにぶつかってしまったりします。そんなおしおにおさとうはずっと大きくぴっぴっぴっ!と呼びかけ、励ましているようでした。
仕事から帰る時間にはおさとうとおしおはもう眠ってしまっているので、時間を見つけて職場から戻りおしおと過ごす時間を作りました。具合の良さそうな時はおさとうの方に飛んで行き、ふたりでお気に入りの鏡の前で過ごす時間が多かったように思います。今までのように紐を咥えてがじがじする姿を見せてくれることもありました。いくつかのお気に入りの場所でぽってり休んでいることがよくありました。たまにこっちに来てくれて、手にじっと留まってくれる姿は今までと同じようにかわいくて、呼吸はしづらそうでしたが、嘴やアイリングの血色はそこまで悪く無いように見えて、このまま、病気ではあるけれどまだしばらく一緒に暮らせると信じていました。信じたかった。
5/16。その日はおくさまが家にいてくれるということで、ばたばたと忙しかったこともあり、様子を見に戻りはしないつもりでした。おくさまから「おしお、自分であちこち動くの難しくなってる」と知らせがあった時もまだ「水浴びの水を浅いのに替えてあげたらええんかなぁ」とか「おふろまで入れてあげたらいいんかなぁ」とか普通に応えていました。まだ普通の日々が続くと思ってた。まだどうしてあげたらおしおが暮らしやすいのかを考えていました。でもおしおと過ごしていたおくさまには最期が近いと分かったようで「少しだけでも帰ってきたほうがいいかもしれない」言われて慌てて家に走りました。おしお…おしお…と祈りながら。
自分が職場を出た直後くらいの14:41、おくさまの手の中で天国へ旅立ったそうです。おくさまから手渡されたときにはまだおしおの身体は温かく、うっすらと眼を開いて、でも嘴と脚は見たことのない色になってしまっていました。わずか7、8分間に合いませんでした。動かない。手乗りでしたが握らせてはくれなかったおしお。初めて両手で包むように抱いて、涙が止まりませんでした。二人で泣いている周りで、おさとうはいつもと変わらずマイペースに飛んだり泣いたりごはんを食べたりして少し笑わせてくれました。おさとうがいつもどおりにしていてくれて本当によかった。救われました。
おくさまと話し合って、ふたりとも休みの火曜日に火葬してもらうことにしました。少し遠い高槻ですが、小さな鳥も遺骨をちゃんと残してくれるという業者さんに決めて、朝から小雨が降る中「渋滞なくスムーズに着けそうやね」「おしおはこんな遠くまで来たことないねぇ」とか話しながら斎場に向かいました。祭壇で最後のお別れをする時にもおしおは本当にかわいい顔で眠っているようでした。おさとうと一緒にうちに来てくれて、今まで本当にありがとう。手紙を書き、寝る時に乗ってぶんぶんしていたぶらんこ、お気に入りの鏡の前でいつも留まっていた留り木、いつものごはんと一緒に火葬していただきました。頭の骨、嘴、脊椎、爪。綺麗な虹色の卵みたいな骨壷に入れてあげる頃にようやく、気持ちの整理が出来て落ち着けた気がします。卵に戻ったおしおを抱いて、ぶらんこについていた鈴をいただいて帰りました。
帰りの車で「お骨をちゃんと残してあげられて本当に良かったね」「かわいい写真を選んであげよう」「おさとうとおしおの神様は太陽の塔やから、一緒に置いてあげよう」「ぶらんこの鈴をお鈴にしよう」と話しました。万博記念公園近くを通った時には「おしお!ほらあれが本物の太陽の塔やで!」と見せてあげながら。いつも留まっていた大きな太陽の塔は、おさとうとおしおがうちに来るまでは置き場所が定まらず箱に入れたまま屋根裏に眠らせていたものでした。今ではもう、自分たちには白と赤の太陽の塔は白文鳥の神様にしか思えなくなりました。
気持ちの整理のついたおくさまがInstagramで報告をし、信じられないほどたくさんの方々からお悔やみの言葉をいただきました。おしおが自分たちだけでなく、こんなに皆様から愛されたぶんちょうだったことを改めて思い知らされました。おさとうとおしおとの生活は、子どものいない自分たち夫婦の人生をキラキラと美しいものにしてくれました。本当にかけがえのない存在に感謝の気持ちしかありません。おしおは幸せに旅立ってくれたと、後悔なく思うことができます。これからもおさとうと暮らせる幸せを日々噛みしめて、心に刻んでいこうと思います。
おさとうはやっぱり毎日ぴっ!ぴっ!と大きな声をあげています。ずっと一緒だったおしおに呼びかけているんだと思います。けんかしながらもずっと隣で過ごしていた二羽なので、きっと今もおさとうの近くにいるのでしょう。
しばらく誰にも話せずにいましたが、やっとこうして気持ちを書き残すことが出来ました。長くなってしまいましたが読んで下さって、ありがとうございました。
しかしこれは… 自分が書いたのに何回読んでも泣いてしまう…
先日9歳を迎えたおさとうおばーちゃんは今もまだつやつやで元気です。このままご長寿さんとしてまだしばらく一緒にいて欲しいな…