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サッカースクールを始めたキッカケ(start1)

サッカースクールを始めたキッカケ。

東京で20歳~30歳までを過ごし、久しぶりに地元に帰ってきた。

東京では主催するイベントでプロコーチと交流する機会や、フットサル施設で開催されているスクールをたくさん見ていたので、育成に興味を持っていた私は小学生の時に通っていた地元のサッカーチームの練習に行きました。

そこで見たものはびっくりする事に何十年前とほとんど変わらない光景、、、
まだこんなトレーニングをしているのかと衝撃でした。
それと同時に一目見て分かる原石がたくさんいる事に喜びも感じました。
※最初に目についたのは小学6年生のA君(多分現在二十歳)で、ひざ下の柔らかさ、切り返しの深さと多彩なアイディアを持っていました。

私自身社会人まできちんとサッカーを学ぶ機会がありませんでした。
サッカーを学んだのは大人になってから。
信じられないかもしれませんが、私がALEGRIAで小学生に伝えていた様な内容すら高校生の時でも教わる事も無かったのです。

自分がボールを触る個人練習やドリブルばっかりしてきたので苦労した。
小さい時にもっとサッカーを学びたかったとずっと思っていたのもあり、すぐに地元の子供達にきちんとしたサッカーの指導をしてあげたい、怒られてばかりで楽しくなさそうな子供達にサッカーの楽しさを伝えたいと思いボランティアコーチとして通わせて欲しいと監督に話をした。

お金を儲けたくてサッカーの指導者になりたいと思ったのではなく、初期衝動は自分と同じ様な子を出したくないと言う気持ちだった。

地元にこだわる理由もあった。
HIPHOPが大好きな私は当然ながらHIPHOPマインド全開であり、THA BLUE HERBのBOSSの天下二分の計のリリックがこの時頭によぎった。

「セールスよりも先に風評を制する。地元で曲達を蓄えつつ
チェックメイトは風が向きを変えるわずか一瞬の隙に決する
全国のマイナー、アウトサイダー、スタイラー、その街を捨てる必要は一つもないんだ。これはペコペコするのが嫌いな札幌の二人の出世話だ」

「なによりも情報が遠かった、そのことは多くの地方にとってハンデとなった。人材の流出が進みつつ、振り向かないリスナー達をうらみつつ
たまにくるタレントラッパー相手にこびうるこの街の大物を見てて気づいた
このまま進んだところでただの呼び屋だ。やってきたのはそれになるためじゃない」

「今もクチパクの外タレや小僧が来るとソールドアウトがほとんど、
俺たちが集まるのはべつのとこ、そう天下は2つに分けれるってこと。
CDとヴァイナル、口コミととメディア、理解者とミーハー、パクリとオリジナルまず先にスジを通すのはどっちか?後々金になるのはどっちか?」

「最後はそこにいるあんた方だが、もしすでに向こう側なら仕方ない
なにせ少数派から始めなかったら、勝ち上がりのやりがいがなくなるからな」

最後にこのライン↓
「東京にでて音楽なんて古いんだ、地元も仕切れずになに歌う気だ?」
※長くてすみません。

THA BLUE HERBは私の自己哲学を築くにあたって、大きな影響を与えています。
※サッカーの哲学ではなく、生きる上での自己哲学の話。

そう言った部分も含めてサッカーを通して伝えることが、世界で活躍する選手が育つ事に繋がるとも思っている。

はっきり言って日本の教育や文化はサッカーに向いていないと思う。
なぜならピッチでサッカーを楽しむ為に大切なのは【支配、強制、模倣】ではなく【自由、自主的、創造】だから。


考えてください。
自分のチームの指導者はどちらですか?
良い指導者は後者です。

こうして自分の育ったチームのコーチとなった私でしたが、すぐに大きな問題が起こる事になる。

歴史を振り返ると新しい何かが始まる時はいつだって争いや衝突がある。
それは田舎のサッカーでも変わらないって事。

start2に続く。



 

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