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『BAKERU』によせて

仙台発のビジュアルデザインスタジオ・WOWの20周年を記念して東京南青山のスパイラルで開かれた「WOW Visual Design Studio -WOWが動かす世界-」(2018年4月6-15日)でのインスタレーション『BAKERU』のために書いた短いコメントである。当初は作品のキャプションのようなものと思って原稿を送ったのだが、展示会場を訪れたら順路の最後あたりに大きくパネルで掲げてあって狼狽した記憶がある。ところで、WOWとの縁は2006年にせんだいメディアテークで企画した「イメージの庭 vol.3:Saccadic Suppression」に端を発しているが、その後の彼/彼女らの活躍には目を見張るものがある。
初出:「WOW Visual Design Studio -WOWが動かす世界-」(2018年)展示会場


古来より仮面は人を魅了してきた。それはモノとイメージ(象徴)の間の存在である。木や土でつくられた重みを手に感じながら自らの顔に重ね合わせ、踊るうちに何者かに_あるときは神に、またあるときは獣に_なるための道具。さまざまな文化の伝統芸能で、仮面をつけて舞い踊る人々に感じる高揚感と一抹の不安は、人が人あらざる者に変身していくことへの羨望と畏怖とも言える。

では、『BAKERU』において、壁面に投影されたイメージ(映像)とともに踊る子どもたちは何者か。《なまはげ》《鹿踊》《加勢鳥》が東北に古くから伝わるものであることを知る前に、ただひたすらはしゃぐ姿を見ていると、テクノロジーが仮面の魅力/魔力を引き出し、瞬く間に《イメージ=私》へと変身させたかのようである。

ところで、映像には《重み》がない。実体を持たず、新しさに急かされがちなこの表現の重みを考えるときに、「地に足をつけて」の言葉通り、自分たちの足下、東北に目を向けるのは必然だったように思われる。そして、伝統芸能は過去の遺物ではなく、今を生きている技である。その点で、映像というテクノロジーも同時代を生きる仲間なのだ。

私の名を最初に呼んだのは私以外であるように、名前とはまず他者から与えられるものである。《東北》という名もそのひとつ。しかし、他者から名付けられた自分をさまざまに演じるうちに、私たちはいつか自分自身を見いだしていく。『BAKERU』は、伝統に仮託しながらあらたな東北のイメージを見いだす試みとも言えるだろう。

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