大連ローカル家探しは本当にテンションが上がらない
今日は2年前に大連に来てから2回目の引っ越しです。
引っ越し先は、今住んでいるマンションのひとつ上の階。
今の部屋は立地も内装もとても気に入っていて、本当はもっと長く住む予定だったんですが、大家さんがコロナウイルスの影響で予定していた他都市への移動をやめて急遽自分の家である私たちの部屋に戻ってくることになったため、私たちが出ていかなければいけなくなりました。
今回のように大家さんの都合で引っ越さなければいけないケースは、大連では非常によくあります。
契約期間中であっても、例えば大家さんが急に部屋を売りたくなったときとか。
そもそも大連では中国人は家を借わずに買うのが普通なので、賃貸契約は大和ハウス的な会社とするのではなく、その家を持っている個人の大家さんとするのが一般的です。
大連に数年住んで引っ越しを経験したことのない日本人がいれば、かなり稀かもしれません。
忘れられないのが、大連に来て最初に家を探したとき。
夫の勤務先のサッカーチームの担当者に連れられてこれから住む家を見にいきました。
連れて行かれた場所はなんと、老人ホーム。
担当者の話では、老人ホームをチームが買い取るのでその部屋に住んでください、ということでした。
老人ホームが建つような場所なので、周りには何もなく、買い物に行くにもタクシーで20分。
市内へ行くにはバスと電車で1時間以上かかります。
そしてそこにはまだ数名のおじいちゃんおばあちゃんが住んでいて、日向ぼっこをしていました。
車椅子も何台か放置されています。
部屋は完全に車椅子対応の作りになっていて、手すりは多いけどキッチンは共同、ものすごく簡素な病室、という感じです。
日本の老人ホームはよく存じませんが、おそらく日本のどの老人ホームより汚いかな…
正直、愕然としました。
夢いっぱいで中国に来て、老人ホームに住めなんて。
隣にいる夫の目には涙が浮かんでいました。
私も、泣きました。
翌週は私の誕生日でした。
私は何もない老人ホームで、大連最初の誕生日を迎えなければいけないのか。
悔しくて辛くて、中国なんて大っ嫌い、と思いました。
さすがにチームに猛抗議をし、なんとか老人ホーム住みは免れました。
自分でお金を払うから、普通のマンションに住ませてくれと。
しぶしぶ了承してもらいました。
その後はマンションをいくつか巡り、最初の家を決めました。
日本で部屋探しって、少なからずウキウキしたのですが、このときは真逆で。笑
部屋を見れば見るほど、汚い部屋しか出てこなくて、悲しくて何度も日本に帰りたくなった。😂
紹介された家の立地が市内から遠く(夫の練習場の近く)、中国人が住む完全にローカルな場所だったせいですが、大連での新生活への期待がぺちゃんこに崩れ落ちていきました。
内見に行ったある部屋では冷蔵庫がこれでした。
駄菓子屋さんのアイスコーナーかな?
あと、不動産屋さんで見る写真と実物の違うこと。
中国女子の盛り盛りの自撮りなんて比じゃありません。
譲歩に譲歩を重ねて決めた新居は、引っ越してきた初日に、限りなくゴキブリに近いフォルムの生命力は極めて弱い黒い虫が大量に湧き、発狂。
翌日狭い部屋にブラックキャップを24個設置し、しばらくは黒い物体に怯えて過ごしました。
(大連は北に位置するので、本物のゴキは出ないらしいです…)
『住めば都』という言葉があるけれど、1ミリたりとも感じることはありませんでした。
そんな家に1年間住み、大連2年目からは市内にある今のマンションに引っ越しました。
日本食店も近くにあるし、友達も近くに住んでいて、徒歩で遊びに行ける。
市内生活が始まってから、やっと、やっと私の大連生活が楽しくなったのでした。
周りの駐在員ファミリーは素晴らしく素敵なお家に住んでる方ばかりなので、現地採用ならでは、サッカーコーチの嫁ならではの、深いい経験ができたと、今では自分を信じ込ませています。
じゃなきゃやってられん(笑)